年代によって変わる母と娘の距離感。ただ母を頼り、甘えるだけの娘ではいられない、アラフィー世代独特の母娘事情。なんだか最近、母との距離感をつかみにくくなった、と感じている人は多いのではないだろうか。母娘のちょうどよい距離感について脳科学と心理学の専門家が「なぜ、アラフィー世代は母娘関係について悩むのか」を解き明かす! 著名人へのインタビューも必見。
【目次】
真藤眞榮さん×舞衣子さん(料理家)インタビュー
長野智子さん(キャスター・ジャーナリスト)インタビュー
①年齢と共に母娘関係は変化する?
アラフィーになると、なぜ母との関係に悩むのか。エクラの読者アンケートの回答をもとにふたりの専門家がその謎を解明。母とのほどよい距離感をつくる処方箋も伝授!
脳の出力性能の変化が、母と娘の軋轢を生む
母親との関係についてたずねた読者アンケートの回答で特に多かったのが、「年齢を重ねて母の気持ちがわかるようになってきた」という声と、「頑固になったり気弱になったり。変化した母親の姿にとまどう」という声。メンタルケア・コンサルタントの大美賀直子さんは、「こうした声の背景にはさまざまな要因があり、エクラ世代が育った社会環境も影響しています」と語る。
「男女雇用機会均等法の施行後に社会生活を経験したアラフィーは、仕事に子育て、さらには自分探しもがんばらねばとフル回転の人生を送ってきました。一方、昭和の空気感の中で育った母親世代は自分探しどころか、『家族が人生のすべて』という価値観とともに生きてきた人が多い。読者の中には『母の生き方を理解できない』という人や、『母の存在が重くて、うざかった』という人もいるでしょう」
だが、更年期を迎えるころになると、今までのようながんばりがきかなくなったり、子供の自立で心の張り合いを失ったり、さまざまな心身の変化が起こってくる。
「長い間、イケイケで突き進んできた人が、ふと立ち止まり、自分の心を見つめ直す。そのとき初めて母が経験してきた苦労がわかった、老いに向かう母の不安が理解できるようになった、こう語るアラフィー女性が多いのです」
一方、脳科学の見地から、エクラ世代の娘と母親の葛藤を解き明かすのは、黒川伊保子さん。
「人間の脳は、泣いたり笑ったりさまざまな人生経験を積み重ねながら成熟し、56歳のころに完成形を迎えます。ただし、あくまでも『本人にとって心地よい』かたちであり、社会的に見て正しいか、常識的であるかは関係ありません。例えば、若いころから言い訳ばかりしている人は56歳で言い訳の達人になるし、ほかにもグチの達人や攻撃の達人などが生まれます」
56歳で脳の出力性能は最大になり、それは84歳まで続くという。
「出力性能が最大になると、『自分にとって必要な正解』をすばやく、きっぱりと出せるようになります。だから、人の意見に耳を傾ける必要がないし、『頑固だ』『人の話を聞かない』といわれてしまう。つまり、エクラ世代の娘と母は『脳に迷いがなく、聞く耳をもたない、最強の生き物』ゾーンにいる、といえます」
「我こそは正義」「私は間違っていない」、どちらもそう考える母と娘が向き合えば、モヤモヤや衝突が生まれるのは当然のこと。
「アラフィーの娘は『母親が老いて扱いにくくなった』といいますが、実は、あなたの脳も同じように変化していることを自覚しましょう。そして母の考えを変えようとは思わないこと。娘が母に合わせるほうが、ほどよい距離感をスムーズに保つことができます」
例えば何度も繰り返す母の話にイラッとしたら、「会話の目的を変えましょう」と黒川さん。
「情報交換すること、結論を出すことが会話だと思っていると、短期の記憶をキープしにくくなった母親の話にイライラします。母との会話は彼女の心を癒すためにある、そう決めてしまえば腹も立ちませんから」
心のひだが増える50代こそ母との新しい関係を築ける
人として成熟し、心のひだが増えてくる50代。今こそ、「母親との新しい関係性を築いてほしい」と、大美賀さんはいう。
「多様性を認めて、自他の違いに寛容になれるアラフィー女性なら、自分とは異なる母の価値観や生き方、考え方のくせを受け入れることができるはずです。また、これから自分も老いの道をたどるアラフィーにとって、母親は格好のロールモデルであり、彼女の言葉に耳を傾けることはきっと今後の人生の糧になるでしょう」
母に親孝行したいという声も多い。だがそれが高価なプレゼントや、豪華な旅である必要はない。
「世間並みに親孝行をしなければ、と気負う人もいます。でも、お茶をしたり、一緒に散歩をするだけでも母親は十分満足だし、幸せを感じています。無理をせずマイペースで母に思いを伝えて。娘が幸せに生きていることが、なによりの母孝行ですから」
読者アンケートに186人が回答!
「なんだか最近、母との関係が変わってきた!」
・仕事のことで言い争いをして、初めて母を泣かせてしまったときから、関係性が変わった。51歳・自営業)
・40代までは小さな子供がいて母にお世話になった。50代になり、母ができないこと(主にデジタル関連だったり、お金のこと)がたくさんあって、世話をする立場になった。(51歳・自営業)
・今までは、親である母のいっていることに納得することが多かったのですが、最近は私が母を納得させるような場面が増えているように思います。(49歳・主婦)
・父が亡くなったのをきっかけに、今後のことを話したり、母への思いを伝えられるようになった。(52歳・会社員)
・子育てを経験して、母の葛藤や苦悩を理解できるようになった。(46歳・主婦)
・母の世代はお姑さんと一緒に住むのがあたりまえで私の祖母との関係があまりよくないのも知っていました。そのうえ私はおばあちゃん子だったので母との関係は今のほうがよいです。私も母に甘えられなかった部分があって(長女なので)、そこを今埋めている感じがします。(49歳・自営業)
・母は私とは正反対の性格で若いころはまったく理解ができませんでした。でも、あるとき、私と違う人生を歩んできたうえでの今なのだから性格が似たりするはずもないと気がつき、ひとりの女性として尊敬できるようになりました。血を引いているから同じではなく、経験が違うから考えも違うし、それをおもしろいと思えたのは大きなポイントだったと思います。母は最高の味方でありアドバイザーであり今でも一番尊敬する人です。(53歳・会社員)
・母は最近になって大きな手術をしましたが、病院から毎日電話がかかってきました。心細かったのだと思いますが私たちの歴史では今までなかったことで、母も年をとって変わったなぁと思いました。(50歳・パート)
・50代になって、これからは私が保護者、と決意した。(53歳・主婦)
母との距離は近づいたり遠ざかったり
ライフステージに見る母娘関係の変化
思春期
母親から精神的に自立する時期。なにかと母親に反発するが、モヤモヤした感情を出しつくすと親の意見に素直に耳を傾けられるようになる。
結婚期
親から独立して自分の家庭を築く時期で、母との距離感が開くのが本来の姿。娘を心配する母の介入が過剰に増えると、娘の独立心が育たない。
子育て期
共働きで夫婦だけの子育てがむずかしいと、実母に頼る機会が増える。意識して母親との間に境界線を引かないと、母娘が相互依存に陥る危険が。
思秋期
子育てが一段落、更年期を迎えて母親の気持ちを理解できるようになる。母親との距離が再び近づくが、付き合いにくさを感じることも。
お互い譲れなくなるのはあたりまえなのかも
脳の変化で会話も変わる!?
脳の成熟が進行中の『20代の娘と母』『30代の娘と母』の会話では、母が圧倒的に優位に立っている。ところが、脳の成熟が進んだ『40代の娘と母』では、娘が自信をもって母の言葉に応対。『50代の娘と母』になると、お互い相手の話に耳を貸さなくなる。
②母娘関係の5大悩み
イラッとする母の言動に、つい感情的になって応戦し、クタクタになってない?そんなときこそ、脳科学と心理学のセオリーの出番!冷静な対応で母との関係を改善して。
【お悩み1】年齢とともに頑固になった母が、聞く耳をもってくれません。
・子供たちに迷惑をかけたくない、が口ぐせなのに、将来のお金や終活、延命治療のことなどを話すのをいやがり、もしもの話ができません。(47歳・フリーランス)
・健康に過剰な自信があって子供のアドバイスを聞かない。体の心配をしても、病院に行こうとしないし、勝手に薬を減らしたりする。(50歳・パート)
・問題が起きてもまわりに相談せず、自分で解決しようとする。周囲に気を使うのはわかるが、もっと相談してほしい。(55歳・自営業)
50過ぎたら、心を入れ替えるのは無理。考え方より生活習慣を変化させて
母も、自分のやり方が絶対の正解に見えているのです。「どうしてそうなの」と責めて、心を入れ替えようと思っても無理。淡々と習慣を変えてゆく支援を。薬を飲まないのなら、3日間ほど薬の時間に電話をかけて「飲んだ? はい、飲んで。今、飲んで。すぐ、飲んで」と明るく促す強化訓練を。その後も、ときどき抜き打ちでやると、娘の熱意に、母の脳が負けていきます。「薬は半分飲んだら半分効くってものじゃない。減らしたら飲まないのと同じ」と理論的に納得させるのも有効。(黒川さん)
否定ワードを使わず、ポジティブに伝えよう
年齢を重ねるにつれて、考え方や発想が固定的になりがちで、これを「考え方の可動域が狭い」「心の可動域が狭い」と表現します。心・頭・体、すべてが柔らかく可動域が広いことは理想ですが、高齢の母親にとって可動域を広げるのは難易度が高い課題。寛容な態度で接しつつ、健康を損なったり、お金を失ったりするような状況になったときは、アドバイスをしてあげて。このとき、「××したらダメ」と母の言動を真っ向から否定するのはNG。「このやり方のほうがお母さんもラクじゃない?」など、本人にとってのメリットを強調するとよいでしょう。(大美賀さん)
【お悩み2】母に優しくできず、母を傷つけてしまいます。
・凛として芯の強い母が好きだった。判断力をなくしたり、弱気になっている母を見ると悲しくなり、ついがんばれと励ましたり、叱ってしまう。それで母が悲しんでしまう。(55歳・主婦)
・理路整然と話をしたり、反論したりして、母を傷つけてしまう。(49歳・パート)
・何げなくいったことに対しても「偉そうに」とか、「そんないい方をしなくても」といわれます。ふつうの口調でいったつもりなんだけど、口調がきつくなっているのかな?(50歳・会社員)
会った瞬間の表情が大事。満面の笑顔を用意して
久しぶりに会った母親がいちだんと老け込んで元気がない、そのとまどいや悲しさ、ガッカリ感が表情に表れていませんか。ミラーニューロン(鏡の脳細胞)の働きで、人は表情から相手の気持ちを映し取ります。あなたが笑顔ならお母さんの脳はうれしくなるし、後ろ向きな表情だと、それに影響されて不安になったり、弱気になったりします。しかも、会った瞬間の印象はおよそ2~3時間、人の心に影響しつづけるのです。お母さんと会うときは女優になって。はるか昔、幼稚園に迎えに来てくれた母にあげたような、とびきりの笑顔をあげて。(黒川さん)
娘が『老い』を受け入れれば、自然と優しくなれる
50歳は『老い』への入口です。年をとって世の中に必要とされなくなることを、実はあなた自身が恐れていませんか。「強くならねば、しっかりしなきゃ、がんばり屋の自分でいないと」と、娘は思い続けている。それゆえ、「もう年だから〜」とあきらめムードの母に、イラッとしてしまうのかもしれません。大事なのは母への激励ではなく、あなた自身が老いを受け入れること。頑(かたくな)になった頭と心を少しゆるめてあげましょう。何もしない一日をつくったり、今まで時間のムダだと思っていた趣味にトライしたり。心がゆるめば、きっと優しくなれます。
【お悩み3】なにかと甘えてグチや不満をいってくるので困ります。
・早朝や深夜でもLINEでグチをいい、返信をしないとすぐに怒る。(51歳・自営業)
・自分に失礼なことをいってくる。そんな母と距離をとりたいのに罪悪感があってついかまってしまったり、自分の情報を与えてしまう。(48歳・会社員)
・まだ健康で自立しているのに娘と暮らしたいという。夫と息子がいるから無理と伝えると、夫や息子の悪口をいってくる。(53歳・主婦)
話すときは常に明るい声で。グチをいうすきを母に与えない
グチをいうすきを与えないようにしましょう。不満げな声で母親が電話をしてきたら、「お母さ〜ん、今××のレッスン中だけど、何か用事?」と思いきり楽しそうな声で返事をする。明るい空気に触れると、ほとんどの人がグチをいう気分ではなくなりますから。母親が家族の悪口をいっても、「悪気はないと思うよ」と諭したり、なだめたりするのはNGです。「そうなんだ」といったん悪口を受け止める(時には本人より憤慨してあげる)。そのうえで「でも、××が、こないだお母さんをほめてたよ(心配してたよ)」などホロリとさせてみて。(黒川さん)
時間や空間の線引きをしつつ、母の心を受け止める
高齢の母親は、病気や死の不安と隣り合わせに生きています。心細さから弱音を吐いたり、グチっぽくなってしまうことはあるでしょう。グチをいえるのは元気な証拠と考え、可能な範囲で受け止めてあげて。母の心に寄り添いつつ自分のペースを守るには、境界線の意識が必要です。グチの電話がかかってきたら、「出かけるから15分だけ話を聞くね」と、先に時間の境界線を引く。娘の家にひんぱんに来たがる母親には、「おいしいランチの店があるから、食事しながらおしゃべりしよう」といって連れ出し、自分の空間を守るための境界線を引いてください。
【お悩み4】自分の価値観を押しつけてくるので疲れます。
・冠婚葬祭や相続についての間違った知識や習慣を娘に押しつけてくる。自分がずれていることを認識できない。(52歳・事務)
・いつまでも娘を子供扱いして上から目線でものをいってくる。(49歳・主婦)
・孫のことにまで口を出す。もう23、24歳なのに。(54歳・会社員)
ひとまず感謝の言葉を告げて、母の心に寄り添って
アラフィーの娘とその母は、どちらも「自分が正しい」と思い込んでいます。だから、相手の考えを変えようと説得を試みてもうまくいきません。お母さんに変化を期待するより、娘が臨機応変に対応するほうが物事がスムーズ。「心配してくれてありがとう」「勉強になるわ」「参考にするね」など、ひとまず母の言葉を受け止め、感謝の気持ちを告げること。もちろん、実践しなくてOKです。エクラ世代も、いずれは母と同じ道を歩む日がやってきます。そのことを忘れず、母の気持ちに寄り添ってあげましょう。
相手を傷つけない『アサーション』で、素直な気持ちを伝える
母にとって娘は何歳になっても子供に見えるため、親目線でついいろいろなことをいいたくなるのです。問題が起きたらアサーションで対応を。アサーションとは、相手を傷つけずに自分の主張を伝えるコミュニケーション方法。具体的には、①「いつもありがとう」など感謝の言葉を述べて、母親の心を開く。②「この間、いきなりうちに来たでしょう?」と事実を確認する。③非難ではなく、「忙しいときだったから困ったんだ」と自分の気持ちを伝える。④最後に「これからは来る前に必ず連絡してね」とやってほしいことを告げましょう。
【お悩み5】自分の人生のために生きられない母が心配です。
・ずっと家族のためとか、親戚のために生きてきたので、自分のために生きようという意識がない。娘としては、残り少ない人生を自分のために生きてほしい、充実した時間を過ごしてほしいと思う。(49歳・フリーランス)
・外に出るのが大好きだった母が、年齢とともに落ち込むことが増えて外出しなくなった。最近は「もういいや」が口ぐせ。以前の明るい母に戻ってほしい。(54歳・主婦)
子供が喜ぶ顔が最高の贅沢、そう思う母親もいるのです
ショッピングを楽しんだり、おいしいものを食べたり、趣味に興じたり。人生を楽しく豊かに過ごすには、多くのエネルギーと体力を必要とします。高齢期を迎えて気力や体力が衰えつつある70~80代の母親には、自分が贅沢をして遊ぶより、娘が喜んでいる姿を見るほうが元気が出るし、うれしいし……という人が少なくありません。「子供のためにがんばることは、ハイブランドのファッションを手にするのと同じくらいの快感がある」、こんなふうに考えてみては。母の気持ちを素直に受け取り、感謝の気持ちを伝えてください。
それが母の生きる道。彼女が幸せなら何もいわず見守って
何事も家族が優先、家族のために生きてきた母親世代と、平成を謳歌し、自分らしく生きることを望むアラフィー。異なる価値観の母親に、娘が「自分らしく生きて」と望む、それでお母さんは幸せになれるでしょうか。「他人の気持ちと過去は変えられない」といいますが、「家族のため」は母の趣味であり、生きる道であり、たとえ娘であっても変えられるものではありません。感謝の気持ちで母の厚意を受け取りましょう。今後、母の考え方が変わって、「自分のために」生きることを望むようになったら、そのときこそあなたの出番。母を応援し、サポートしてあげて。
③母への心配や不安Q&A
Q.一卵性母娘といわれる母と私。本当に仲よしで旅行も買い物も一緒。母が亡くなるときのことを考えると怖いし、生きていけないのでは……と不安です。(51歳・会社員)
A.母の存在に頼りすぎず、『第3の場所』を増やそう
サードプレイスという言葉を知ってますか。家庭でも職場でもない、自分が気持ちよく過ごせる『第3の場所(存在)』という意味で、リラックスして自分らしく過ごすために欠かせない存在です。サードプレイスには友人、趣味のサークル、ペットなどがありますが、複数もつことをおすすめします。ひとつだけだと、何かのきっかけでそれを失ったときのショックが大きいし、複数のほうが心のバランスをとりやすくなります。あなたにとってのサードプレイスが母親しかないのなら、別の心地よい存在も探しましょう。お母さんも、そのほうがきっと安心ですよ。(大美賀さん)
Q.母に、ひとりの女性としての気持ちを聞いてみたい。どんなふうに聞いてあげるのがいいのでしょうか。(45歳・パート)
A.旅先などリラックスした場を選んで母の物語を聞こう
人生の最終章に立ち、一生を振り返る。このとき、「迷ったり回り道もしたけど、すべてが現在につながる大事な道のりだった」と思えたら幸せですよね。ちょっとむずかしくなるけど、心理学的には「統合的な意味を見出す」といいます。例えば「家族のためだけに生きた人生でよかったのか」と悩む母親が、人生を振り返り、子供たちの笑顔を思い出すことで自信を取り戻す。誰かに自分の物語を語ることは、最後の“1ピース”の発見に役立ちます。旅先などリラックスした気分のときに、ぜひお母さんの人生の物語を聞いてあげて。(大美賀さん)
Q.コロナ禍で人と会わなくなったせいで、母がすっかり元気をなくしています。力づける方法はありますか?(53歳・主婦)
A.目的のある外出で、狭まった母の脳を刺激する
人間は体の状態に合わせて思考範囲が狭くなったり、広がったりする生き物です。寝たきりで動けないのに「パリに行きたい」という欲望があったら、つらいですよね。そこで脳は自ら世界観を狭めて、身のまわりのこと、明日のことしか考えられない自分に変化させます。コロナ禍で外出自粛が長引き、脳が「自分はあまり歩けない」と勘違いした結果、活力を失う高齢のかたが増えています。人混みを避けながら、娘が母親を連れ出してあげましょう。このとき、「××公園の花を見よう」など具体的な目的があると、脳によりよい刺激が生まれます。
Q.母が自分にマウントをとってきます。娘に嫉妬しているのでしょうか。「自分より幸せになってほしくない」と思っているのでしょうか?
A.内面のすばらしさをほめて、母親の承認欲求を満たしてあげる
お母さんの心の中に「私のことをもっと認めて」という、強い承認欲求を感じます。本当は優しさとか、がまん強さとか、内面のよさを娘に認めてもらいたい。でも、もっと私の内面を見て……とは言葉にしにくいもの。かわりに外見や若々しさをほめてもらうことで、承認欲求を満たしているのかも。毒親でないかぎり、母親が娘に嫉妬することはまずありません。例えば洋服好きのお母さんなら、「この服を着ると、お母さんの知的な感じがきわだって、私は好きだな」など、その人の本質的な部分、内面的なすばらしさを言葉で伝えてあげてください。
Q.過干渉とか自己中とか、母にかけられた迷惑を、私が自分の娘にしてしまいそうで怖い。どうすればこの連鎖を食い止められるでしょうか。
A.母親(祖母)に優しく接する自分の姿を、娘に見てもらおう
祖母と母親がいがみ合う姿を何度も目にしたら、将来、娘は母親に対して同じような言動をとるかもしれません。まずは母親の老いを受け止め、彼女の心に寄り添ってあげましょう。そして、「いずれ年老いたとき、娘が自分にどう接してくれたらうれしいか」を想像してください。 娘が優しく声をかけてくれたら、グチを言わないだろう……、そう思ったら母に対して同じことを実行してあげて。娘はそんなあなたの姿を必ず見ているし、そ れが結果として、負の連鎖を断ち切ることになりますから。
④母とうまくいくためのヒント
母との関係はこうして改善した!というエクラ読者の声を紹介。時には共感を示し、時には客観的に母と向き合ってきたアラフィー女性たち。母との関係を良好にするためのヒントがここに。
母との関係をこうして改善!
・ひとまず母の話を受け入れ、深呼吸してから考える。即答せずに、時間をおく。(56歳・主婦)
・電話で話すとグチばかりですが、会って一緒に食事すると楽しそうにおしゃべりします。もっと会う機会を増やそうと思っています。(51歳・会社員)
・過干渉な母でしたが、子育てが終わって家の外に出るようになり、自分の世界が広がったら、私のことはほったらかしになりました(笑)(51歳・自営業)
・15年くらい前から私がフラワーアレンジメントを習いはじめ、母と共通の趣味ができました。以前より会話が増えて、花の名所にふたりで出かけるようにもなりました。(46歳・フリーランス)
・「そういえば××さんも……」という感じで、近しい人を例にあげて説明をすると、母が自分の言動を客観的に見てくれるようになった。(48歳・無職)
・ネガティブなことばかりいう時期があったので、仕事中、電話は出られないからと言い訳して、連絡はすべてLINEにしてもらいました。グチを文字にすると自分で読んでもいやになるのか、自然とグチのLINEが減りました。(50歳・事務)
・嫁姑問題や父のことなど、母のグチをひたすら聞いてあげると、満足そうに家に帰っていきます。(52歳・会社員)
⑤支えてくれた「母の言葉」
これまで母親から言われて印象に残っている言葉とは?アラフィー読者に聞いた「支えになった母の言葉」を紹介。経験に裏打ちされた名言が集まった。
母のこの言葉が支えに!
・「平凡こそ尊い」(51歳・主婦)
・「いつも姿勢よく!」。シンプルな言葉ですが、外見のことだけでなく、内面も表すような言葉だと感じるようになりました。(主婦・53歳)
・「つらいときはとりあえずおにぎりを食べる!」。失恋して泣きながら帰った高校生のときに、とりあえず、食べなさいといわれたおにぎり。食べたら元気が出ました。おなかいっぱいになれば、手っ取り早く幸福感が得られるので、今でも実践しています。(48歳・フリーランス)
・子育てについて相談したら、「息子をすべて丸ごと受け止めてあげなさい」といわれました。(49歳・パート)
・亡くなる前に「これからは、あなたが家の中の太陽となって、みんなを明るくせなあかん」といわれました。(51歳・主婦)
・「苦労することは損じゃない。苦労したぶん、幸せになれる」。シングルマザーとして仕事をしながら、ひとりで娘ふたりを育てていたときにこういってくれました。この言葉をお守りに、つらい時期を乗り越えました。(50歳・秘書)
・「女も仕事」(48歳・会社員)
・「女たるもの、どんなにお金がなくても、常に見た目はきれいにしていなければいけません!」。母が戦後の苦しい時代に、おしゃれをしたくてもなかなかできずに悔しい思いをしていた中で、自分にいい聞かせていた言葉のようですが、私と姉は常にこういわれて育ちました。今でも女性として一番のアドバイスになっています。(50歳・自営業)
・「母親が明るく元気にしていれば、家庭はうまくいく」(51歳・事務)
・「子供の前で夫の悪口はいわない」(46歳・会社員)
⑥母と娘の本音”ちょうどいい関係”
年代によって変わる母と娘の距離感。時に近づき、時に遠ざかり……。では、アラフィー世代の場合はどうだろうか。母娘のちょうどよい距離感について真藤眞榮さん・舞衣子さんにインタビュー。母と娘の関係について、互いの思いを本音で語る!
自分で決めて自分で責任をとるのが、わが家のルール
料理を作ることも食べることも大好きな祖母と母、そして娘。食いしんぼう一家に育ち、現在は発酵食に詳しい料理家として活躍する真藤舞衣子さん。幼いころから女3人で台所に立っていた彼女が、料理の道を志すようになったのはごく自然な流れだった。
「娘が小学校に上がる前から、3人でデパ地下に食材や調味料を買いによく出かけました。幼くても、まいまい(舞衣子さん)の味覚が一番確かで、試食役はいつもこの子でしたね」(母・眞榮さん)
「3人で魚河岸に買い出しに行って、お魚を丸ごと一尾さばいたり。贅沢ではないけれど、安全な食材を使った確かな味が並ぶ、豊かな食卓だったと思います。あの食卓が、料理家としての土台をつくってくれました」(舞衣子さん)
そんな舞衣子さんが中学生になったある日、料理家への道を決定づけた事件?が起こる。
「原因はまったく覚えてないけど、母とケンカをしまして。『もうお弁当は作らない』というので、私も意地になって『自分で作るからいい』って。母は一度口にしたことは曲げない人なので、結局、卒業までお弁当を作り続けました。メニューを考えたり、残り物をアレンジしたり。あの経験が今につながってますね」(舞衣子さん)
「作るだけじゃなく、お弁当箱を洗ってほしかったわ(笑)。私は料理は好きだけど、目分量だから人に教えるのはとても無理。彼女が好きなことを仕事にできてよかったと思います」(眞榮さん)
「娘を母という存在から解放してあげたいと思ったんです」眞榮さん
まっすぐな気性で思ったことを堂々と口にする眞榮さんと、そんな母のペースに押されながらも、最後は自分の意見をしっかりと伝える舞衣子さん。お互いに「母とは(娘とは)似ていない」というけれど、根っこの部分はそっくり。芯があって、決めたことは曲げない強さを備えている。
「確かにまいまいは、自分がこうと思ったことは絶対に変えないわね。だからあなたが決めたことには何もいいません。留学するっていわれたときも、離婚して家に帰ってくるときも、『はい、わかりました』で終わり(笑)」(眞榮さん)
「カフェでおしるこを食べながら『離婚して家に戻るから』といったら、『あらそう』のひと言(笑)。でも、ママも同じでしょう。おばあちゃまが亡くなって、これからどう暮らしていこうかというときに、『前から気になっていた高齢者向けのマンションに移ることに決めたわよ』って。決めるのは自分、そのかわり最後まで自己責任で、というのがわが家のルールなんです」(舞衣子さん)
’19年、3年間の自宅介護ののち、眞榮さんの母があの世に旅立った。自宅を処分することを決めたとき、眞榮さんは70歳。高齢者向け施設に入るにはやや早い年齢といえるし、眞榮さんには住み慣れた家を離れることへのためらいはなかったのだろうか。
「私の母は娘が大好きで、自分の友だちより娘の友だちと遊ぶのが楽しいという人。私はそれでよかったけど、まいまいのことは親という存在から解放してあげたかったんです。だから家を手放すことに迷いは全然なかった。この人は反対だったらしいけど」(眞榮さん)
「だって、ママは共同生活なんてしたことがないでしょう。すぐに人が集まってくるから、派閥でもつくって嫌われたらどうしようって(笑)」(舞衣子さん)
「派閥じゃなくて、親友はつくりましたけどね。彼女の趣味は歌舞伎・文楽・落語で、私とまったく同じ。まさか、70歳を過ぎてこんなに気の合う友人ができるなんて、うれしい驚きです」(眞榮さん)
毎日更新されるインスタで母の元気を確認
舞衣子さんも「実家がなくなったのは少し寂しいけど、母に新しい友人ができて人生をエンジョイしていることが、なによりうれしい」という。安心して出張に出られるようになり、仕事の幅を広げる舞衣子さんと、新たなわが家を見つけた眞榮さん。今では時間をつくって食事に行ったり旅行をしたり。「ちょうどいい距離感で暮らしています」と口をそろえる。
「母の住まいは何かあればスタッフや看護師さんが駆けつけてくれるから安心です。それと、母は毎日インスタを更新するので、SNSで『今日も元気そう』と確認できるのも助かりますね」(舞衣子さん)
「引っ越しを機に日記のつもりで始めたら、投稿を通じて友だちができるし、娘のための安否確認にもなるし。スマホが使えるかたはやってみるといいと思います。家に帰ればひとりになれるとわかっているから、多少のケンカをしても、がまんして笑顔で過ごせるようになりました(笑)」(眞榮さん)
「新たな居場所で人生をエンジョイしている母を見るのが一番うれしい」舞衣子さん
ひとつだけ残念なのはキッチンの火力が電気で、眞榮さんが十分に料理を楽しめないこと。
「ときどき、母に食べたいものを聞いて、私が料理して持っていくようにしています。それを“老婆(ローバー)イーツ”(笑)と呼んで、気に入ってくれているみたい」(舞衣子さん)
撮影直前、「(きものの)襟を直してくれる?」と、眞榮さんが娘に声をかける。襟もとを整え、最後に母の背中をポンッとたたく舞衣子さん。すると、「背中、曲がってきたよね」と眞榮さんがぽつり。かつては、背中をたたいて背すじを伸ばしてくれた母。その背すじを今は自分が伸ばす。母と娘が年を重ねるとは、こういうことかもしれない。
真藤眞榮さん・舞衣子さんの母と娘の50年史
’75年頃(幼児期)
眞榮さんの父親が他界したのを機に、女3代(眞榮さんの母、眞榮さん、舞衣子さん)の生活が始まる。勘が頼りの調味で味がバシッと決まる眞榮さんの絶品料理を求めて、大勢の友人・知人が真藤家を訪れていた。
’80年頃(幼少期)
このころから料理に興味をもつようになった舞衣子さん。「米に梅干しが一番おいしいといったり、粉の味の違いがわかったり、私よりも味覚に優れていましたね」(眞榮さん)
わずか5歳で台所に立つ舞衣子さん。今日の献立はピーマンの肉詰め!
’85年頃(小学生時代)
「おばあちゃまとママ、私の3人で魚河岸によく出かけました。荷物持ちも私の役目でしたね」(舞衣子さん)。祖母・母と過ごした時間が、料理家・真藤さんの今を支えている。
’85年頃(小学生時代)
真藤家のモットーは『一食一魂』(1回の食事を魂をこめていただく)。
「娘には、出どころがわかる安全な食材を食べさせたい。特に、ひき肉には気を使ってましたね」(眞榮さん)
「母はいつも、肉屋さんの作業場に入って自分で肉のかたまりから吟味していて。そんな後ろ姿から学んだこともたくさん」(舞衣子さん)
’90年頃(高校時代)
真藤家最大の母娘ゲンカがぼっ発。
「何が原因か忘れましたが、怒ったまいまいが玄関にあった私のピンヒールの靴をつかんで、投げつけてきたんです」(眞榮さん)
「それで怒った母がエレベーターに乗ろうとした私を引きとめ、そのヒールで頭をポコッとたたいて。学校には遅刻するし、おでこのたんこぶを友人に笑われて、すごく恥ずかしかった」(舞衣子さん)
祖母(中央)の誕生日祝いで。高校3年生の舞衣子さん(左)と眞榮さん(右)
’02年頃
舞衣子さんがフランスへ料理留学を決意。半年間学ぶことを眞榮さんに告げる。
「まいまいが決めたことならどうぞ、と。ただし、私は飛行機が大嫌いだから、あなたに何かあっても迎えにいけないからねって」(眞榮さん)
「もし事故にあって亡くなったりしても、私は行かないからお骨は宅急便で送って、といわれて(笑)。わが家のルールは自己責任なので、覚悟を決めて旅立ちました」(舞衣子さん)
’17年
眞榮さんの母を自宅で介護する日々。
「家を長い時間空けられないけど、たまには外食をしたい。ときどき、まいまいとふたりで近所のステーキ屋さんに出かけてパワーチャージをしてました」(眞榮さん)
「せっかくだからおいしく食べようと、手作りのハーブバターをこっそり持参して。わずか30分だったけど、元気が出ました」(舞衣子さん)
’22年
舞衣子さんと母、知人でLINEグループを結成。
「××を買ってとメッセージを送ると、どちらかがネット通販で手配してくれるからひとり暮らしでも不便を感じません」(眞榮さん)
「かわりに母の家では母の手料理を堪能することも」(舞衣子さん)
母娘ともに京都びいき。年に数回通って、お気に入りの店をはしごする
【真藤舞衣子さん最新刊】
発酵食へのこだわりがつまった最新刊『発酵美人になりませう。』。母や祖母との食にまつわるエピソードも満載。宝島社 ¥1,540
⑦母を亡くしてわかったこと
母が老いていく姿を見るのは、つらいことなのか
足腰が弱くなったり、もの忘れがひどくなったり。「しだいに老いていく母親の姿を見るのは悲しいし、つらい」というエクラ世代は少なくない。だが、昨年の12月に92歳の母・敏子さんを老衰で見送った長野智子さんは、母親への思いをこんなふうに語る。
「体が弱っていくのは長く生きた証しだと思うんです。だから私は母に対して、『長生きをしてくれてありがとう。だんだん弱っていく姿を見せてくれてありがとう!』という気持ちでいっぱいでした」
わずか7歳のときに父親を病気で亡くした長野さん。その悲しい体験から、母に対して特別な感情を抱くようになったという。
「私が4歳のころから父の闘病生活が始まり、3年後に他界しました。そのとき私が思ったのは、『ママまでいなくなったらどうしよう!』ということ。父を亡くした悲しみはもちろんありましたが、それよりも母を失う恐怖のほうがずっと大きかったんです」
母と娘の濃密な関係は、長野さんが大学に入学するまで続いた。「子育てに懸命な母と、母なしでは生きていけない私。思春期を迎えたころから、この相互依存の状態を苦しく感じるようになって。夜遅く帰宅した私を、母が真っ暗な部屋の中で待っていたこともありました。ある日、『私は大丈夫だから再婚したら? ママには幸せになってほしい』といってみたんです。すると母が『あなたは何もわかってない。私がどれだけパパを愛していたか!』と声を震わせながら、私の頰をパンッとたたいて……。母が亡くなったあと、父と母が交わした手紙が100通以上出てきましたが、母からの手紙がラブラブで、自分勝手なことをいってしまったと後悔しました」
「思春期を迎えて、母との近すぎる距離感を重く感じたこともありました」
母と距離をとろう、そう考えた長野さんは、フジテレビ入社をきっかけにひとり暮らしを始める。
「ひと言も相談せずに独立を決めました。引っ越し当日、涙を流す母を見て申しわけないと思ったけど、離れて暮らしたことは結果的によかったと思う。そばにいたときより母親のありがたさを実感できたし、もっと親孝行をしたいという気持ちが強くなったんです」
以降、再び同居することはなかったが、一緒にごはんを食べたり旅行をしたり、母の敏子さんが亡くなるまでふたりのいい関係は続く。その後、夫の転勤に同行して、ニューヨークで5年半の駐在生活を送った長野さん。日本に戻った彼女が目にしたのは、加齢がぐっとすすんだ母の姿だった。
「私は遅くに生まれた子供で、帰国したときの母は70歳間近。以前は、テニスを楽しんだりして活発だった母が、すっかり年をとって体調をくずすようになったんです。これからは私が母を守る番だという思いを強くしました」
何かあればすぐに駆けつけたいと、横浜の一戸建てで暮らしていた敏子さんを東京に呼び寄せる。娘夫婦のすぐそばで、母のマンション暮らしが始まった。
「狭い空間になじめなかった母が、しだいに『掃除がラクね』と、新生活を楽しむようになってくれて。母が決断してそばに来てくれたから、亡くなる前の1カ月間、毎日母の世話をして看取(みと)ることができました。それがなによりうれしいし、幸せだったと思います」
旅立っていった母のためにも娘は幸せにならないと!
死の1カ月前、敏子さんは突然寝たきりの状態になる。その1週間前までしっかり食事をして自立生活を送っていただけに、長野さんのショックは大きかった。「ほとんど飲まず食わずで、まるで植物が枯れてしぼんでいくように小さくなった母が、人生を閉じていく姿をじっと見守っていました。悲しみの一方で、よくぞここまで生きてくれたね、人はどう老いてどう死んでいくのかを私に見せてくれてありがとう!と思ったし、感動すらわいてきて。母自身は80代半ばごろから、『早く死にたい。天国に行ってパパに会いたい』と、想定外に長生きしたことを嘆いてましたが(笑)」
「老いるとは何か、死とは何かを身をもって教えてくれた母に感謝したい」
周囲の人々から「いい死に方でしたね」といわれた母の大往生。長野さんがwebでつづった記事を読んだ読者から、「母親が亡くなったときのことを想像するだけで体が震える。どうしたらその死を乗り越えられますか」と、嘆きと相談のメールが多数届いたという。
「不安でしかたがない気持ち、ほんっとによくわかります。私にいえるのは、旅立っていく母は娘の幸せを必ず願っているし、私たちは毎日笑顔で過ごして幸せにならないと、ということ。それから、悔いをまったく残さずに親を送り出すのはむずかしいことですが、それでも、ベストをつくして納得がいくお別れをしてほしいですね」
母の死から5カ月。天国のお母さんにもし声をかけるとしたら?
「父は47歳で亡くなりました。『年をとりすぎて、パパには私だとわからないかも』と心配する母に、お寺のかたが『亡くなったらちょうどよい年格好になりますよ』といってくださったんです。だから、『パパにちゃんと会えた?』と聞いてみたいですね(笑)」
母から譲り受けた大切なもの
中央の粒が大きなネックレスは母から娘への結婚祝い。ほかはミキモトで働いていた敏子さんが自分用に購入したもので、死の数カ月前に譲り受けた。
亡き父愛用のオメガの時計は65年前につくられたアンティーク。ベルトを替えて、敏子さんが肌身離さずつけていた
母との思い出アルバム
母と伊勢志摩を旅したときのひとコマ。「小学3年生のころ、父の死から1年たち、やっと、日常を取り戻そうという気持ちになったのかもしれませんね」
還暦祝いにNY旅行をプレゼント。「父の転勤で過ごしたニュージャージー州の街を訪れたときの、母の幸せそうな顔が忘れられません」
「母は私が馬に乗る姿を見るのが好きでした。のちにわかったんですが、母も旅先で父と乗馬を楽しむことがあったようです」
母の卒寿(90歳)のお祝いで、フレンチレストランへ。「体が丈夫で死のひと月前まで食欲旺盛だった母。この日もフレンチのフルコースをぺろりと平らげました」
▼その他のおすすめ記事もチェック