富岡 38年間、小学校の教師をなさっていたんですね。そのころから子どもの貧困は実感なさっていましたか?
岸田 それは昔からありました。給食費を持ってこられない子がいたり、長い間お風呂に入れない子がいたり。さらに目立つようになったのは、'08年のリーマンショック以後です。夏休み中は給食がないから痩せてしまう、という報道があったくらいです。
富岡 それまではあまり、認識されていなかったんですね。
岸田 なかったですね。貧困というとアジア、アフリカの一部で、子供が5歳まで生きられないような絶対的貧困。そんなのは日本にないよね、と。
富岡 でも相対的貧困は増えてきたんですね。非正規雇用で収入の低いかたとか、離婚でひとり親になってしまったかたの子どもたちが、ほかの子供と同じような環境で育つことができず、同じ教育が受けられなくなったり。
岸田 そうです。でもそれは親が働かないせい、自己責任だと言われ、困っていても声をあげられず、社会から孤立しがちです。離婚した自分が悪いと思いながら、ダブルワーク、トリプルワークでがんばっている女性も多い。そうなると子どもの面倒をみたり、一緒にご飯を食べることもできなくなる。
富岡 岸田さんはそんな状況をお知りになって、なんとかしようと?
岸田 そうですね。まずは教師の自分ができることをやろうと思いついたのが、自宅で塾を開くことでした。夫も中学校教師なので、共通の意識はありますし、娘と息子も学生の立場で教えることはできる、やってみたいといってくれたんです。自宅の8畳間しか使えませんから、塾に行けない中学3年生をギリギリ5人だけ。
富岡 ピンポイントでその学年を?
岸田 そこが分かれ道で、都立に入れなかったら働くしかない子がいるんです。高卒で就職できるかどうかで、その後の人生は決まりますから。