しなやかに時を重ね、どこまでも挑戦を続けるエクラな女性たち。役者でありファッションブランドのディレクターでもある板谷由夏さんもそのひとりだ。前中後編の前編では、ホームレス女性を演じて話題となった主演映画『夜明けまでバス停で』について語ってくれた。
ホームレス女性の役に挑戦。見えない貧困のリアル
体の一部のようにトレンチコートをまとい、せつなさをにじませる表情を浮かべるこの女性、いったい何者だろうか。愛してはいけない人を愛してしまい、自らの命も危うくなった女エージェント? その人を守るため、コートの裏にしのばせた小型のベレッタで誰かを殺してきたばかりなのか。ひどく想像をかきたてられてしまう。こんなすごみ、二十歳やそこらではまず出せない。
板谷由夏さん、48歳。’22年10月に公開された映画『夜明けまでバス停で』で日本映画批評家大賞主演女優賞を受賞した。「高橋伴明監督がお声かけてくださるなら、とにかく何でもやりますよという思いで飛び込みました」
コロナ禍で職を失ったホームレスの女性が近隣に住む男性になぐり殺されたという、’20年に起きた実際の事件をベースにした作品だ。板谷さんが演じたのは、昼間はアトリエでアクセサリーを作り、夜は住み込みで焼き鳥屋で働く北林三知子。コロナ禍で仕事と家を同時に失い、気がつけばバス停の椅子で寝る日々を送る。キャリーケースに窮屈そうに寄りかかって。「事件のあったバス停に実際に行ってみたんですが、とても狭くてあそこで夜を明かすなんて、被害者の女性のかた、相当きつかったと思います」
コート¥209,000 /ザ・ウォール ショールーム(ジア スタジオ) ジュエリー/本人私物
撮影期間中、板谷さんがずっとスマホの待ち受け画面にしていたのは漫画『あしたのジョー』の矢吹丈の画像だった。笑みを浮かべてリングサイドの椅子に腰かけている、あの有名なシーンの。
「息子が送ってくれたんです。バス停で寝る姿の参考にと。お守りがわりによく眺めていました」
別れた夫がつくった借金を背負い、離れて暮らす兄からはひっきりなしに金をせびられ、生活はかつかつ。それでもなんとか自分自身の尊厳を守りながら、仲間と助け合って生きていた三知子だった。だが、目に見えないウイルスに社会が侵され始めると、三知子もそれと意識する間もなくホームレスに。ついさっきまで隣にいた人が、気がついたら転落していた……、そんな感覚におそわれゾッとした。
「今は身なりでは、ホームレスかどうかわからないんです。貧困が見えにくくなっている時代だそうです。だから、体重は3〜4㎏落としましたが服や顔には特に汚しは入れませんでした。ガラガラと引きずるように持ち歩くキャリーケースも、最初は持ち道具さんが気をきかせて軽くしてくれていたのですが、あえてぎゅうぎゅうに詰めて重くしてもらいました。なるべく三知子としてリアルに生きたかったので」
「映画という作り物の中だからこそ、その瞬間瞬間はリアルに息づきたい」
何日も同じ服を着たまま。公衆トイレの蛇口から出る水で顔を洗い歯を磨くシーンも。髪の毛はべたつき、表情にも疲労の色が濃くなっていく。
「撮影期間中はいっそのことお風呂に入らず髪の毛も洗わないでおこうかなと思ったら、メイクさんに“それはやめてください。ヘアメイクでできますから”と却下されたことを思い出しました(笑)。でも実際どんどん心が荒(すさ)んで寂しい気持ちになっていきましたね」
定食屋裏のポリバケツを開けて残飯をあさる場面はなかなかブラックで、もはやユーモラスですらあった。
「残飯を見つけたときの目つきを本物にしたかったし、ものすごい勢いで食らいつかなきゃと思ったので、撮影の2日前くらいから食事を控えめにして挑みました。残飯の中に鯖の塩焼きを見つけたときは“やった”とうれしくてグイッとつかんでほおばりましたね。映画という作り物ではあっても、その瞬間瞬間はなるだけリアルでいたいなと思うんです」
まじめに働いてきた人が突然ホームレスになってしまう不条理を突きつけられ、なんともやりきれない気持ちになった。
「私たちの世代って人に迷惑かけず、いつもがんばりなさいと教えられてきたじゃないですか。それに日本ってヘルプサインを出すなんて恥だという空気がある。困っていてもなかなかいい出せない人が多いと思うんです。でも、もっと文句いっていい、それを社会にぶつけていい、社会のゆがみに怒りを感じていいのだと。撮っているときは夢中でそんなこと思う余裕がなかったのですが、今は監督のそんなメッセージを強く感じます」
(中編へつづく)