時の積み重ねをポジティブにとらえ、しなやかに生きているエクラ世代の女性たち。世界を舞台に戦ってきたテニスプレイヤーの伊達公子さんもそのひとりだ。前中後編の前編では、2度にわたるプロへの挑戦について伺った。
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2つの輝かしいキャリアと2度目の引退
ビュッとラケットが空気を切り裂く音。鍛えられた腕の筋肉が美しい。引退したとはいえ、体はアスリートのままだ。
「すごくトレーニングをしているように思われますが、実はそうでもなくて。30分ほどアップなどをしてからパーソナルで1時間みっちりやったあと、皇居を一周。これを週2回やるのみで、それ以外の日は腹筋10回すらしていません」
世界ランキング最高4位、当時世界1位のシュテフィ・グラフとの伝説に残る戦いなど、数々の輝かしい記録を打ち立てた伊達公子さんは、絶頂期だった26歳のときに惜しまれながら引退した。
「10代、20代をテニス漬けで駆け抜けてきたので、引退して2年半くらいはラケットを一度も握ることなく、ほかの人の試合もいっさい見ませんでした。茶道にペン習字、着付けと、青春を取り戻すかのようにそれまでやりたくてもできなかったことを次々とやってみたので、テニスに費やすすき間はなかったですね。あとは夜遊び。といってもかわいいものですよ。女性のグループで、当時私はお酒を飲まなかったのでお茶だけ。現役のときは夜、友だちと食事していても次の日の練習が頭の片隅にずっとあったので、そういったプレッシャーや葛藤からようやく解放されて、朝まで楽しんでいました」
2001年にドイツ人レーシングドライバーのミハエル・クルムさんと結婚。その7年後、37歳で現役復帰を宣言して世界を驚かせた。
「世界で活躍する日本人プレイヤーがどんどん減っていって、若い選手たちに刺激を与えたい、それには言葉よりも同じコートに立ってボールを打つほうが伝わりやすいんじゃないかと思ったのがきっかけでした。結局、自分のテニスを追求することになってしまったのですが(笑)」
26歳までのファーストキャリアと、37歳で挑戦したセカンドキャリアとでは、どんな違いがあったのだろう。
「テニスとの向き合い方が根本的に違いました。ファーストキャリアはランキングにこだわっていたし、勝つことも多かった。その半面、ツアーが苦痛で苦痛でしょうがなくて、その中でいかに自分らしさを保てるかを模索していました。海外に行っても常に日本食レストランを探していましたし、ツアーとツアーの間が3日あれば日本に戻ってきていました。だけどセカンドキャリアでは、すべてがチャレンジだったにもかかわらず、ツアーを思いきり楽しみました。食事も現地の郷土料理を楽しみ、和食はほとんど食べなかったですね。少しお酒を飲めるようになっていましたから、試合前の食事でもお酒を1、2杯楽しむこともできたし、外国の文化、人、食のすべてを楽しんだという感じ。日常の中でのスイッチの入れ方、抜き方の感覚がわかるようになったのが大きな違いです」
「以前は黒か白だけだったのが、グレーもありと思うようになりました」
そういった変化は、年齢を重ねることによって習得したものなのだろうか?
「そうですね。以前は黒か白かだけだったのが、いろんな考え方、とらえ方があってグレーもありなんじゃないかと思うようになった。あと、結婚によって海外の文化に触れて視野が広がったことも大きい。試合でいろんな国に行くことはあっても、生活の部分で日本人以外の感覚に直接触れることがあまりなかったので。結婚を機に人生観や生き方自体が変わり、そこに年齢や自身の経験が重なってさらに変わったという感じです」
ファーストキャリアに比べると「負けることが多かった」という伊達さんだが、全日本での優勝をはじめ、韓国オープンでの優勝、’15年にはダブルスのランキングは28位になって自己最高を更新した。37歳から約10年間でのこれほどの活躍ぶりは、常人ではとても考えられない。’16年に膝の手術を受け、リハビリを経て復帰。しかし、翌’17年にセカンドキャリアにピリオドを打つ決断をし、2度目の引退を発表した。
振り返ってみて、ファーストキャリアをやめなければよかったと後悔したことはなかったのだろうか。
「うーん、後悔したことはないんですけど、若かったな、とは思います。携帯電話などもなく、ネット環境も発達してなかった20代前半では、あれがいっぱいいっぱい。あのころ30代のメンタリティがあったら、もっとやりようがあったと思うけれど、あの年齢と状況だったらしかたないなと思うので、後悔はないですね」
(中編へつづく)