告知を受けたあと、決断の連続だった。精神的に疲れた私を両親が連れ出してくれ、一眼レフで花を撮っていた。
(2012年、36歳で乳がんになったときの回想録を書いています。「乳がん」は細かいサブタイプに分かれていますし、治療法は人それぞれ。10年以上前のことですから、医療的なことはあまり書くつもりはありません。心境、精神的な面がどなたかの参考になれば、と思い書き始めました)
前回までの回想録は下のリンクから。
がん告知後は「世界が灰色に沈む」なんて、そんな暇もなかった
乳がんの告知を受けた日から、世界が灰色に沈んだ──なんてドラマのようなことはない。現実はもっと容赦ないのだ。
まず、告知直後「セカンドオピニオンを考えるにしても手術はいっぱい埋まってるから、とりあえず手術の日を決めちゃいましょう」と主治医から言われ、すぐに手術日が決まった。
その後、針生検。
腫瘍の性質を詳しく調べ、私は「トリプルネガティブ」というタイプだとわかった。
ホルモン療法も分子標的薬も効かない。だから、抗がん剤治療しかないし、それがうまくいかなければ、延命治療しかないと言われた。
でもショックを受ける暇さえなかった。
治療を受けるか、そもそも手術をするかさえ、患者の決断に委ねられている。
インターネット、書籍、雑誌…、情報をかき集めた。
治療を受けることを決めると、今度は副作用の対策として、ウィッグ購入を検討したり、食べ物のことを調べたり。一つ一つ、慎重に調べ、決断する日々だった。
調べなければ。決めなければ。
そのプレッシャーは精神的にきつかった。
2012年5月の大宮花の丘農林公苑のポピー。闘病中に撮影
そんな中、そっと私を外の世界に連れ出してくれたのは、両親だった。
「今日は、花を見に行こう」
寒さの残る空気の中、私は一眼レフカメラを手にしていた。
ちょうど梅の花が咲き始めたころだった。枝先に、ふっくらと膨らむ蕾。カメラを通して花を見つめると、花は心に希望を残してくれる。
次第に、梅は桜へ。
気付けば春がやってきていた。
以来、精神的な安定をもたらしてくれたのが、「花」に。どんなときも果敢に咲く花を見て、癒されるだけではなく、生きる力をもらった。
そして、迎えた4月14日。
手術の日。
がんサバイバーにとって、手術日は「セカンドバースデー」と呼ばれる特別な日だと後から知る。私にとっては、生きる象徴の日となった。
それから12年経った昨年。
私は、4月14日に開業届を出した。
あの日の自分に、今の私からエールを送るつもりで。
「よくここまで来たね」と。