20代の出産で14針も縫う会陰裂傷に。体重24kg増、尿漏れ、便漏れ…壮絶なトラブルを体験【私が「ちつ姉」と呼ばれるまで。膣プランナー 山口明美インタビューvol.1】

通称「ちつ姉」。日本初の「膣プランナー」として活動中の山口明美さん。婦人科系不調に悩まされる独身時代、出産時の会陰裂傷で尿漏れ・便漏れ。さまざまなトラブルを膣トレと膣ケアで乗り越え、次の世代にフェムケアの重要性を伝える今。山口さんが「ちつ姉」と呼ばれるまでの壮絶な経験と、そこから学んだ大切なこととは…。

婦人科トラブル多発のバリキャリ時代〜第二子出産の会陰裂傷

山口明美さん
やまぐちあけみ⚫︎株式会社3FACE代表取締役。日本初の膣プランナー。エステティシャンから始まり、美容業界で25年のキャリアを重ねる。婦人科系疾患や出産時の会陰裂傷を経験し、産後の膣ケア・膣トレで不調を回復。娘世代にもフェムケアの正しい知識を伝えたいという思いで独立。「膣」についての教育、商品開発、セミナーなど幅広く活動。著書に『膣ケアで健康になれるって本当ですか?』、フィットネストレーナーAYAさんとの共著「最高のフェムトレ』など。
─独身時代は、デリケートゾーンとどんな向き合い方を?
「フェムケアとも膣トレともまったく縁のない人生でした。19歳でエステティシャンになり、その後は美容関連の営業と、とにかくひたすら仕事に追われる毎日。実は学生時代から生理痛がひどく毎月鎮痛剤で痛みを止めるのが習慣になっていましたが、女性にとってはそれが当たり前と思っていたんです」

─その後、ピルを服用するようになったとか。
「毎月の生理痛やPMSがあまりにひどいので、21歳の時に婦人科を受診してみたら、子宮内膜症と子宮筋腫があることがわかり。その後、5.5cmの卵巣チョコレート嚢胞が発覚。小さくするための治療として、中容量ピルの服用を始めたのですが、体に合わず嘔吐を繰り返していました」
─それでも変わらず仕事を?

「そうですね。大好きな美容に関わる仕事が楽しかったし、営業成績もよく会社に貢献できている自負もあったし。当時は、生理痛で休むなんて選択肢はなく、ほかの治療法を探すという発想もなかったので、ひたすら我慢していました。きっと周りの女性も同じようなもの。女って本当に大変だけど仕方ないよね、という思いを抱えながら……」

─結婚をされて、26歳で初産。年子だった第二子の出産で事件が起きたそうですね。
「一人目は出生児体重が3,600gで、女の子としてはそれなりに大きい方でしたが、会陰も2針縫う程度の安産。2ヶ月で仕事に復帰しました。翌年の二人目の妊娠では、私自身の体重が24キロ増えて腹囲は122.5cmまで広がり、どうやら子宮がどんどん大きくなってしまう体質だったようです。赤ちゃんの出生時体重は4,000g近く、しかもとても肩幅の大きな子で、肩が引っかかってなかなか降りてこれなくて、陣痛が始まってから34時間という超難産に。医師から、赤ちゃんが危ないからごめんね、と言われ、鉗子分娩になったのは覚えているんですが、そこからは痛すぎて記憶がなくて…。意識が戻った瞬間から膣周りがジンジンして、無事に出産はしたものの、膣から肛門の向こうまで裂け、14針縫う会陰裂傷に」。
日本初の「膣プランナー」山口明美さんインタビュー風景
─14針ってかなり大きな傷ですよね。
「外傷もひどいものでしたが、骨盤底筋まで切れてしまい、機能的にもボロボロに。一番ひどかったのは、尿漏れです。トイレに行こうと思った瞬間にジャーッと漏れる、切迫性尿失禁。お尻の穴まで切れているので力を入れることもできず、便も浣腸を入れて出す状態で、2ヶ月たってもオムツがとれず。会陰の痛みもひどく歩けない状態のまま1週間で退院しましたが、食事もまともにとれず、母乳は出ないし、髪は抜けるし、地獄でした」。

─ご主人はなんと?
「産後はさすがに、ひどい傷だね、と驚いていました。その頃は、シモの話を夫にするのは恥ずかしくて、尿漏れや便漏れでオムツをしていることも知られたくない、と思っていたので、自然と心の距離も離れますよね。私自身、傷部分を見るのも触れるのも嫌で、夫とはセックスレスになり、7年後に離婚しました」
─人生が変わりましたね。治療はできなかったのでしょうか。
「当時はこれといった治療法はなかったようです。出産した大学病院にいくら訴えても、ステロイドの塗り薬を処方するだけで、リハビリするしかない、と。日本は先進国なのに、産後ケアが何一つ進んでいないんですよね。その現状にもびっくりしました」。
インタビューvol.2に続く
取材・文/片岡えり 撮影/柳香穂
  • 【私が「ちつ姉」と呼ばれるまで。膣プランナー 山口明美インタビューvol.3】

    【私が「ちつ姉」と呼ばれるまで。膣プランナー 山口明美インタビューvol.3】

    独身時代の婦人科系不調、出産時の会陰裂傷で尿漏れ・便漏れ。2ヶ月オムツが手放せないという大トラブルを膣トレと膣ケアで乗り越え、人生がポジティブに動き出した山口明美さん。次の世代にフェムケアの重要性を伝える山口さんが「ちつ姉」とよばれるようになったきっかけは、実は意外な人の発案でした。

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