時代の巨匠のことを知ると、より感動を味わえる! 「作庭家」でめぐる京都の名庭

庭を目的に旅をする。庭にはそんな人を動かす力があります。そしてストーリーや作庭家の人柄を知ることで、庭園をより一層楽しむことができるのもまた魅力のひとつ。日本庭園案内人、鳥賀陽さんの解説とともに、時代が生んだ巨匠たちの代表作をめぐります。

解説するのは…
烏賀陽百合(うがやゆり)さん
京都市生まれ。大学卒業後、淡路景観園芸学校、カナダ・ナイアガラ園芸学校で園芸、デザインを学ぶ。近著に『しかけに感動する京都名庭園』(誠文堂新光社)。

【明治時代】水まわりの天才。明治のカリスマ―七代目 小川治兵衛

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作庭家は…
七代目 小川治兵衛(おがわじへえ)

明治から昭和にかけて数多くの名庭を手がけた近代日本庭園の先駆者とされる作庭家。琵琶湖疏水の水と東山の景観を利用した雄大な自然の景色を造り、注目を集める。代表作に平安神宮・神苑や円山公園がある。

無鄰菴 明治の元勲・山縣有朋の別荘。建物は敷地の端に造り、水の表情を生かした約3135㎡の広大な芝の庭を主体とする。1951(昭和26)年、明治時代の名園として国の名勝に指定されている。 京都市左京区南禅寺草川町31 ☎075・771・3909 8:30~18:00(入場は30分前まで、季節により変動あり) https://murin-an.jp/
水はよどまず流れはさらさらと
トレードマークは飛石&せせらぎ
作庭家の道を開いた最強のコラボ作品

明治から昭和初期に活躍した植木屋「植治(うえじ)」の七代目小川治兵衛の代表作といえば、「無鄰菴(むりんあん)」。明治の元勲・山縣有朋の別邸で自らが指揮をとって造った別荘だ。アイデア豊富な有朋は好みの庭を造るために大胆な構想を提案し、それを見事に実現したのが七代目小川治兵衛だった。境遇のまったく違うふたりだったが、お互いを刺激しあい、一庭職人だった治兵衛はこの仕事で一躍作庭家として注目を集めるようになる。
 有朋は好みがはっきりしていて、よどんだ水が嫌いだったので池は造らず、庭によくある苔も嫌い。そのことを踏まえて無鄰菴は造られており、琵琶湖疏水から引いた水の流れと西洋式の芝生で明るく広々とした庭を表現している。治兵衛はこの庭を造る前に、並河靖之七宝記念館の庭も手がけており、ここにも流れがある。このころは権力を象徴するかのような大名庭園が主流だったので、東山の景観になじむ治兵衛の庭は画期的なものだった。さらに川の向こう岸に渡れるように配された沢渡石と呼ばれる飛石も特徴のひとつで、のちに手がけた平安神宮の神苑でも見られる。
 施主の要望を巧みに自分のスタイルにしていった治兵衛は、最盛期は200人もの職人を抱えていたとのこと。培った技術、施主の意見を取り入れる柔軟性、そして人に好かれる性格もあって、次々と仕事が舞い込み、セレブたちから注文が殺到するカリスマ庭師になっていった。


【昭和時代】大胆にして、エコなモダンデザイン―重森三玲

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作庭家は…
重森三玲(しげもりみれい)

昭和期の作庭家、日本庭園史の研究家。大学で日本画を学び、30代で新興いけばなを広めようとしたが断念。私費を投じて全国の庭園の測量調査に取り組み、これを機に作庭家の道に進む。代表作に光明院、大徳寺山内瑞峯院などがある。

東福寺 臨済宗東福寺派大本山。鎌倉時代に摂政・藤原道家が 宋から帰国した禅僧・円えん爾にを開山に迎え開基。紅葉の名所としても有名。方丈のまわりに1939(昭和14)年に重森三玲が東福寺より依頼された趣おもむきの異なる4つの庭が並ぶ。 京都市東山区本町15の778 ☎075・561・0087 9:00~15:30(11月は8:30~16:00)
大胆にして緻密、絶妙な距離感
立てたり、寝かせたり、ダイナミック枯山水
4つの庭によって創出された三玲ワールド

昭和を代表する作庭家・重森三玲が世に出たのは40歳を過ぎてからでかなり遅咲き。43歳のとき、デザインしたのが東福寺の庭園だ。1934(昭和9)年の室戸台風で荒廃した庭の復興のために全国の庭を実測調査。この結果を資料にまとめたことがご縁となって東福寺の和尚から作庭を頼まれ、ようやくメジャーデビューすることになる。
 方丈を囲む4つの庭園は、すべて三玲のデザイン。もともとある石を再利用することが依頼の条件だったため、このうちの3つはリサイクルの庭に。でも古いものを大胆に使い、とても斬新な構成だ。
 東庭(写真右)はもともと東司(とうす)(お手洗いのこと)に使われていた石を使っていて、7個の石の円柱は北斗七星を表している。市松模様の切り石がフェードアウトしていくような北庭「小市松の庭園」(写真左)は敷石を再利用したもので、実測の経験豊富な三玲にしかできない計算されたデザイン。さらに、南庭はダイナミックな石組が見どころで、不老不死の仙人が住む世界を表し、蓬莱山の様子を表現している。
 三玲はモダンで前衛的な作庭家と思われがちだが、アーティストであり、実測調査をもとに語る学術者、人間としての魅力もあった人。明治以降あまり見られなかったテーマ性を明快に表現しているのも特徴で、枯山水や神仙思想を表す庭として眺めると、おしゃれでモダンなだけでない景色が見えてくる。

【江戸時代】徳川お抱え、建設大臣―小堀遠州

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小堀遠州(こぼりえんしゅう)

近江小室藩主で、江戸初期の大名茶人、作庭師。作事奉行として仙洞御所、桂離宮、名古屋城天守閣などの建築や造園にかかわる。豊臣から徳川へ移り変わる激動の時代に新たな美意識を生む。大徳寺・孤篷庵も有名。

金地院 南禅寺の塔頭。臨済宗南禅寺派。応永年間(1394~1428年)に足利義持が北山に創建し、1605(慶長10)年に以心崇傳により現在地に移築される。方丈、東照宮、茶室八窓席(拝観ははがきにて要予約)は重要文化財。 京都市左京区南禅寺福地町86の12 ☎075・771・3511 8:30~17:00(12月~ 2月は16:30まで)
常緑、鶴亀、蓬莱山で徳川バンザイ!
紅葉も美しく、見どころいっぱい
徳川の栄華を表す、石組の華やかな庭

小堀遠州は江戸初期の大名で茶人、建築家、書家、作庭家、と多彩な人。遠州の手がけた庭はとても多いが、南禅寺の塔頭・金地院(たっちゅう・こんちいん)の「鶴亀の庭」は彼の作として資料が残っている唯一の庭だ。
 金地院は、徳川家のブレーンとして活躍し、「黒衣の宰相」と呼ばれた以心崇傳(いしんすうでん)という僧の住まいだった寺院で、庭は徳川家光のために造ったといわれている。注文を受けた遠州は当時、作事奉行として多忙を極めており、二条城や名古屋城の普請にかかわる、いわゆる建設大臣のような立場でもあった。そのため現場には彼の片腕の庭師・賢庭が立ち合い、遠州は江戸より設計図を送るプロデューサー的存在。城を建てる、庭を造るとなると幕府は決まって各大名に石の寄進をさせ、この庭には崇傳の影響力もあって紀州や赤穂など全国の選りすぐりのよい石が集まっている。ちなみに京都三名席と名高いここの茶室「八窓席」も彼の設計によるもの。
 鶴亀の庭は一見地味だが、石組はとても派手で、石を多用して目立たせており、徳川家の繁栄を願った意匠が至るところにある。方丈から見て、右手の鶴島、左手の亀島は不老長寿やおめでたいものを象徴している。真ん中奥には蓬莱山を表す石組、さらに背景には葉が落ちることがない常緑樹が植えられ、徳川家の末永い繁栄が表されている。まさにこの庭は徳川家への威信の表れで、繁栄を願う気持ちを形にしたもの。「徳川家バンザイ!」の庭なのである。

【室町時代】極楽浄土を3D化。高僧プロデューサー―夢窓疎石

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作庭家は…
夢窓疎石(むそうそせき)

伊勢の国の出身で、わずか9歳で出家。日本各地で修行をしながら庭造りも行い、生涯のうちに7人の天皇から国師の称号を賜る。ほかの代表作に仏教の理想の世界である極楽浄土を表した、西芳寺(苔寺)の庭がある。

天龍寺 臨済宗天龍寺派の大本山。足利尊氏が後醍醐天皇の霊を慰めるため、1339(暦応2)年、夢窓国師を開山として創建。境内に植えられた四季折々に咲く植物を眺めながらめぐるとよく、紅葉も美しい。 京都市右京区嵯峨天龍寺芒ノ馬場町68 ☎075・881・1235 8:30~17:30(閉門、10/21~ 3/20は17:00閉門)
動きだしそうな滝や鯉の石組
宗教と庭をセットに。日明貿易で完成した庭

禅僧の夢窓疎石は、夢窓国師とも呼ばれている。国師とは国で最も高い僧の称号で、天皇だけが与えることができるもの。ただ位が高いだけでなく、将軍・足利尊氏にも政治的発言力をもち、経済にも長たけた人だった。彼にとっての庭造りは仏教の世界を表現するもので、修行と作庭はセットで行われていた。また、水の確保が困難なことから水を必要としない庭を考え、「枯山水」の原型を造ったといわれている。
 代表作の庭がある天龍寺は、尊氏が後醍醐天皇の霊を慰めるために建てた寺で、その初代住職が夢窓疎石。当時、幕府は南朝との戦いで財政がひっ迫しており、その解決策として、彼が中国・元との貿易再開をすすめ、貿易船の天龍船を造るように尊氏にアドバイス。その結果、夢窓国師の時代に曹源池庭園を造ることができ、その後三代義満のころには金閣とその庭園も造れるほどの財を成すことに。
 庭は中央の曹源池をめぐる池泉回遊式庭園。見逃してはならないのが池の向こう側にある中国の登竜門の故事にたとえた「龍門瀑」の滝石組。明治時代に水が枯れ、今も水は流れていないが、石組の見事さで水が流れているように見えてくる。そこに置かれた鯉の形をした鯉魚石も見どころのひとつだ。通常、滝の下に置かれているのにこの石は滝の真ん中にあり、龍に変わろうとする姿を表している。想像力をもって眺めると新たな発見に心動かされ、違った時間が過ごせるはず。

撮影/中田 昭 三宅 徹 取材・文/西村晶子 イラスト/中根ゆたか ※エクラ10月号掲載

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