「大人の旅は、ひとりがいい」川内有緒さんが贈るスペシャルストーリー【50代のひとり旅】

行き先も過ごし方も心の赴くままに。成熟を重ねた世代にとって、それは何にも代えがたい喜び。ひとりだからこそ、静かな景色の奥行きも、街角のざわめきも、より鮮やかに心に響き、人生に新たな刺激を与えてくれる。作家・川内有緒さんの短編ストーリーのように、この次の旅は、自らの感性に従って、ふらっとひとりで出かけてみませんか。

ひとり旅という幸福な孤独

文・川内有緒 (作家)

大人のひとり旅 川内有緒 瀬戸内海 夕景 

10年ぶりのひとり旅の行き先は、瀬戸内海に決めた。高松行きの片道チケットで始まる四泊五日。細かい旅程は決めず、最後にたどりついた場所から新幹線で東京に帰ればいいと、小さな荷物ひとつで気楽に出かけた。

42歳のときに産んだ娘はもう10歳だ。私が、理由もなくひとりで旅をしたいということをしっかり理解してくれている。

高松空港から最初に向かったのは、徳島県。以前から行ってみたかった小さな本屋さんがあり、せっかくだから、景色の良い場所で好きなだけ本を読みたい。

水田に囲まれた古民家に着くとそこが本屋さんで、立派な猫と女性オーナーが優しく出迎えてくれた。初めて会ったにもかかわらず、一緒に夜ご飯でも、という話になり、焼酎で乾杯した。期せずして、長いお喋りに彩られた素晴らしい夜となった。


そのあとは、高松、豊島島(てしま)、倉敷へとフェリーと電車で移動を続け、美術館やカフェに寄りながらずっと一冊の小説を読み続けた。奇妙な物語で、「私」なる人物が、見知らぬ旅館のベッドで目を覚まし、すべての記憶を失っているという不穏な状況から始まる。やがて「私」は巫女に出会い、新たな名前を与えられる。夢の中を彷徨っているような読み心地だった。


続きが気になり、静かな浜辺で、ベッドのシーツの上で、港の待合室で、フェリーの中で、カレー屋さんのカウンターで……と読み続けた。ドライな小説世界と、体に吹きつける湿った風がブレンドされていく。

幸福だった。


小さい頃から、ひとりでいても本さえあれば寂しくはなかった。むしろ、一冊の本とともにめぐる旅は、気の合う友人と旅しているかのようだ。その本という友人は、いつだって私にこう囁いてくれる。


あなたはあなたのままでいいんだよ。昨日も、今日も、明日も。


これからは、一年に一度はひとり旅をしよう。そう固く誓う51歳だった。



川内有緒 
Profile

かわうち ありお●’72年、東京都生まれ。ノンフィクション作家、エッセイスト。夢は冒険家。’18年『空をゆく巨人』(集英社文庫)で開高健ノンフィクション賞、’25年『ロッコク・キッチン 浜通りでメシを食う』(「群像」連載、講談社)でBunkamuraドゥマゴ文学賞受賞。近著は『エレベーターのボタンを全部押さないでください』(ホーム社)。

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