尾上右近、歌舞伎大道具製作現場へ行く【後編】

本誌連載でもお馴染みの歌舞伎俳優・尾上右近さん。2026年の大河ドラマ『豊臣兄弟!』に足利義昭役で出演が決まるなど、今年はさらなる飛躍の予感。新年を彩る1月歌舞伎座「壽 初春大歌舞伎」も舞踊劇『蜘蛛絲梓弦』(くものいとあずさのゆみはり)で8役を早替わりで魅せる。そんな右近さんが多忙の中訪れたのは、新しく作ることになった大道具の製作現場。舞台の背景や装置はどう作られるのか。とどまるところを知らないその好奇心と向上心が、舞台を一層おもしろく、美しくしていた!! 前編に続いて、後編は大道具さんの熱い心意気に触れた。
前回のリポートで、歌舞伎の大道具の背景で使われる金色には、ぴかぴかと輝く伝統的な金紙と、箔押しの加工を施したマットな金の2種類があることが明らかに。
1月歌舞伎座の『蜘蛛絲梓弦』では、右近さんの意向をくんで、古風な金紙が使用されることになったが、その扱いはかなり手間がかかるようだ。

歌舞伎座にしかない”歌舞伎色”があって、同じ黒でも芝居によって何種類もの黒がある

「例えば大きな1枚のパネルに古風な金紙をはるには、まず小さな薄い紙をパネル一面に袋張りしていきます。袋張りとは、紙の周囲のみにノリを塗布する方法のことで、こうすると表に凹凸が響きにくいんですね。その上に今度は厚茶チリという厚手のざら紙をまた袋張りします。そうして初めて金紙をはることができるんですね。しかも金紙はサイズが小さいので、パネルを埋めつくすのは時間がかかります」(塗方の永田宏江さん)。
一方、箔押しのマットな金は、畳一畳分くらいを一気にはれるのだそう。
「金張りがそんなに大変だったとは……。なんだか大道具さんたちに申し訳なくなってきた」と右近さんも恐縮しきり。
何枚もの紙を、ひとつひとつていねいにはっていく
何枚もの紙を、ひとつひとつ丁寧に貼っていく
尾上右近、歌舞伎大道具製作現場へ行く【後編】_1_2
そこで「ケンケン、ちょっと紙をはるのを試してみる?」と声をかけてくれたのは、歌舞伎座株式会社・営業部の窪田丈和さん。実は右近さんとは旧知の間柄で、自主公演『研の會』でもずっとお世話になっているのだとか。
「皆さん、お忙しいのにじゃまにならないですか?」と心配する右近さんに「大丈夫」と早速お手本を見せてくれる窪田さん。慣れた手つきで紙に糊をつけ、刷毛で全体を伸ばしていく。
「なんでそんなにうまくできるの!?」ととまどいつつ、右近さんも見よう見まねでトライ。なんとか張ることができた。
糊を塗った紙を刷毛ではっていく作業を体験。隣は幼少時代頃から知っている窪田丈和さん。
糊を塗った紙を刷毛で張っていく作業を体験。隣は幼少時代ごろから知っている窪田丈和さん
「ケンケンは、ひと言で言うと、“いい人間”ですよ。子供のころから人懐っこくて、かわいくて。今もそういう子どもっぽさを残しつつ、僕よりずっと大人だと思う。そしてまじめ。それがお芝居に出ています。だから応援したくなるんですよね」と窪田さん。
右近さんも「窪田さんは“本当はめっちゃ怖いけど子供には優しい近所のおじさん”、みたいな感じで(笑)、子どもの頃からよく遊んでもらっていました。『研の會』でも『ケンケンのやりたいようにやればいいんだよ』って、いつも僕のわがままを聞いてくれるんですね。去年『盲目の弟』という作品をやったときもほとんど上演されてない演目だから、何が正解かわからないような状況の中、僕の気持ちを一番に考えてくれて。本当に助けられました」。
 厚い信頼関係に支えられて、いい舞台は作られるのだろう。
「俳優さんが何を望んでいるのかということは、だんだんと肌感でわかってくるものなんですね。経験を積む中で、技術的なハード面だけじゃなくて、そういうソフトの部分も次第に鍛えられていくものだと思います」と歌舞伎座舞台株式会社・取締役の足立安男さん。
そうした職人の感性は、大道具で使う色作りにも欠かせない。
工場には、さまざまな色の絵具が用意されているが、その調合はパーセンテージが決まっているわけではなくて、塗方さんや絵描きさんそれぞれの判断に任されているという。
歌舞伎座舞台株式会社・制作課の川又裕さんはいう。
「私たちは歌舞伎座の大道具を作っていますが、歌舞伎座ならではの“歌舞伎色”というものがあるんですね。また、同じ黒でも芝居に合わせて、何種類ものの黒があります。みんなそれを経験で覚えていきます。だからほかの芝居を見ていて、遠くから大道具の山とか空とか見たときに『ああ、これは歌舞伎座ではないな』ってすぐわかります」
「歌舞伎色があるなんて知らなかった! 確かに劇場によって大道具の色は変わりますね。特に関西とはかなり違うかも」と右近さんも職人技の奥深さに脱帽していた。
歌舞伎俳優 尾上右近 制作課の川又裕さん
制作課の川又裕さん

大道具で大事なのは、いかに前に出ないか。 『描かずして現す』の職人魂に右近さんも感動

出来上がった大道具は、歌舞伎の舞台稽古に合わせて月末に劇場に運び込まれます。工場のスタッフもそのときは歌舞伎座に行って、いろいろな対応に当たります。自分たちの仕事がどのように反映されるのかを知ることも大切な学びです」と足立さん。
「歌舞伎の世界は幼稚園から大学までの一貫校のようなもの。今の自分の位置がどのくらいで、何が求められているのか、徐々に学んでいくものなんです」。 
1月の公演直前まで作業は続く
1月の公演直前まで作業は続く
では、足立さんから見て、いい大道具とはどんなものなのだろう。
「大事なのは、いかに前に出ないか、ということだと思います。3年、4年、5年と経験を積んでくると、どうしても見せたくなっちゃうんですよ。でも、書き込みすぎるとお客さまのじゃまになってしまうことがある。
 絵描きさんの言葉で感銘を受けたことがあって、それが『描かずして現わす』。つまり昔の西洋の宗教画なんかを見ると、天使がいて、悪魔がいて額縁の中にパンパンに情報が入っていたりするけれど、歌舞伎の場合は、肝心なところだけ描いて、あとはぼやかす。幕が開いた一瞬に、どういう物語で、どういう状況なのか、どんな人の家なのか……ということがわかればいい。俳優さんが出てきたら、あとはもう全部俳優さんにお任せすればいいんです」
「俳優は責任重大ですね。でも幕が開いたとき、その役者の香りがするかどうかって、すごく大事なことですよね」と改めて気を引き締める右近さん。さまざまな学びを得て、工場をあとにした。
歌舞伎俳優 尾上右近
歌舞伎俳優 尾上右近
「今日は久しぶりに会えたかたがた
もいて、すごくうれしかったです。それにしてもあんなに手間ひまかけて一から作ってくださっているとは思わなかった。感謝の気持ちでいっぱいです。これまで大道具の細かいところまで意識していなかったけれど、 現場での作業を見て、改めて『神は細部に宿る』という言葉を思い出しました。“歌舞伎色”ひとつとってもそれを役者自身も認識して、後世に残してほしいという気持ちをもつことが技術の伝承につながると思うし。大道具のよしあしをわかる役者になりたいですね。
 また、すごくいいお話を聞くこともできました。(片岡)仁左衛門のおじさまは、世話物などで庶民の家の障子とか畳を作るとき、真新しい感じじゃなくて、もっと生活感のあるヤニっ茶けた感じとか、こすげた感じにしてほしいっていうことをおっしゃるそうです。(坂東)玉三郎のお兄さんもやっぱり色に関しては、すごく細かくて、大先輩のおふたりが細部にいたるまでこだわりがあるから、それに応じていくことにやりがいを感じるという話を窪田さんがされていました。
 一方で、亡くなった(中村)勘三郎のおじさんは注文が少なかったそうです。例えば襖を左手で開けるセットのとき、『右利きだから、右手で開けられるように直して』っておっしゃる役者さんはいるんですけれど、勘三郎さんは『ここは俺が左手で開けるんだな』っておっしゃったんですって。大道具に自分を合わせていく。素敵ですよね。
 なので僕は、色にはめちゃくちゃこだわるくせに、襖に関しては柔軟な俳優を目ざそうかと思います(笑)」
 大道具さんたちのプロ魂にも刺激を受けたよう。
「自分たちは一歩引いて、あくまで役者を立てるという職人さんたちの姿勢に心を打たれました。僕も清元で出ているときは同じ気持ちなのでよくわかる。でも、思いました。皆さん、いくらでも前に出てくださいって。やりたいだけ、どんどんやってほしい。それ以上に僕が前に出ていくから大丈夫! って(笑)。僕が尊敬するのは、まわりが十足して、二十足して……じゃあ、僕が千足しますから! っていう人たち(笑)。圧倒的な足し算ができる人。僕もそういう役者になりたいです」。

1月歌舞伎座『蜘蛛絲梓弦』でも骨身を削って前のめりで挑む

「8役なので正直体力的には大変ですが、舞台裏を走り回ったり、舞台装置をすべり降りたり、こんなに縦横無尽に歌舞伎座を駆けずり回れるのは役者として幸せなこと。正月にふさわしく、おもちゃ箱をひっくり返したようなにぎやかでど派手な歌舞伎をお見せしたいと思っているので、ぜひ歌舞伎座へいらしてください! 大道具もお楽しみに!!」

壽 初春大歌舞伎 歌舞伎座

2026年1月2日(金)~25日(日)

昼の部 午前11時~

昼の部 午後4時15分~

【休演】2026年1月9日(金)、1月19日(月)

特等席20000円

1等席18000円など

※尾上右近さんが演じる『蜘蛛絲梓弦』は昼の部

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