デビューのころからの友人で、ある文学賞の選考委員を一緒に務めたこともあった角田光代さんと山本文緒さん。山本さんが遺(の)こした闘病記から角田さんが感じたこととは、そして改めてわかった“山本文緒”のすごさとは。
誰もが自分のこととして読んでしまう『無人島のふたり』
角田光代さんが4歳上の山本文緒さんに最初に会ったのは、作家として歩みはじめた21歳のとき。以来友人であり、敬愛する先輩作家だったという。
「文緒さんはごくわずかな関係者にしか病気のことを伝えていなかった。私も知らなかったので、訃報を聞いたときは大きなショックを受けました。亡くなる直前まで日記を書いていたことも知らなくて、『無人島のふたり』の書評依頼があったときは“えっ、闘病記を書き続けていたの?”と驚いたんです」
角田さんが『無人島のふたり』を読んで最初に感じたのは「書くことにしたという覚悟がすごい」ということ。
「友人として率直にそう思いました。同時に“山本文緒らしさ”も感じましたね。軽井沢で静かに暮らし、人間ドックにも行っていた文緒さんが体調をくずして検査を受け、膵臓がんの宣告を受ける。この日記はいきなり“(膵臓がんの)ステージは4bだった”という文章から始まりますが、その時点ですべての読者が彼女の病を自分の身になぞらえると思う。整理がつかない気持ちとか泣いている夫にどうしてあげたらいいのかとか、その後語られることが全部“私ならどうする?”とはね返ってくる。文緒さんは意識していなかったかもしれませんが、最初から読者を共感させるこの手法はやはりプロ。文緒さんの小説を読むと、主人公が自分とは性格や環境が違う“遠い人”でも、その人が乗り移ってきていつももうひとつの人生を生きた気持ちになりますが、『無人島のふたり』もまさにそうでした」
文緒さんは“にじみ出るユーモア” と思ってほしかったはず
抗がん剤治療をやめて在宅医療を選び、緩和ケアを受けることにした山本さん。よかったり悪かったりした体調は徐々に下降していくが、そんな中でも山本さんは身近な人を気遣い、感謝する。読者に「読んで不愉快になる人もいるかもしれないのですが、もうしばらく書かせて下さい」と謝る。そして時には、思わずクスッと笑ってしまうようなこともつづるのだ。
「“文緒さんは読者のことをすごく考えて書くかただからサービスする気持ちで笑わせているんだな”と思いました。私も公にすることを前提にした日記を書いたことがあるのでわかりますが、これを書きはじめたとき彼女ならどんなパターンにするか考えたはず。“いい話”にするとか、事実中心にするとか。そのときたぶん文緒さんはエンタメ性を重視してきた自分の小説――山本文緒ブランドの延長線上にある日記という形を選んだ。つまり“つらい、どうしようということばかり書いていたら読者に負荷がかかっていいたいことが届かない”と考えて“にじみ出るユーモア”と感じさせる部分を入れたんだと思ったんです。もちろんそれを自然にできたのは文緒さんに筆力があったから。彼女の中では“みんなと少しでもこの話を共有できればうれしいし自分の救いになる”という気持ちが大きかったと思う。だからこそ個人的な日記とは違う公の日記になっているわけですが、そう考えたとき私は本当に胸がつまりました。“文緒さんは最期まで書き手であることを選んだ。それはわかるけれどもうみんなにサービスしなくてもいいよ。自分のことだけに一生懸命になっていいんだよ”といいたくなって」
時代のど真ん中にいる女性をずっと書いてきた作家だった
山本文緒ブランド――角田さんはその特徴をどんなものだと考えているのだろうか。
「今でこそ珍しくありませんが、私たちが文芸の世界にデビューした’90年代は“何に影響を受けて作家を志したのですか?”と聞かれて漫画をあげる人はいなかった。たぶん文緒さんは、小説と同じくらい漫画にも影響を受けたと堂々といった最初の作家です。それくらい彼女は強かったし、芯があった。ただ文緒さんが小説で焦点を当てたのは、迷いの多い普通の女性。女性の大半が結婚後主婦だったころのことも、男女の役割意識が変わりつつあるころのことも書いていますが、特に強いわけではないのに、闘わざるをえなくなる女性の姿を描いてきた作家です。考えてみれば『無人島のふたり』も、文緒さんの精神力が感じられるのはもちろんですが、“ごくごくふつうに暮らす女性がいきなり余命を告げられた”という体(てい)で書かれている――やはり山本文緒ブランドの作品だなと思います」
書きはじめて2カ月を過ぎたころからパソコンに向かい続けるのもつらくなり、やがて病状が深刻になっていく。ギリギリの状態になるまで続けられた日記だったが、最後に書かれたものを読んだとき角田さんは「胸にズドンときた」という。
「身内が亡くなる前、医師に“耳は聞こえているから話しかけてください”といわれたことがありますが、あれに近い状態のとき文緒さんは日記を書いたんだと思いました。それが本当に信じられなかったし、人の意識の最後の瞬間がここにあると思った。私を含めて読んだ人全員が、これから先自分の最期を考えるとき文緒さんの日記を思い出すはず。それくらい衝撃的で、山本文緒のすごさを物語っていると思いました」
山本さんが亡くなって時間がたったが、角田さんは「なぜ文緒さんが?」という思いが消えず、時折「何もいわずに逝(い)ってしまうなんて水くさい」といいたくなるという。
「同世代の訃報を聞くと“自分に何かがあってもおかしくない”と思うようになりました。ただ、すごく荒れた生活をしていても長生きする人もいれば、健康的な生活をしていても病気になる人もいる。また、余命を告げられてもそれ以上生きる人もいれば、余命宣告どおりになる人もいる。神の意志の領域だとは思いますが、何が違ってそうなるのか……」
人生はあまりにも不思議で不公平と語る角田さん。その気持ちは年々強くなるが、『無人島のふたり』を読んで救いも感じたという。
「金原ひとみさんの小説を読んだ日に文緒さんが書いた言葉が“死ぬことを忘れるほど面白い”。そこを読んだとき“余命を知っても人は本を読みたくなる”ということがわかって、すごく勇気づけられたんです。文緒さんが“本は最期まで救いになる”ということを教えてくれた――そう思っています」