【50代 私がやめてよかったこと】心の専門家・禅僧 大愚和尚に聞く。心の解放とは?

重荷や執着を手放すために、そしてエクラ世代がより豊かに生きるために。どんな心がけが必要か、大愚和尚(たいぐ げんしょう)に聞いた。
禅僧 大愚和尚

禅僧 大愚和尚

大愚元勝(たいぐ げんしょう)●’72年、愛知県生まれ。540年の歴史をもつ禅寺、福厳寺住職。YouTubeのお悩み相談チャンネル『大愚和尚の一問一答』や習慣を変えたい人に道場を開放する「テンプルステイ」などの取り組みも。
「仏教では、悩みや執着の背景には無知があると考えます。自分の心や体について、そして世の中の真理について知っているようで知らない。あるいは、現実のありようから目を背けている。そんな無知の状態が悩みをつくり出すのです。例えば、50代にもなれば、顔にシワが刻まれ、体のあちこちが痛み、記憶もあやふやになるでしょう。52歳の私がまさにそうですが、私はそれを自然なことと受け入れています。認めずに抗(あらが)おうとするから、心が揺れる。もともと自分自身もこの世も、執着に値するものではないのです。真理に目を向けることが知恵となり、豊かに生きることにつながっていきます。執着から離れられないとしたら、“それがないと幸せではない”と思い込んでいるからです。お金、地位、仕事、若さ、ママ友……。“執着の風船”をいくつも持って懸命に握り、そのせいで苦悩から逃れられずにいる。手を放すことができるのは自分しかいません。自分の意思で風船を空に放ったとき、喪失感や悲しみより心の解放のほうが遥かに大きいと気づくはずです。執着を手放せば自由になります。実は『自由』とは仏教の言葉。『自』は自分、『由』はよりどころという意味があり、自分自身を頼りに生きなさいというブッダの教えです。自分以外の何かに寄りかかる生き方は、本当の意味での自信が育たず、苦しみを生むだけ。依存していたものを手放すことができれば、自分の核が定まって自分の足で立てるようになる。それが、真に自由になるということなのです。思考のクセ、生活態度、言葉、人間関係などは、これまでの習慣の積み重ねでつくられたもの。心と体にしみつき、ふだんどおりの生活をしながら手放すのは容易ではありません。強制的にリセットできるような引っ越しや転職ができれば一番ですが、模様替えをする、早寝早起きをする、悪影響を及ぼすものから距離をおくなど、小さな改革でも世界の見え方が変わり、気づきがあるでしょう。習慣は人格となり、人格は運命をつくります。悪しき習慣を断ち切り、よき習慣に変えていくことは私たちにとって〝修行〟なのです。インドには『四住期(しじゅうき)』という理想の生涯があります。学問を学ぶ『学生期(がくしょうき)』、家庭をもち、財をなす『家住期(かじゅうき)』、家も財も子に譲って修行に入る『林住期(りんじゅうき)』、托鉢で生涯を終える『遊行期(ゆぎょうき)』ですが、50代はちょうど林住期に入るころ。あらゆるプレッシャーから解放され、今後の生き方を静かに見つめ直す時期です。そんなことも頭の片隅におくと、心穏やかに過ごせるのではないでしょうか」
禅僧 大愚和尚

禅僧 大愚和尚に聞く、心の解放とは?

その一、執着するのは“無知”だから。世の中の真理を知れば悩まない

その二、真の“自由”とは、自分を頼りに生きること

その三、“習慣は人格をつくり、運命をつくる。悪しき習慣を捨て、よき習慣を身につけるのが“修行”

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