'64年の東京オリンピックが舞台のミステリ【斎藤美奈子のオトナの文藝部】

東京オリンピック・パラリンピックを控え、なんだか浮き足立っている東京。だが、その陰では報道されない事実も多い。古くからの住人が強制退去させられた都営霞ヶ丘アパートもそのひとつ。森屋明子『涼子点景1964』は、その都営霞ヶ丘アパートの周辺が舞台となっている一冊。ラストまで一気読み確実の良質なエンターテインメント小説の魅力をたっぷりご紹介。
斎藤美奈子
さいとう みなこ●文芸評論家。編集者を経て’94年『妊娠小説』でデビュー。その後、新聞や雑誌での文芸評論や書評などを執筆。『文章読本さん江』『趣味は読書。』『名作うしろ読み』『ニッポン沈没』『文庫解説ワンダーランド』『日本の同時代小説』ほか著書多数。
『涼子点景1964』森谷明子

『涼子点景1964』

森谷明子

双葉社 ¥1,600

五輪でわく’64年の東京で、とある少女の消息を追う人々がいた。遠い土地に引っ越したという彼女・小野田涼子が今もこのへんに出没しているのはなぜなのか。霞ヶ丘の貧しい長屋で育った涼子は、実は私立の女子学園を経営する老人に気に入られ、養女になる算段が進んでいた。そんな折、霞ヶ丘の工事現場で見つかった黒焦げの骨……。多くの謎を振りまきつつも、祖母、母、娘を含めた女たちの気丈さに圧倒される佳編。

’64年の東京オリンピックが舞台の“一気読み”ミステリ

東京オリンピック・パラリンピックを控え、なんだか浮き足立っている東京。

だが、その陰ではオリンピックの負の側面ともいうべき報道されない事実も多い。新国立競技場の建設にともなって取り壊され、古くからの住人が強制退去させられた都営霞ヶ丘アパートもそのひとつ。ここは前の東京五輪を控えた’60年代初頭に、古い長屋を壊してつくられた団地だった。

森谷明子『涼子点景1964』の舞台はその都営霞ヶ丘アパート(通称霞ヶ丘団地)の周辺である。時はまさに前の東京五輪が開かれた’64年。焦点となる人物は小野田涼子。’48年生まれ。国立競技場に近い新宿区内の小学校に転入し、学区内の中学に入学するも、卒業を待たずに転出した謎めいた少女である。

物語の発端は、万引きの疑いをかけられた小学4年生の曽根健太が涼子の証言と機転で助けられたことだった。同級生の高橋太郎はその話を聞いて驚く。

〈どこで? どこで涼子お姉さんに会えたの? お姉さん、この辺にいるの? ぼくはもうずっと会えないと思っていたのに!〉

住んでいる場所も、今はどうしているかもわからない涼子。だが健太の兄の幸一は、涼子が同じ中学の同学年だったことを思い出す。弟たちにとっては正義の味方らしい涼子だが、かつての同級生たちの評判は芳しくない。

〈好きじゃなかったのよね、あの子。クラスで浮いてたでしょ〉

涼子に関する謎はその後ますます深まる。幸一が覚えている小野田涼子は、成績は優秀だが給食費や副教本代も払えないような貧しい家庭の子供だったが、最近目撃された涼子は「お嬢様」と呼ばれ、黒塗りの自動車の後部座席に乗っていたという。数年の間にいったい何があったのか。

長編ミステリと謳(うた)われてはいるものの、いわゆるミステリとはひと味もふた味も違っている。

やがて明らかになるのは、涼子が取り壊された霞ヶ丘の長屋の住人だったこと。飲んだくれだった父が失踪し、母も姿を消し、涼子は祖母に引き取られたこと。長屋の跡にできた霞ヶ丘団地には太郎の一家が住んでおり、涼子は鍵っ子の太郎の面倒をみると称してたびたび団地を訪れていたこと。

失踪した涼子の父は誰かに殺されたのではないかという疑惑をちらつかせつつ物語は進行するのだが、それ以上にミステリアスなのは小野田涼子その人だ。貧しい家庭に生まれながらも、時に威勢のいい啖呵(たんか)を切り、時に『小公女』の主人公セーラのように毅然とふるまう少女。土地の売買がからんだ大人たちの思惑、母や祖母にまつわる誰にも明かせない秘密。ラストまで一気読み確実の、良質なエンターテインメント小説だ。
《あわせて読みたい!》
『千年の黙(しじま) 異本源氏物語』森谷明子

『千年の黙(しじま) 異本源氏物語』

森谷明子

創元推理文庫 ¥1,000

舞台は平安朝。帝が寵愛する猫の失踪と『源氏物語』の失われた巻「かかやく日の宮」をめぐって、紫式部(藤原香子)が探偵役を務める異色のミステリ。平安女性たちに親近感を抱くこと必至。森谷明子は’61年生まれ。2003年、鮎川哲也賞を受賞したこの作品でデビューした。

『オリンピックの身代金』 奥田英朗

『オリンピックの身代金』

奥田英朗

講談社文庫 上・下巻 各¥700

’64年の物語といえばこれ。同年8月、五輪警備本部の最高責任者である警務部長宅で爆破事件が起きた。脅迫状は五輪を妨害するという内容。犯人らしき青年は東北の出身で、東京に出稼ぎに来た兄を異常な長時間労働で失っていた。五輪の負の側面を描いた2008年の傑作長編。

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