「いつかやらなきゃ」と思いながら、先延ばしにしがちな「実家じまい」。実家の空き家問題がNHK『クローズアップ現代+』などで取り上げられ、大きな反響を呼んだタレント・松本明子さんから、実体験をもとにお話を伺った。
“思い出”と決別できず、空き家の維持に25年。父が他界したとき、母に意向を聞くべきだったと後悔。
タレント・松本明子さん
両親も私も実家の維持に疑問をもたなかった理由
明るいキャラクターが支持され、バラエティ番組を中心に活躍を続けている松本明子さん。節約上手としても知られているが、空き家となった実家を25年間維持しつづけた結果、1800万円もかかってしまったのだとか。
「父が香川県高松市の郊外に建てた、宮大工さんによるこだわりの家でした。ただ私が住んだのは中学卒業までの10年間。兄も進学で家を出たので、私が上京して歌手デビューしたあとは両親だけで住んでいました」
売れない時代を経て仕事が順調になったのは、『進め! 電波少年』などのバラエティ番組に出はじめてから。
「芸能界入りに反対で心配していた両親に“やっと親孝行できる”と思いましたね。それで東京に呼び寄せたのですが、忙しくて家事に手が回らなくなっていたので、“手伝ってほしい”という気持ちもありました。両親もそれはわかっていて、“臨時で呼ばれた”と思っていたはずです。生活用品は実家に残していたし、年に数回は掃除やお墓参りのために帰っていましたから」
父からの“実家のことを頼む”という言葉が呪縛に……
当時は賃貸マンション暮らしだった松本さんだが、3年後両親と共同で建売住宅を購入することに。
「それでも“高松の家はどうする?”という話にはならなかったんです。たぶん両親は“もっと老いたら高松に戻りたくなるかも。芸能界は浮き沈みが激しいから明子が住む日がくるかも”と思っていたのでは。私も同じだったので、“高松の家は置いておく”ということになんの疑問ももちませんでした」
やがて結婚した松本さんは夫の実家に転居。松本さんの両親はそのまま戸建てに住み続けた。
「そのころには両親も東京暮らしに慣れてきて、“このままここにいるんだろうな”と思っていたでしょうね。高松に帰る頻度も減っていましたから。そんなとき、父が病に倒れたんです。亡くなる前に残したのが“明子、実家を頼む”という言葉。兄はマイホームを購入していたし、私の将来を気にかけて維持した家だったので、私が継ぐことは家族で了承済み。ただ父の遺言を聞いて、改めて責任を痛感しました」
さらに4年後、闘病中だった母が他界。両親を相次いで失ったことは、松本さんに大きな喪失感を与えた。
「人が亡くなるって本当に大変なこと。ゆっくり悲しむ余裕もないまま、半年ほどは銀行や役所の手続きに追われました。その前から母の介護と育児と仕事で多忙だったうえ、体は更年期の入口にさしかかって。いろいろなことが重なってバランスがうまくとれない状態が続いて、喪失感から抜け出すのに3年くらいかかりましたね。そんなことから、実家のことが後回しになってしまったんです」
(後編へ続く)
小高い山の上の、石垣も立派な高松の実家
カラオケ好きだった父、きもの好きだった母と
25年間そのままだったダイニング
「ものまね王座決定戦」などのトロフィーも思い出の品
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