3月11日に寄せて

震災直後の春、夫の転勤で仙台に行くことになりました。大阪に戻った今も思い出すこと…
2011年3月3日、夫に仙台行きの辞令が下りました。
けれど程なくして、あの大震災…
転勤は延期かと思いきや、ライフラインが復活していたため、移動は4月末に決まりました。

先に車で出発する夫を見送り、その後に退職した私はGW、ようやく飛び始めた飛行機で仙台入り。
空港に降り立って、想像していた以上の惨状に言葉もなく…
それでも暮らし始めて、少しずつ路上の瓦礫がなくなっていく様子に、ほっとしたものでした。
知り合いもいない初めての街、それも悲しい出来事に見舞われた地。
全てがそれまでの人生にはなかった経験でした。
一つ一つがくっきりと濃い輪郭のまま、今も蘇ります。
予定より短く、1年で私たち夫婦は大阪に帰ることになりました。
温かい出会いも沢山あった中で、最後に会ったのがKさん。
新築の家に引越されるまで、同じ官舎でお世話になった1つ上の女性です。

震災当日、お母さんと幼い息子さんと車で出かけた先で、黒く立ち上る津波を見たKさん。
生かされたことに感謝して、この命を大事に生きていきたいと話していました。
「あなたも頑張って生きててね。生きてたら、またきっと会えるからね。」
生きているって当たり前じゃないんだ。初めて知りました。
大阪に戻る私と、これからも仙台で生きる彼女が今度いつ会えるのかわからない。
でも命さえあれば、必ず会える。そのために私も頑張って生きよう。
人懐っこい笑顔と、きっと一生忘れないその言葉が、最後の思い出となりました。

震災から1年後に塩釜港で黙祷してから、毎年2時46分に手を合わせることにしています。
思いを馳せることしかできませんが、まだ風の冷たい彼の地に、一人でも多くの方に心を寄せてもらえたらと思っています。

カーネーションと霞草
yako

yako

大阪府在住。夫と娘の3人家族。おしゃれ、台所仕事、本 etc好きなものを自分の言葉で綴ります。

Instagram:yako_sugar

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