<ミャンマーの旅>マンダレー信仰の要、マハムニ仏に手を合わせる(マンダレー①)

今年の春はアジア旅、『ミャンマーのヤンゴン、バガン、マンダレー、インレー湖のヘリテージと素敵なホテルに泊まる』

古都マンダレーとサガイン、ミングォンのヘリテージを廻る。
Photo & Text : Mike Masujima.

マンダレーのミャンマー三大仏教聖地の一つ マハムニ パゴダ(パヤー)

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マハムニ パゴダ(パヤー)はマンダレーのポードーパヤー王が1784年に建立したマンダレー最大の仏塔。比較的新しいパゴダだがミャンマー三大仏教聖地の一つとされ、インドに近いヤカインからマハムニ仏を奪い祀られたと伝えられる。そしてマハムニ仏は昔から金箔を張り功徳を得る習慣があり、仏は金箔の重さで昔より太ったと言う人もいる。上座部仏教の掟で、女性は金箔を貼る事は出来ない。またマハムニ仏に近づく事も禁止されている。写真の様に仏像から少し離れてひたすら拝むのである。ところでマハムニ パゴダに代表される仏塔は何層もの複雑な構造から成る。これは、パーヤー タートルーフ(英語読み)と呼ばれ、4角いチークの木枠に仏教縁の装飾が施されたパネルを積み上げた物だ。そして建物はアーチ状の構造が多く見られる。これは英国から伝わった建築技法と言われ、隣国タイの様に植民地を免れた仏教寺院には見られない構造。寺院建築の専門家によれば、マンダレー王朝の中期から20世紀始めにかけて、マンダレーの寺院建築技術や装飾は最高潮に達し、隣のタイやラオスの寺院様式に多大な影響を与えたという。この時代の文化の中心はラングーンでもラッタナコシーン(バンコク)でもなくマンダレーだったのかも知れない。
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マンダレー最大のマハムニ パゴダは早朝から参拝客が絶えない。男性はマハムニ仏の横から仏像へ登り、金箔を貼り功徳を施す。女性は御覧の様にただひたすら祈りを捧げる。
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市内を移動中、婚礼の行列に出会った。女性はエスニックな礼装で手には儀礼用の小さなソン オ(Sun Oak)を携えている。大都市でこのような伝統が残っている事は羨ましくも驚きだ。
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マンダレー市内の仏教学校から宿舎へ帰宅する尼僧と小僧たち。上座部仏教は尼僧を禁止しているが、ミャンマーの場合教育もままならぬ貧しい家庭の子女を、尼僧院をに託す制度を仏教界が設けている。
エーヤワディー川にかかる鉄橋とパゴダ。古来からミャンマーの人々は貯蓄はパゴダの建立に寄進すると言われ、パゴダはミャンマーの津々浦々に建立された。そのため政府から一時パゴダの建立禁止令がでたほど。
長い年月金箔を貼られてきたマハムニ仏、金箔の重さの為か、確かに太っている様にもみえる。仏に近づけるのは御覧の様に男性のみだ。
ウーベイン ブリッジは長さ1.2km。木造の歩道橋として世界最長、ギネスブックにも認定されている。ここは夕陽の名所としても知られる。
シェナンドゥー僧院。ミンドン王の時代の数少ない木造建築の僧院。当時の優秀なクラフトマンの手による芸術的な彫刻が随所に見られる。後のティーボー王が王宮の堀の外へ移築改装した。
マンダレーコンバウン朝の旧王宮、一辺3kmにも及ぶとてつもない広さ。1858年ミンドン王が仏陀の予言に従いアマラプラからマンダレーに都を遷都。戦災で焼失したが1990年代に再建される。

マンダレーからサガイン、ミングォンへ。

マンダレーから南西へエーヤワディー川の鉄橋を渡りおよそ35キロ。サガインは14世紀シャン族が王都と定めた街だ。その後アヴァ王朝、マンダレーへ遷都する以前のタウングー朝も一時サガインを都と定める。この地はエーヤワディー川の中流域の河川交易の要として古くから栄えた。また標高600mのサガイン ヒルは修行僧の僧院やパゴダが多く残る場所でもある。そしてミングォンはマンダレーから10km上流のエーヤワディー川右岸に位置する。中でもコンバウン朝のボードー パヤー王(1782〜1819)が建てた未完のミングォン パゴダは、高さが150mにもなる筈だった。だがパゴダが完成すれば王は死ぬと主張する占星術師により、工事は土台が完成した時点で中止された逸話が残る。


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    マンダレーからエーヤワディー川の長い鉄橋を渡り40分、バガン朝没後シャン族が都に定めたサガインに到着。丘の上にはカラフルなウーミントンゼーパゴダ が建つ。

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    マンダレーのエーヤワディー川対岸にあるミングォン。コンバウン朝時代建立された多くのパゴダが残る。写真は白亜のシンピューメ パゴダ。

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    ミングォン パゴダ。1790年から建設が始まり、完成すれば世界最大のパゴダができる予定だった。王の占星術師の占いで中止された。

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    サガインのウーミントンゼーパゴダ。45体の白い仏像はペパーミント グリーンの壁に映え美しい。

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