女優・吉行和子さんに聞きました。「家族のこと。そして一人になるということ」

いてあたりまえの家族がいなくなり、孤独な将来がやってくるかもしれない――。誰もが漠とした不安とともに描く現実を、軽やかに生きている女優の吉行和子さん。家族の死の瞬間、そしてひとりになった今、胸にある思いとは。
吉行和子さん
【profile】
よしゆき かずこ●’35年、東京都生まれ。女優。女子学院高等学校を卒業後、劇団民藝に所属し舞台デビュー。’59年『にあんちゃん』(毎日映画コンクール女優助演賞)、’79年『愛の亡霊』、’14年『東京家族』(日本アカデミー賞優秀主演女優賞)などの映画をはじめ出演作多数。

人に楽しませてもらう人生に50歳で踏ん切りをつけた

50歳になるまでは「なんだか窮屈だった」と語る、女優の吉行和子さん。
「仕事をしていてもまわりの女優さんがどうなのか気になるし、“自分はダメだ”なんて反省も多すぎて。でも50代になって、自分はこうしか生きられない、ほかにどうしようもないなら、それも楽しもうと」

そこから今にいたるまでの30年余りの“実践”は、それなりに悪くないと吉行さんは語る。
「なぜかといえば、“人に楽しませてもらうこと”に踏ん切りをつけたから。自分で自分の人生を楽しくすると決めて、そのつどそのつど、自分に発破をかけて。その心構えがないと、つまらないただの老婆になっていくだけよ」

舞台で共演し、さほど会話もなかった岸田今日子さんの誘いに乗ったのは、ちょうどそのころだ。突然の電話で「人生観を変えてみたくありませんか?」と問われ、「変えてみたいです」と即答し、ふたりはインド旅行をともにした。

「あのころから本当に楽しくなったのは、友だちとの関係。それまで私にはあまり友だちがいなかったんだけれど、そこから岸田さんと仲よしの冨士眞奈美さんも加わって、3人で旅行をするようになったのね。私も若いころは、親しい友人と一緒に旅行に行って“え? こんな人だったの?”ってがっかりした経験があるけれど、あのふたりもきっとそうだったと思う。でもそれぞれがいろんな思いをしてひと山越えて、自分がわかってきた年齢で友だちになったから、続いたんじゃないかって。あとは3人ともマイペース、自分勝手でまわりのことが気にならない。だからお互いを見て“信じられないわね”とかいいながら、おもしろがれるのね(笑)」
スペイン、台湾、上海などを旅した友人で俳優仲間、冨士眞奈美さん(左)と岸田今日子さん(中)。
スペイン、台湾、上海などを旅した友人で俳優仲間、冨士眞奈美さん(左)と岸田今日子さん(中)。

妹が死ぬとわかったとき、どうしていいかわからなかった

肉親、特に親との死別もまた、多くの50代には避けては通れないことだ。だが吉行さんの場合は少し様子が違っている。母・あぐりさんとの死別はわずか4年前、吉行さんが80歳のときだ。

「母は10年寝たきりでしたが、あんなに動きまわっていた人が歩けなくなり、でも最後まで頭がとてもしっかりしていたのが、むしろかわいそうでした。ただ母については年も年だし、常に覚悟してはいました。なのにあまりに元気なので、まさかギネス記録? って(笑)……。ある意味では、安心もしていたんですよ。でも妹の死(’06年)は本当にショックでした。私が子供のころから母は働いてばかりだし、兄とは年が離れていて、バラバラの家族だったんだけれど、妹とは幼少期からいつもふたりで、とても大切な存在だったから。先に逝(い)かれてしまったな、って」

妹・理恵さんが“がん”だとわかったのは、あぐりさんが入退院を繰り返していたころ。当初の甲状腺がんは手術をすれば大丈夫といわれていたが、そのすぐあとに転移が見つかり、余命3カ月と宣告された。
「血の気が引きました。どうしていいかわからなかった。母にもいえないまま、まもなく死ぬ妹と、いつまで生きるかわからない母の、それぞれの病院を毎日行き来していましたね」

毎朝心配でたまらず、病院に電話をかけて生死を確かめたうえで、妹に会いにいった。当時、誰にもいえない寂しさと不安を書きつづったノートは数冊におよぶ。そうしないといられなかったという。
「芝居の最中は何があってものりきらなきゃいけない、だから舞台女優ってけっこう打たれ強いんです。でもさすがにそのときは大変でした。“自分がまいってしまったらおしまい”という…責任感かな、それだけが支えでした。そのツケは母が死んだあとにドッときて、原因不明の病気で入院しました。ストレスがたまっていたんでしょうね。しょうがないわよね」
’81年、妹・理恵さんの芥川賞受賞時。左の兄・淳之介さんも’54年に同賞を受賞
’81年、妹・理恵さんの芥川賞受賞時。左の兄・淳之介さんも’54年に同賞を受賞。

人にもモノにも執着せず、自分のペースで自由に生きる

でも、乗り越えられますよ──吉行さんは続ける。
「越えられなきゃ、自分が一番困るもの。私はセンチメンタルなところが全然ないんです。“残されたあなたはどうするの?”って、介護されてる母が心配していましたけど、“そうねえ、困るわねえ”くらいで終わっちゃうのね(笑)。今も“どうにか元気でいなきゃ”と思っていますけれど、もし誰かの手を借りなきゃいけなくなったら、ちゃんとした施設に入れるよう計画はしています。誰かがやってくれると思っている間は、きっとダメよね。私の場合、もちろんいろんな人に頼ってはいるけど、根本的には自分だけだってわかっていますから。そういう状況のほうが、逆に楽なんじゃない? じゃないと不満ばっかり多くなるでしょ。どうしてやってくれないの? とか、どうして私だけこんな目に? って。不満が多いと身体にも精神的にもよくない。だからなるべく不満に思わず、立ち向かっていくっていう」

吉行さんの生き方は、すがすがしいほどに潔い。「執着するのがイヤ」なのは、物質的には無論だが、人にも執着しない。「だって大事な人も、年をとってずいぶん亡くなってしまったものね」。今も、芝居や舞台で交流をもつ人はいても、ひとつの仕事が終われば忘れてしまう。人間関係を引きずらない。

「昔からそうなんです。それこそ50代のころ、学生時代の友だちに“あなたは『じゃあね』って別れたら、それっきり振り返らない”っていわれたことがあります。“え? 振り返るもの?”って驚いて聞き返すと、普通は一度くらい振り返ってお辞儀したり手を振ったり、別れを惜しむものだと。彼女と会うときは振り返るようにしましたよ(笑)。友だちが必要ないわけじゃないけれど、基本的にはひとりが好きなんです。仕事がなければ、朝起きてふっと映画見にいきたいと思ったら行くし、一日家にいたいと思ったらいる。そういう自由が一番大切なんです。パートナーが必要な人もいるでしょうけれど、私は一度結婚して“人と暮らすのは無理”と身にしみました。仕事して帰ってきて、家に明かりがついていると、なんだか酸欠のような気持ちになってしまって。自分のペースで生きるのが一番」
介護中に迎えた母・あぐりさんの103歳の誕生日。
介護中に迎えた母・あぐりさんの103歳の誕生日。

晩年の母が教えてくれた、好奇心をもって生きること

「寂しさはあるかもしれないけど、誰だってそうだし、そういう感情はむしろあるほうがいい。“こんなになっちゃった”なんてがっかりせず、いろんなことを感じながら生きていくほうがいいと思います。実は私もね、50歳を過ぎて79歳までは“年をとっていく、年をとっていく”ということが覆いかぶさっていた部分もあったんです。それが80歳になったときに、なぜかストーンと抜けたのね。今までの続きじゃない、ポンと別の新しい世界に来たような気がしたんです。今までの人生でそういう経験はなかったから、80歳になったときに感じてもらうしかないけれど、すごく楽しくて楽になって、ここからまた一歩、という感じね」

人生のお手本は、4年前に亡くなった母・あぐりさんだ。吉行さんが14歳のとき、あぐりさんは42歳で再婚。そこからは「他人を見るような」気持ちでいたというが、90歳で義父が亡くなったあと、なんと91歳から吉行さんとあぐりさんは、一緒に海外旅行に出かけるようになった。
「旅行を機に、初めて母娘になった気がします。初めて一緒の部屋に寝て、初めて一緒に食事をとって……。母が長生きしてくれたからできたこと。そのときに、母ってこんなにおもしろい人だったんだって、初めて知ったんですよね。とにかく好奇心がすごく強くて、何を見てもおもしろがるんです。“初めて”のものを見ると、75日生き延びるのよ、というのが口癖で、91歳からいろんなものを見せたものだから、107歳まで生きちゃった。母親としては何もしてくれなかったけど、楽しい生き方のいいお手本を残してくれたと思います。すでにもうあぐりに負けてる気もするけど(笑)」
両親の郷里・岡山にあった吉行家の墓は、’17年に墓じまいした
両親の郷里・岡山にあった吉行家の墓は、’17年に墓じまいした。

吉行和子さんの50歳からの家族史

59歳(1994年)
兄・淳之介が死去。

63歳(1998年)
義父(母の再婚相手)が死去。
母・あぐりと初めての旅行。このとき、母91歳。

68歳(2003年)
東京に母と自分が入るための墓を建てる。

71歳(2006年)
母が寝たきりとなり、10年間の介護生活が始まる。
妹・理恵が死去。

80歳(2015年)
母が107歳で死去。

82歳(2017年)
岡山にあった吉行家の墓を墓じまいする。
母・あぐりさんと
母・あぐりさんと。母が90代後半になると海外旅行を国内旅行に。写真は湯布院にて。
そしていま、一人になった

『そしていま、一人になった』

吉行和子 ホーム社 ¥1,700

父は作家・吉行エイスケ、母はNHK朝ドラの主人公にもなった美容師・吉行あぐり、兄は作家・吉行淳之介、妹は詩人で作家・吉行理恵――。80歳を過ぎた女優・吉行和子が、今だから語れる亡き家族の歴史。自身の来し方と行く末を見つめる中で探り当てた、家族との絆を描くエッセー。
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