現在もリハビリのための病院通いが続いています。
先日その病院の(恐らく)有線から流れていたある曲が胸に刺さり、しかし曲名がわからない。
その他の曲のラインナップから2000年代前半のJポップであることは推測できるのですが、何しろインストゥルメンタルの為、歌詞から手掛かりを得ることもかなわず、それでも執念で探し当てました。
平原綾香さんの『明日』です。
元々旋律の美しさに惹かれたこの曲、平原さんの歌声でじっくり拝聴したところ、どうしたことか涙が溢れました。
それも恥ずかしながら号泣レベルのです。
音楽は好きで、これまでも様々な楽曲に感情を揺さぶられてきたものの、泣いたのは48年間生きてきて初めての経験です(多分)。
けれどその涙は心に詰まっていたものを浄化してくれるような慰めてくれるような、清々しさと優しさを含んでいました。
怪我をして数日後、病院のベッドで意識を取り戻した時、手も足も動かなくなってしまった私の体内にはたくさんのボルトが入っていました。
変わり果てた体で生きていくことを受け入れるのはなかなか難しく、身勝手な私は命が助かったことをとても運の悪いことだと感じていました。
この一年半、決して後ろ向きなだけではなかったですが、根底にはそんな思いがずっと流れていたのも事実です。
この歌を聴いた時、初めて自分視点から離れて俯瞰で今回の件を見つめることができました。
平原綾香さんの歌声、松井五郎さんの歌詞、アンドレ・ギャニオンさんの曲、この楽曲に関わったすべての人達の才能が創り出した4分間で、私は自分と対話をし、夫の視点に立ってみたり、息子の視点に立ってみたり、そうして強く確信しました。
私が生きて帰ってきたことは間違ってなかったと。
そして私の命を助けてくださり少しでも良くなるように関わってくださった方々に対し、2人の元に返してくださってありがとうございましたと心の底から思うことができました。
なくしたものは沢山あるけれど、今あるものにちゃんと目を向けたい。
あの日からずっと自分の身に起こったことに納得がいかなかった私を、ひとつの歌が一瞬にして現実と向き合わせてくれる、自分にとっては得難く不思議な体験でした。
……という出来事がほんの数日前にありまして、これはぜひとも文章として書き起こしたいなと思いキーボードを叩いております。長い事ブログを更新しておらず、このままフェイドアウトになっちゃうかなぁと思っていましたが、最後に書くことができて良かったです。
この2年、チームJマダムとしてあまりお役に立てず心残りはありますが、素敵な時間をありがとうございました。
ちなみに鼻歌検索ができるアプリで曲名を探し出したのですが、いやあ良かった。スマホに向かってハミングするのはちょっと恥ずかしかったけど、ちゃんとお目当ての歌を見つけてくれて文明の利器ってほんとすごいですね。
まだまだ進化していくこの世界を、これからも見ていきたいものです。