横浜元町に出現した、 新しいアートワーク
26年9月8日、山本容子さんの新しい作品がお披露目された。場所は美術館ではなく、個展会場でもない。神奈川県横浜市にある元町通り、その中程にある『近澤レース店』元町本店だ。125年ぶりに改装され、新しい店舗の入り口両サイドに山本さん制作のステンドグラス、そして入ってすぐの床面にモザイクアートが設置されたのだ。
生まれ変わった『近澤レース店』元町本店前で、近澤匡祐社長と山本容子さん
「今回のアートは、銅版画、ステンドグラス、モザイク画、真鍮の鋳物。私のクラフツマンシップを総動員して作り上げたものです。もちろん私ひとりで作ったわけじゃなく、ガラスを切ったり貼り合わせたりしてくれる、一流のプロフェッショナルたちとの、技のコラボレーションの集積です。ぜひお店に足を運んで、直にご覧いただきたいですね」
エントランスの左右の窓を飾るステンドグラス
床に配されたモザイクアート『白バラと王さま』
山本さんのアーティストとしての活動は、ダイナミックでスケールが大きい。専門の銅版画は緻密で繊細な平面のアートだけれど、そこからさまざまな分野に枝葉を伸ばしている。
もう19年もの長い間、エクラの毎年のカレンダーを彩ってきた。さいたま市鉄道博物館や東京メトロ副都心線新宿三丁目駅のステンドグラスも有名だ。待合室や診察室、病室を居心地のよい空間にするホスピタルアートでも、日本各地の病院で実績を残してきた。村上春樹氏の著作とのコラボレーションをはじめ、文学との融合を目指した装丁の分野でも、第一人者だ。
「銅版画はもう50年取り組んできて、私なりに究めてきました。20年くらい前、2005年からアートインホスピタルを手がけるようになって、そこから空間というものを考えるようになったんです。今ここにいるこの場所には、光は絶対に必要なのね。その光を電気の人工光に求めるのか、太陽光に求めるのか、ということでも表現は違ってくるし。そんなことをいろいろ考えていたら、次から次にアイデアが湧いてきてしまって(笑)」
歴訪して学び続けた空間アートの醍醐味
かつて20代から30代、機会さえあればヨーロッパはじめ世界各地に旅をして、さまざまなアートに触れた時期があった。行く先々で、ステンドグラスも数多く見てきた。
「シャガールにしてもジャン・コクトーにしても、みんなステンドグラスを使って仕事をしているんです。私もいずれステンドグラスそのものを素材としてやりたいと思っていました。私はマチスが好きだから、フランス南部にあるヴァンスの教会には何回も足を運んで。そうやって知識を貯め込んできたのね(笑)」
晩年のマチスが4年の歳月をかけて作り上げた、ロザリオ礼拝堂。自ら『生涯の傑作』 と称したくらい、精魂こめて作り上げた空間だ。
「でもあれは厳密に言うと、ステンドグラスじゃないんです。グリーンと黄色の色ガラスをはめ込んであるけれど、そこに絵は描いていないから、モザイクガラスなんですよ。白いタイルの壁にさしこむグリーンと黄色の光、マチスはそれが見たかったのだと思う。
ステンドグラス(staind glass)のステイン(stain)は、本来〝汚す〟とか〝染色する〟という意味なんです。汚すというのはつまり、絵を描くということ。鉱物とガラスの粉で作った中世の絵の具のようなグリザイユというもので描くんだけど、これがとても描きにくい(笑)。思い通りにはなかなか描けないんです。それでも面白くてね。描けないってことは、いつかは描けるってことだから」
その後、彼女が手がけたさいたま市鉄道博物館のステンドグラスは縦3㍍横10㍍、東京メトロ副都心線新宿三丁目駅のステンドグラスは縦2.6㍍横8.1㍍の大作。他にもいくつか、ステンドグラスの作品を作って来た。そして今回、「近澤レース店さんから、新しい店舗になにかアートワークを作って欲しいというご依頼をいただいて、ひらめいたのがステンドグラスで何か新しいことができないかな、ということでした」
半分見えて半分見えない。だから覗きたくなる
テーマは〈レース〉。だったら何を作ろうか。山本さんが最初に連想したのが、シェイクスピアだった。
「シェイクスピアの戯曲から私、いくつも作品を作って来ましたから。17世紀、イギリスのエリザベス一世のあの時代の肖像画を思い浮かべると、みんなレースのカラーをつけている。エリザベス一世も公爵も男爵も王様もみんな、カフスや襟元にいっぱいレースを着けているんです。みんな気品があって、キリッとしているの。あの時代、性別を超えて、家柄とか品格を表すのに必要な素材だったのでしょうね」
だとしたら、この時代を舞台にして、何を描こうか。次にひらめいたのが、『真夏の夜の夢』。シェイクスピアが活動初期に書いたコメディタッチの作品だ。今もなお世界中で愛され、上演され続けている名作でもある。
ステンドグラスに描いた『真夏の夜の夢』の原画
「大好きなんです、この作品。夏の夜、森の中で妖精の王様と女王様が夫婦ゲンカをしているところから始まって、そこにお芝居の練習をする人間たちとか、オッチョコチョイで生意気な妖精パックとか、禁じられた恋人たちが入り乱れて、とても魅力的。近澤レース店を森に例えたら、そこに入ってくるお客さまたちはそこで、ロマンスとかいろんなものに出逢えるわけでしょう?」
実際の光のもとでガラスの色を確認しながら選ぶ
信頼する職人と相談しながら作業を進めた
切ったガラスをつなぎ合わせていく
インスピレーションを下書きに写してデッサンから出発し、2枚のステンドグラス全体を構成しながら、下絵を描く。ガラスを選び、色を決め、着色やグラデーションを指定する。切られたガラスをつなぎ合わせ、そこに絵を描き、要所要所に加工を施す。たくさんの工程を、今年春先から夏にかけて工房に通い、ひとつずつ丹念にクリアしていった。
モザイクタイルの作家と相談しながら、石の繊細な配色を決めていく
制作風景。『白バラと王さま』の原画と
近澤レース店の旧店舗で使用されていた大理石も砕いてモザイクの一部に
さらに店に入ってすぐの床面に、大きなモザイク作品『白バラと王さま』も制作している。
「まず真鍮で直径1.2㍍の冠を作って、その中に大きな白バラがゆったりと時を刻んでい く絵を描きました」
その中には、取り壊した旧店舗の玄関にあった大理石の一部も使われている。近澤レー ス店の歴史へのレガシーを、金箔を挟んだガラス(スマルトガラス)はじめさまざまな石の組み合わせで表現しているのだ。そのモザイクを踏んで店内に入るとき、顧客はみんな 悠久の時の流れを感じるはず。
「波多野睦美さん、私の好きなメゾソプラノの歌手ですけど、彼女が中世の古歌を歌って いるのが素晴らしくて。彼女の歌声を聞きながら制作しました」
壁ではなく、あちらとこちらをつなぐアート
夜は店内の光がステンドグラスを照らし、街の中に浮かび上がる
だけどアーティスト山本容子は、シェイクスピアの時代だけを追いかけていたわけじゃない。ステンドグラスの新たな可能性を追い求めても、いた。
「ステンドグラスって、壁なんです。従来のものはこちらから見上げるだけで、外界から遮断されているのね。でもレースとはなにか、というのを突き詰めていくと、半分見えて、半分見えない。女性がレースを顔の前にかけているとだからミステリアスに見えるし、どんな顔か見たくなって、覗き込みたくなるでしょ? その、向こうを見ようとする気持ちを、作品に取り入れることはできないかなって考えたわけです」
ステンドグラスの弱点を、長所に変える必要がある。
「そこで今回私、大実験をしました。ステンドグラスの真ん中に素通しのガラスを取り込んだんです。そうすると向こう側の景色が見える。周りに描いた絵の、その物語の中に、現実の風景が取り込まれるんです」
ステンドグラス越しに、店内の様子がのぞけるように透明なガラスが組み合わされている
実際に設置されたステンドグラスを見ると、彼女のその意図がよくわかる。近澤レース店の、通りに面した壁に設置されたステンドグラスは、通りから店内を覗き込むことができる。そして店内からも、行き過ぎる人たちが見えている。現実と絵の世界が、見事に融合している。
「だからこの作品は、いつまで経っても完成しないで、常に変わっていく。雪が降ったり雨が降ったりするたびに、森の風景は変わるから」
同時に、店内のディスプレイが変わるたびに、外から見えるものも、変わっていく。
「これ、マチスも思いつかなかったことでしょ?(笑)」
この発見、この着想、この成果は、彼女自身の今後にも、大きな影響を及ぼすようだ。
「これから私はこれをやるの、死ぬまで。もう決めました。那須にある私のアトリエの側に、ステンドグラスも制作できるアトリエを建てることにしたんです。ずっと、やります」
そして既に、次のステンドグラスを制作することが決まっている。今は未だ構想を練っている段階だけど、新たな作品発表へのカウントダウンは、もう始まっている。
近澤レース店がこれからどんな店になっていくのか。山本容子さんの次なるアートはどこに向かうのか。半分見えて半分見えない、ステンドグラスの真ん中から、これからもエクラは覗いていきます。
SHOP INFO
「近澤レース店 元町本店」
住所:神奈川県横浜市中区元町三丁目119番地
TEL:045-641-3222
営業時間:10:30-18:00
公式サイト
撮影/荒木大甫、中西真基(店舗内観) 取材・文/岡本麻佑