「私が、最初に『あれ?』と思ったのは、父が73歳くらいのとき。送られてくるメールが変になってきたんですよ。濁音や破裂音の打ち間違いに始まって、漢字が減り、最終的にはひらがなだけの文面に。今思えば、やり方がわからなくなっていたんでしょうね。とはいえ、私は、『けんきかちゃんとたへてれか(元気か ちゃんと食べてるか)』というメールに、『かわいいなぁ』と思ったりして、まだまだのんきでした。私より頻繁に父母に会っていた姉は、その数年前から、『絶対ボケている!』と、いっていたんですけど。
今だからいえますが、『アナログ世代だからメールが苦手なのも当然』なんて思ってはダメですね。できていたことができなくなるというのは、認知症の症状のひとつ。闊達だった親が、無気力になってきたら、それも危険信号のひとつです」
’14~’15年にかけ、お父さまは、転倒することが増え、排泄でたびたび失敗するように。’16年になると、家の場所がわからなくなり、知らない人に保護されるといった事件も起こった。医療機関での検査はしなかったものの、吉田さん姉妹は、認知症と確信。’16年1月には要支援1と認定されていたお父さまを、新たにデイサービスに通わせるなど、介護に本格的に介入するようになる。
「父を施設に入れる決心をしたのは、’18年の1月。両親ともにインフルエンザで倒れ、老老介護の限界を目(ま)の当たりにしたときです。その数年前から、母は父の介護にひとりで奮闘し、心身ともに崩壊寸前でしたし、十分な介護をしてもらえない父もかわいそう。自分で介護? 考えませんでしたね。父のことは大好きだけど、私は面倒見が悪い人間なので、絶対ムリだと。それに、車いすから立ち上がらせることひとつとっても、やはりプロは違う。髪は美容師に任せるのと同様、介護もプロに任せるのが一番だと思います」