心のみずみずしさは、死ぬまでなくならない【作詞家 松本 隆インタビュー《前編》】

メロディに乗せたラブストーリーの数々は、時代を超えるマスターピース。今も新たな風景を探す希代の作詞家・松本 隆に聞く、大人の人生、その軌跡の描き方。キャリア絶頂期に決断した活動休止、活動50周年を迎えて起こしたアクションなどについて語っていただいた。

自分と相手がいてラブソングになる。僕の歌詞には、いつも物語があった

作詞家 松本 隆さんインタビュー ポートレート

半世紀の創作生活を経て「風街」をめぐる旅へ

メロディを聞けば、その詞は自然に唇からこぼれ出る。

春色の汽車。髪に挿すジャスミンの花。高原のテラスで書く手紙。ペアのスニーカー。机に彫られたイニシャル。曇りガラスの向こうの街。時を渡る船。水平線から放たれる光の矢。次々と浮かぶシーンは、まるで語り慣れた思い出のようだ。私たちが恋を、愛を、人生を知る前からその存在とありようを示してくれたのが、松本隆さんが書く歌詞の物語だった。

「自分がいて相手がいて、ラブソングを書くとすると、そこには物語が必要になる。最初に歌詞を書いたころから、僕の作品には常に物語があったし、それはずっと変わらない。たぶん、生来もっているものなんだろうね」

発表した作品は現在までに2100曲以上。松田聖子、斉藤由貴、薬師丸ひろ子など数々の歌手を時代のヒロインにし、寺尾聰の『ルビーの指環』をはじめとする国民的ヒット曲を生み出してきた人。かつてチャートを追いかけながら夢中で聞いた音楽は、今やストリーミングサービスを通じて世代や国籍を超えて共有するものになり、松本さんの生み出した歌詞の世界はより多くの人々に愛され、浸透している。

その物語に大きく影響しているのが、舞台設定。実在の都市や地名が登場しても、どこか現実の猥雑さのないクリアな世界観は、作詞家になるずっと前に松本さんの中に築かれた、ある設定に由来しているのかもしれない。恋と音楽に浸った青春時代を描いた自伝的小説に、こんな一節がある。

〈新学期が始まった日、地図帳を広げて、青山と渋谷と麻布を赤鉛筆で結び、囲まれた三角形を風街と名付けた。それはぼくの頭の中だけに存在する架空の街だった〉(『微熱少年』)

東京・青山に生まれ育った生粋のシティボーイ。10代から音楽と同時に詩や小説に親しみ、独自のポエジーを育ててきた松本さんの目には、常に風街で展開する物語が映っていた。

高校時代から音楽活動を始め、’70年代、細野晴臣、大滝詠一、鈴木茂とともに結成した伝説のバンド「はっぴいえんど」のドラマー、作詞担当としてデビュー。のちに作詞専業となり、数多くのヒットソングを書いたのは周知のとおりだが、’20年に活動50周年を迎えたのち、松本さんは思いたってひとつのアクションを起こした。

それは、作品が生まれる舞台となった街をめぐり、記憶を掘り起こすこと。昨年出版された『松本隆と風街さんぽ』に収められたのは、青少年時代を過ごした南青山や渋谷を皮切りに、歌詞に描かれた風景と自身の半生の輪郭を重ねてたどった旅の記録である。

「それなりに年もとったことだし、一度、過去を振り返って点と点をつないでみたいと思ったんだ」と松本さん。訪ねる場所ごとに、歌詞の生まれた背景や当時の心境が語られるが、ユニークなのは、時に物語の風景が、思わぬところへ飛んでいったエピソードだ。

例えば、こんなふうに。
「聖子さんの『マイアミ午前5時』は、最初は“湘南の午前5時”だった。でも、それだとなんだか暗いんだよ。歌詞に書いたブルーグレイの海が、まるで日本海みたいで。それで、『ちょっと考えさせて』とレコーディングスタジオのロビーに出て歌詞を読み返し、湘南をマイアミに変えた。そうしたらパッと明るくなって、『これはいい』って」

思えば、松本さんの歌詞によって世界地図にポイントされた場所は、ほかにいくつもある。大滝詠一の名盤である『A LONG VACATION』に収められた『カナリア諸島にて』で、この大西洋のリゾートアイランドの名を知った人は多いはずだが、詞を書いたとき、松本さんにとっても、そこは未踏の地だった。

「高校生のころに読んだ小説で、バーを訪れた船乗りがマスターにどこへ行っていたのかをたずねられて、カナリア諸島だと答える場面があって、へぇ、そんな島があるんだと。それがずっと心に引っかかっていて、大滝さんのつくったメロディを聞いたときに、よし、カナリア諸島でつくってみようと思った。その後、実際にカナリア諸島に行ってみたら、海に向いたテラスはあるし、防波堤に縁取られた道もちゃんとあった。サウンド感もぴったりで、まさに歌詞そのものでね。薄く切ったオレンジを浮かべたアイスティー? あれは僕の発明。レシピに印税があったら、今ごろ億万長者になってたな」

【作詞家 松本 隆インタビュー】前編 ポートレイト_02

キャリア絶頂で小休止。慣れや甘えを捨てて

バンド仲間との思い出が宿る世田谷、王子。何度も歌詞の舞台となった鎌倉、葉山。別荘にこもって仕事に励んだ軽井沢。振り返る機会がなかったのは、多忙を極めていたからだ。’75年に大ヒットした太田裕美の『木綿のハンカチーフ』以降、依頼は引きも切らず、’80年代前半にはチャートの上位を独占するほどのヒットメーカーになっていた。

「忙しすぎて食事をする暇もないし、『今寝たら明日のレコーディングが飛んでしまう』と思うと寝られないよね。曲づくりはミュージシャンやスタッフとの駅伝みたいなもので、最終ランナーの僕がゴール前あと10メートルのところで転んでどうする?という毎日。だからかな。僕はきっと、そんな自分を変えたかったんだろう」

キャリアの絶頂期にあった’89年、松本さんは突如、活動を休止。40代にさしかかったばかりでの休業は周囲を驚かせたが、決意は揺るがなかった。

「その直前、バブル景気全盛で日本全体が浮き足立っている感じだった。音楽業界でも、ヒット曲が生まれる枠組みが変わりはじめて、ここでこのまま走り続けても自分のためにならないんじゃないかと……それで、小休止。正解だったと思う。力尽きてからじゃ小休止にならずにそのまま終わってしまうけど、僕にはまだ余力があったから」

心のみずみずしさは、死ぬまでなくならない。誰だって毎朝、新しく生まれているんだから

作詞家 松本 隆インタビュー ポートレイト_01

時間に余裕ができた松本さんが目を向けたのは、日本や西洋の古典芸術。

「’70年代、’80年代と、常に新しいものを追い求めてきて、自分に足りないものは何かと自問自答したとき、僕には古典が足りないと思った。それで、東洋西洋問わず、古典に傾倒したんだね。だって、能や歌舞伎って、全部見ようと思ったら朝から晩までかかるじゃない? クラシック音楽にしても、当時はクライバーやバーンスタインなど、世界中の指揮者の公演を日本で見ることができた。それだけは、バブル時代のいいことだったかな」

その経験は、のちにクラシック音楽や古典芸能にかかわるなど、松本さんの創作に新しいページを開かせたが、ポピュラー音楽界からのオファーはやまず、’90年代半ばに活動を再開。

「創作者として賞味期限が切れていないか」不安をもちながら、’97年にKinkiKidsのデビュー曲として提供した『硝子の少年』は、それまで自身最大のヒットだった『ルビーの指環』の記録を更新した。数字としての快挙もさることながら、ベテランの域に達した作詞家が、若者の恋の哀切を表現し、多くの人の心を打ったという事実。改めて、その精神のみずみずしさに感じ入る。

「みずみずしさは、自分で気をつけていればなくならないものだと思う。たぶん、死ぬまでね。もしなくしてしまうとしたら、慣れとか甘えとかから。だって、誰だって毎朝、新しく生まれているようなものじゃない? 僕はいつも、起きるたびに『ああ、今日も生きていてよかった』と思う。常に感謝の気持ちを覚えるんだ」

松本 隆
作詞家
松本 隆
作詞家

まつもと たかし●’49年、東京都生まれ。’70年、ロックバンド「はっぴいえんど」のドラマー、作詞担当としてデビュー。これまでに2100曲超の作詞を手がけ、’17年に紫綬褒章を受章。’20年のデビュー50周年、’25年の同55周年にはライブやイベントの開催、トリビュートアルバムのリリースなどが相次いだ。

撮影/三部正博 ヘア&メイク/廣瀬瑠美 取材・原文/大谷道子 ※エクラ2026年5月号掲載

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