親との別れ方

母の旅立ち。私なりの別れ方。
母が心不全で入院し
手術をしましたが、92才で他界しました。
入院期間は1か月半でした。

後悔はたくさんあります。
告知の問題、手術をするかしないか
もっと言えば、もう少し一緒に居れば良かった。など、
後悔はきりがありません。
きっと、どのような選択をしても後悔が残るのだとは思います。
亡くなってから告別式までは
兄が式場の手配などを済ませ
母は病院からそのまま斎場に運ばれました。
私は写真の印刷をし、斎場に持って行き
次の日には湯灌をし、翌日はお通夜、そして告別式。
あっという間の4日間でした。

湯灌に立ち会うのは初めてのことでした。
ずっとお風呂に入れなかったので
綺麗にしてあげたいという気持ちがあり、湯灌を決めたのですが
私が気になっていたのは母の爪。
母はいつもマニキュアの色が派手で
娘が「ばぁば、爪がギャルだよ」なんて言って
みんなでよく笑っていました。

入院でマニキュアを落としてしまったので
湯灌の時、手足の爪にマニキュアを塗ってあげました。
兄も姉も私がマニキュアを持ってきたことを驚いていたけど
子供、孫、ひ孫、その場にいたみんなが笑顔になれた瞬間でした。
マニキュア
お通夜の日の朝
市場に行って母の好きな花を買い
母が見たがっていた、私の家の紫陽花を切り
花束を作り、斎場に持って行きました。
祭壇にはたくさんの花がありますが
母の好きな花を棺に入れたかったから。

日持ちの問題や伝統的なことで菊が多く使われますが
持参する花なら、日持ちの問題をそこまで気にすることは
ないですから、母の好きな花を選べます。

花束は見えるように、ペーパーラッピングをせず
セロファンだけで包みました。
茎を保水するためのステムティッシュはアルミホイルで
包むと棺に入れられないのでセロファンです。

花束は棺の上に置いてくれました。
紫陽花のブーケ
亡き母へ送った花束
母の兄弟や父方の親戚はもういないのですが、
甥や姪(私のいとこ)が斎場にお通夜から泊まってくれました。
この年になると、お祝い事で会うことより
お見舞いや葬儀で久しぶりに会う事の方が多いですね。

そして、最後のお別れの時に
祭壇の花と一緒に母の洋服や書籍、御朱印や
母の好きだった人形、祖父母と伯母の写真を入れ
作った花束は少し大きかったので足元に。
私の母との別れ方は、母のためと言いつつ
自分のためだっとと思います。
後悔がたくさんあるから、少しでもその後悔を
消したいのかもしれませんし
自分の気持ちをごまかしたいのかもしれません。
ですが、
もう、死期が近いなという時
喋ることも出来ず、目も見えてなかったけど
苦しがる母の言いたいことを理解し
体勢を変えてあげたり、足や背中をさすり
オムツが汚れたと訴えるので、看護師さんに
急いで変えて貰ったり。
声が出なくても、母の言いたいことをわかってあげられたこと
私が声をかけると、一生懸命に目を開けてくれたこと
最後の最後まで、親子の絆を確認をすることが出来たことが
私の後悔や喪失感を少し和らげてくれるものになっています。
それから、親の死を悲しめないという人もいると思います。
私は父の死がそうでした。
ですが、父の死が一つのきっかけになり
目を向けてこなかった自分の気持ちと向き合うことができました。
数年前のエクラで
「どう受け止める?いつか必ずくる”親との別れ”人それぞれの別れ方」
というのがありました。
私は母が亡くなってから、読んだので
もう少し早く、読んでおけば良かったな。と思える内容でしたよ。
リンク貼っておきます。
↓↓↓
成田山
成田山新勝寺の亀の石。母は見事に1円が亀の上に!私は何度やってもダメでした。
沢山、一緒に旅行に行ったし
母が東京を離れる10年程前までは
外食はいつも母も一緒だったこと
母が祖母と約束していたのに
行けなかった成田山へ連れて行くことができ
90を過ぎた母が泣いていたことや
浮腫んだ足をマッサージしてあげたら、凄く喜んでくれたことも
野草摘みを楽しんだこと
沢山の思い出を振り返りながら、母のいない夏を
静かに迎えようと思います。

Naomiでした。
Follow Us
Naomi

Naomi

東京都在住。千葉県との二拠点生活です。社会人の息子と2人の娘がいます。愛犬とのカフェ巡り、花とハーブ、自然が大好きです。自分の好きな事や好きな物を発信できたらと思っています。

Instagram:naomi_flowers.harbs

What's New

Feature
Ranking
Follow Us