日本橋と日比谷へ、雪岱詣で。

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『エクラ』3月号でも取り上げました展覧会、『小村雪岱スタイル ―江戸の粋から東京モダンへ』(日時指定入場制、~4/18)が日本橋の三井記念美術館で始まっています。

雪岱(せったい)は大正~昭和初期の商業美術界で活躍した人物で、”絵の達者なグラフィック・デザイナー”といったほうがわかり良いかもしれません。雪岱らしさは、「どんな題材を描くか」よりも、「どんな構図に仕立てるか」というデザイン的センスのほうによく表れています。その端的な例が、鏡花本の見事な装幀や新聞連載の挿絵でした。

雪岱の活動の舞台は主に印刷物。つまり、作品のほとんどが”複製”です。しかし複製であってもそれは直に手に取って楽しむべきものであり、複製を写真に撮ってもまるで良さが伝わりません💦 雪岱が長らく忘れられていたのは、昭和15年没という亡くなったタイミングの悪さとともに、作品が繊細過ぎて複写・図版映えしないことが大きな理由でしょう。

展示風景の写真も、書籍はなんとか、3枚目の挿絵原画もかろうじて…。しかし5枚目のレアな肉筆画に至っては、「何が描かれているのかまるでわからないじゃないか!」なわけですが、その絵になるギリギリの研ぎ澄まされた情趣を、ぜひ直にご覧になって感じ取ってくださいませ。

さて、鏡花ゆかりの画家の中で雪岱のライバルといっていい存在が、美人画の巨匠・鏑木清方でした。清方は挿絵画家からキャリアをスタートし、展覧会用の本画で大成した後に、手元で鑑賞する「卓上芸術」を提唱します。"手に取って私的に楽しむ"という点においては、雪岱は芸術家人生を通じて複製による「卓上芸術」を手掛けていたと言うことも可能でしょう(もちろん舞台装置の下絵の仕事も忘れてはなりませんが)。

会場には、ところどころに雪岱のセンスに通じる江戸~近代の工芸作品、現代作家のコミッション・ワークが展示されており、そのリンク具合に遊び心があって楽しめます。



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さて、期せずして、日比谷図書文化館でも『複製芸術家 小村雪岱 ~装幀と挿絵に見る二つの精華~』(~3/23)が開催中です。こちらは、状態のいい装幀本に加えて、挿絵掲載当時の新聞の切り抜きや雑誌が展示されているのが素晴らしい。タイトルの通り、当時の"複製"を目の当たりにすることができます。なかでも新聞。雑然と広告文字が躍る中に端正な挿絵が埋め込まれているのは、ちょっとした奇観。そんな紙面にあって、雪岱画は凛乎として異質な引力を発揮していたことがよくわかります(ただし、目に留まらない人には留まらない)。
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こちらの展示は一般来場者も撮影が可能です。ちらっと見てきた中でのマイベストを何点か挙げておきましょう。

1枚目、泉鏡花『弥生帖』。細い縞、初見の裏表紙に胸キュン。
2枚目、久保田万太郎『駒形より』。深い藍、その間に刷られた夜景がまた幽玄。
3枚目、大佛次郎『鼠小僧次郎吉』。読み人泣かせの白い装幀。表・背・裏にわたる一枚絵の構図では、吉井勇『麻の葉集』と双璧かと。
4枚目、鈴木彦次郎「両国梶之助」挿絵原画。静的でありながら画面に充ちる気合い。画家自身と群衆の集中力が重なるよう。

これらに加え、雑誌の挿絵もたくさん並んでおり、展示の密度が猛烈。何回かに分けて出かけねば、であります。

日本橋と日比谷の二つの雪岱展、ぜひあわせてご覧ください。
(編集B)

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