富岡佳子×坪井節子と考える「私たちが、子ども達のためにできること」とは?

虐待・いじめ・非行・貧困・生活困難……解決困難な問題を抱える子供や若者たちのニュースは少なくない。モデルとして活躍する富岡佳子さんも、そんな問題に関心を寄せるひとり。そんな彼女が講演を聞いて感銘を受けたという、子供の人権救済の活動を続けている坪井節子さんに富岡さんが直接お話を伺いました。子供の問題の現状や、私たち大人が彼らにできることとは?
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台本を見ながら語り合うおふたり。現在、台本執筆は坪井さんの長女が引き継いでいるという。「彼女はお芝居にずっと出てくれてましたから。進路決定のときは少し夫婦でもめましたね(笑)」

「弁護士であり、社会活動をし、母でもあり。本当にすごい!」(富岡さん)

「初めはとにかく話を聞くだけ。 無力感から始まったんです」(坪井さん)

『子どもの権利条約』を読み、自分の子供と向き合った
富岡
弁護士であり、子供を守る活動をし、さらに当時はまだ小さなお子さんが3人もいらっしゃったわけで。すごいエネルギーですよね!

坪井 
よくそういわれるんですが、両親や友人たちに助けてもらいましたし、夫は家事が得意だし、私はいろんな意味でラッキーでしたね。それに私は究極の〝今を生きる女〟といわれていまして(笑)、後先考えないで目の前のことに夢中になってしまうんです。家に帰れば子供がいるから、ごはんだお風呂だって次から次へ。

富岡 
ご自身の子育てに、こうした活動からの影響はありましたか?

坪井
ありましたよ! 子供の問題にかかわりはじめたころ、国連で「子どもの権利条約」が採択されて〝子供もひとりの人間である〟というメッセージが打ち出されたんです。〝大人は常に子供に価値観を押しつけ、過保護や過干渉になり、支配している。虐待はそこから始まる〟と。さらに’90年、国連が出した少年非行予防のためのガイドラインには〝子供が人権を侵害された結果のSOSが非行なのだ。非行を予防しようとするなら、子供がゼロ歳のときから、ひとりの人間として、対等な関係をもって生きるべきだ〟とある。当時私の子は5歳と2歳で、この子たちと自分が対等って、どういうことだろう? 絶対できないと思いました。

富岡 
建前としてはわかっても、むずかしいですよね。

坪井
でも私は一応、子どもの人権擁護を標榜する弁護士ですから、自分の子供との間でも、対等なパートナー関係をつくらないと、と思ったんです。

富岡 
私もそうしなくちゃと感じていましたけど、余裕がないとそれが出ちゃったり(笑)。時には、子供のお迎えに行く前にカフェに寄って、ワンクッションおいたこともありましたね。

坪井 
親の都合のいいときには可能でも、子供が必要としているときにできるとはかぎりません。すると家では子供から『何が子供と大人のパートナーシップよ、八つ当たりするんじゃないわよ!』とかいわれるんです(笑)。

富岡 
まさに正論。小さいころから自分の意見をしっかりもつお子さんだったんでしょうか?

坪井 
どうでしょう? いろいろありましたけど、無事、大きくなって、今は私の活動を手伝ってくれています。

富岡 
その活動というのが、「子どもシェルター」が生まれるもとになった、お芝居なんですよね。

坪井 
はい。弁護士仲間と一緒に、’94年に初めて、子供たちが向き合っている現実とそれに対する支援の必要性を訴えるために『もがれた翼』という芝居を作ったんです。すると、一般の人にもわかりやすいと評判になり、毎年、新作を発表することになりました。パート3~9は私が脚本を担当しました。

子どもの人権110 番への相談からシェルターへの流れ

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「子どもの人権110番」は、東京弁護士会が’86年に開設した電話相談窓口。基本的に相談を受けた弁護士が「子ども担当弁護士」となり、親権者との調整、子どもの代弁者・付添人となる。そこから「カリヨン担当弁護士」に連絡が入り、子どもと直接面談のうえ、必要性と本人の意志を確認し、シェルター入居を判断する。
富岡
そのお芝居に登場したのが、「カリヨン子どもセンター」ですね。

坪井 
『もがれた翼』のパート9で、子供を守るシェルターを題材にしたんです。弁護士がいて医師もいる、そんな支援センターがあったらいいな、と。ただの思いつきで、夢のようなものでしたけれど、芝居を作っていく中で、こういう施設は本当に必要だ、という声があがった。お芝居を見てくださったかたからも賛同の声が届きました。そこから一気に盛り上がり、さまざまな問題をクリアして、翌年、実現しました。住宅街の一軒家で、定員は6名。利用者はのべ370名を超えています。子供たちに逃げ場や相談する場所がないことで、たくさんの不幸が起きてしまう。虐待に耐えて、どうしようもなくなって逃げてた子には、安心して寝られる駆け込み寺が必要なんです。

富岡
それまでなかったものを、一から生み出されたのはすごいですね。その後も同様の施設をつくられて。

坪井
自立援助ホームとして、男の子専用とか女の子専用とか。16~17歳で親元から逃げてくる子も多いんです。小さいころから虐待を受けて、その年齢まで我慢して我慢して、自分で動けるようになってから逃げてくる。その中のひとり、高校3年生の男の子がいっていました。『このままこの家にいたら殺されるか、こっちが親を殺すか。そう思ったから逃げてきた』って。よくぞ逃げてきてくれたと思いました。

「子供の問題は、大人との関係性がうまくいかないところから始まるんですね」(富岡さん)

「皆さんが子供の現状を知ってくださるだけでも、世の中は変わります」(坪井さん)

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「『子供の人権を守りましょう』と抽象的にいっても伝わらないから始めました」というお芝居『もがれた翼』。子供にかかわる時事的なテーマを年ごとに設定して進化を続け、今年で26回目を迎えた
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『もがれた翼』パート9、「こちら、カリヨン子どもセンター」の台本。名称もこの段階で決まっていた。鐘のメロディー演奏装置「カリヨン」のように、子供たちが個性を発揮し社会で美しい音色を奏でてほしいとの願いがこめられている

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