【作家・井上荒野さんインタビュー】身近に潜んでいる“孤独”をテーマに書きたかった

日常の裏側にある孤独を描いた『錠剤F』の作者・井上荒野さんにインタビュー。『錠剤F』の主人公から透けて見えてくるのは、私たちが生きる今の時代。そのほか、同時期に発売された短編集『ホットプレートと震度四』についても話を伺った。

井上荒野
井上荒野
いのうえ あれの●’61年、東京都生まれ。成蹊大学文学部卒。’89年「わたしのヌレエフ」でフェミナ賞を受賞し、デビュー。’04年『潤一』で島清恋愛文学賞を、’08年『切羽へ』で直木賞を、’16年『赤へ』で柴田錬三郎賞を受賞。『あちらにいる鬼』『百合中毒』『生皮 あるセクシャルハラスメントの光景』『小説家の一日』『照子と瑠衣』など著書多数。

みんなひとりで抱えているものがある。だから孤独は身近なんです

この気持ちは誰にもわかってもらえない──そんな思いにさいなまれた人たちをクローズアップし、日常の裏側にある孤独を短編集『錠剤F』で描いたのが実力派作家・井上荒野さん。10の物語の主人公はみんな、私たちがどこかで会ったような人たち。どれを読んでも彼や彼女の悲痛な声が胸に響いてくるようだ。

「よく“夫は私の言い分を聞いてくれない”とこぼす女性がいますが、個々を深く探ると同じ言葉を口にしてもひとりで抱えているものの中身はみんな違う。そういう“ひとりひとり”を書きたいといつも思っています。今回考えたのは身近に潜んでいる孤独や誰もがそうなる可能性のある孤独をテーマにしてみたいということでした」

コロナ禍で世間から取り残されたように感じる老女、卑屈なほど自己評価が低い若い女性、移住先での商売の仕方に悩む30代の男性、ネットがらみの問題で夫を疑う中年女性……主人公の状況はさまざまだが、そこから透けて見えるのは私たちが生きる、今、この時代。

「移住地での人間関係の話が2編ありますが、私自身地方に移住して気づいたのは人と人との距離感が長年暮らしていた東京とは違うこと。親切なことも多いけれど、距離のつめ方が急なときがあるんです。私が書きたいのは起きたことそのものではなく、何かが狂ったときに生じる不安定な空気やゆがんでしまった風景。特に短編はその切り取り方を考えるのが書いていておもしろいですね」

みんなひとりで抱えている ものがある。だから 孤独は身近なんです

錠剤F』の印象をダークな黒だとするなら、同時期に発売された井上さんのもう一冊の短編集『ホットプレートと震度四』(淡交社)の印象は明るい白。こちらはキッチンまわりの道具をモチーフに9つの人間模様を描いたもので、読むと心も体も自然と温まってくるようだ。

「執筆中は食と道具にまつわる記憶をたどることが多かったのですが、イヤな思い出があまりなくて。昔から私は食べることが好きで、いつも機嫌よく食べたいと思っているからでしょうか。私の中にも一応ある“白荒野”が発動してできたのがこの本です(笑)」

黒荒野と白荒野。2冊あわせて読んで感じるのは、井上荒野という作家の振り幅の広さ。そして、完成度の高い短編の世界に没入することでさまざまな感情を味わえる喜びだ。

「小説は短ければ短いほど書くのがむずかしい。失敗するとあらすじや小話みたいになってしまうんです。まったく違うタイプの短編集を同時期に出すことになりましたが、『錠剤F』を読んで“暗くて怖い”と思ったかたは『ホットプレートと震度四』を読んでみていただければ。2冊とも人間を書けたという手応えを感じています」

『錠剤F』

『錠剤F』

バイト先のコンビニで青年が女性客から意外な頼み事をされる「ぴぴぴーズ」、夫婦で営む定食屋に理解困難な苦情がもたらされる「あたらしい日よけ」、女性ふたりがある目的のためにネットで知り合った男と待ち合わせる表題作など10編を収録した短編集。集英社¥1,980

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