真夏の夜の楽! 神宮外苑花火大会

夏の風物詩! 花火大会に行ってきました!
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夏の風物詩と言えば花火!!
神宮外苑の花火大会に行ってきました。
2011年以来、神宮外苑花火大会は東日本大震災復興支援として、
収益の一部を義捐金として、被災地に届ける活動を続けています。
去年も観覧したのですが、開催と同時に雨が。。。
小雨の中じっとり濡れた思い出が。。
花火が打ちあがる前には様々なアーティストのライブを聞くことが出来ました♪
カウントダウンなどもあり楽しかったです。
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場所取りを気にせず
ゆっくりとビールを飲みながら鑑賞できる都会の花火大会。
場所柄、玉 サイズは小さいですが、1万発という数と演出、アトラクションで圧倒します。
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花火は。。
徳川家康が日本で初めて花火を観賞したといわれています。
日本では種子島の鉄砲に使われた火薬が花火へと発展。
家康が見たのは竹筒に火薬を詰めて火を噴くだけのものでしたが、三河地方に残る「手筒花火」はこの名残だそう。
その後、花火は急速に発展し、江戸で開花したそうです。
両国の大川(現在の隅田川)で川開き花火大会(隅田川花火大会の原型)が開催。
そこで活躍したのが日本橋横山町の花火師、鍵屋六代目弥兵衛でした。    

もともと「鍵屋(かぎや)」は、葦(アシ)の管に火薬を詰めて星が飛び出す花火を開発し、商才もあって花火市場をほぼ独占していましたが、
花火が火事の原因になるため町中では花火禁止令が出されて
隅田川の花火だけが許されていました。
当時は納涼船を出して「鍵屋」に花火をあげさせるのが、豪商たちの贅沢の象徴だったそうです。

1800年頃、「鍵屋」番頭の静七が暖簾分けをし、両国吉川町で玉屋市兵衛を名乗り
やがて川の上流を「玉屋(たまや)」、下流を「鍵屋」が担当し、二大花火師の競演となります。
これを応援するための掛け声が「たまや~」「かぎや~」だったのです。



「鍵屋(かぎや)」の弟子で後発の「玉屋(たまや)」。
現役の頃から「たまや~」の掛け声の方が多く、
その後も花火の掛け声の代名詞として現在に至るのはなぜでしょう?

ひとつは花火の技術が勝っていたこと。
もうひとつは、語呂が良いので掛け声を掛けやすかったこと。
そして、江戸っ子気質がそうさせたこと。だったと言われているそうです。
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  • 真夏の夜の楽! 神宮外苑花火大会_1_4-3

帰りは混むと予想されたため
アンコールは出口付近で見ました。
今年は風もなく花火日和で幸せな一時でした。
来年もまた見たいな~・・・
koto

koto

東京都在住。夫・息子・娘と暮らしています。チャンスがあればどんな事にも挑戦し、同世代の読者の皆さんのテンションが少しでも上がるような衣食住のリアルな情報を、私らしくお届けしていきたいと思います。

Instagram:kotokoto.1117

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