亡くなってから親との距離が縮まった。酒井順子さんの親との別れ方

アラフィー世代にとって、決して遠いものではない「親の死」。エッセイストの酒井順子さんは親との別れをどう受け止めたのか、自身の体験を語っていただいた。
酒井順子

酒井順子

さかい じゅんこ●’66年、東京都生まれ。鋭い観察眼と独自の考察力、軽やかな文体でつづられるエッセーは毎回話題に。『負け犬の遠吠え』『子の無い人生』『駄目な世代』『ガラスの50代』など、エクラ世代の心に刺さる著書多数。

亡くなってからのほうが親との距離が縮まりました

30代で父を、40代で母を亡くし、すでにご両親との別れを経験している、エッセイストの酒井順子さん。

「父は余命が宣告されていたので、なんとなく覚悟ができていましたが、母の場合は、ほぼ突然死に近くて。なので、どちらも違う大変さと悲しさがあるとわかりました。余命が宣告されていても、家族にとっては、やはり死は突然訪れるものですから」

そして、「手続き関係など、やるべきことは、最後の親が亡くなったときのほうが大変かもしれません」と。

「父が亡くなったときは、母が相続の手続きやら何やらをやってくれたので、ただただ悲しみに暮れることができました。でも、母のときは、葬儀の前後は、兄夫婦がいろいろ担ってくれましたが、そのあとは、私自身が動かないといけないことが、けっこう多くて。それに忙殺されているうちに、いつのまにか時間が過ぎていったという感じです。ただ、今思えば、あの忙しさも、恵みのようなものでした」


役所関係や金融機関の届け出に始まり、相続や実家、お墓がらみの手続き、親の友人・知人への連絡と弔問客の対応。遺された家族がやらなくてはいけないことは、多岐にわたり、しかも、期限も決められている。悲しみに浸ってばかりはいられないというのも、また事実だ。

「手続きをしたり、母の友人たちと話をしたりといったことを通して、母の死が、だんだんと自分の中にしみ込んでいったような気がします。むしろ、そういったことに追われることのない立場でいたら、もっとつらかったかもしれません」

死後にやるべきことは多々あって大変だけれど、ひとつずつこなしていくことで、親の死がだんだんと体にしみ込んでいった気がします

悲しみや寂しさで心が押しつぶされそうになっていようと、目の前に、やらなければいけないことがある。それは、遺族にとって残酷なようでいて、“今日”という現実を生きる後押しにもなるのだろう。

「母の友人たちとじっくり話す機会をもつことができたのはよかったですね。『順子ちゃん、実はね……』って、母とボーイフレンドたちとの交遊についてもいろいろ聞くことができました。ある程度知ってはいましたが、『まだ、あったのか!?』と(笑)。生前から、母は母である前にひとりの人間だということは、わかりすぎるくらいわかっていたのですが、人間として、女としての人生をまっとうしたことがわかり、『お見事』と思うことができました」


亡くなったからこそ、知ることができる親の顔もある。そうやって、親の生き方をたどっていく作業も、親の死を上手に受け入れる助けになるのかもしれない。

「わが家もですが、父親が先に亡くなり、母親がひとり残されるというケースが大半ですよね。同世代の友人たち、特に女性の場合は、そんな“父亡きあとの母”の扱いに苦慮している人が、多いような気がします。男の子の母親に対する気持ちは、また違うと思うのですが」


母と娘、その関係はときに厄介だ。同性ゆえに、「娘なら、私の孤独を理解し、労わってくれるはず」と、母は期待し、娘は、「娘なのだから、その思いに応えなければ」とがんばりすぎて、しんどくなる。「これは友人のケースですが、彼女は、親孝行を“仕事”としてこなすことにしているそうです。自分の感情は抑え、仕事の数値目標のごとく、定期的に旅行に連れていったり、食事をしたり。


私は、母が存命中、友人たちと、親孝行の物々交換をしていましたね。私は、学生時代からの友人のお母さまから、『おひとりで大変ですよねぇ』と愚痴を聞き、母は私の友人たちにちやほやしてもらうという。他人の親に対してであれば、いくらでも優しい言葉をかけることができますから(笑)」

酒井順子さん

親の半生から実務的なことまで、もっといろんな話をしておけばよかったと思っています

親が健在な読者に対して、酒井さんがもうひとつアドバイスしてくれたのが、「いろいろな話をすること」。

「親も初めから親だったわけではなく、子供時代も青春時代もあるんですよね。それを聞いてみると、とてもおもしろいと思います。今の自分にいたるまで、そうやって命がつながってきたんだなと実感できますし。自分が小さかったころの話や、実家はいつ修繕したかといった実務的なことも親が元気なうちに聞いておくといいと思います」

親の死から時間が流れるにつれ、親への思いも少しずつ変わってきた。

「先日、新型コロナウイルスのワクチン接種をしたんですが、ちょっと怖くて。そのとき、私が頼ったのは、親でした。父からもらったブレスレットと母のピアスを身につけて、心の中で、『お父さん、お母さん!』と(笑)。生前は口にすることなんてほとんどなかったのに、毎日仏壇に手を合わせて、『いろいろありがとう』とつぶやいたり、『こんなとき、お母さんだったらどうしていただろう』と、思いを馳せたり。亡くなってからのほうが、親と仲よくなっている気がします。親が生身ではなくなっているからか、客観的に見られるようになって、理解を示せるようになったのかもしれませんね」

親の死によって、もたらされる新しい親子関係もあるのかもしれない。

「家族の死は、自分の死を意識させます。特に4年前、兄が病気で亡くなったときは、生きているというのは当然のことではなく、本当の意味で『有難い』ことなんだなと感じました。私は、結婚していないし、子供もいないので、看取ってくれる家族はいません。自分が60代、70代になったときは、友人や近所のかたがたなど、身近な人たちが支えになるんだろうなと思います。家族ではないとしても、『寂しい!』と感じたときに、泣きつける関係があるといいですよね」

『家族終了』

『家族終了』

酒井順子 集英社 ¥1,540

両親に次いで兄を亡くし、生まれ育った生育家族が“終了”。それを機に見つめ直した、自身の家族や日本における家族機能の変化、そして、家族という形態の将来。家族について考えさせられる一冊。

  • どう受け止める?どう受け止めた?「親との別れ方」をアンケート

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    アラフィー世代にとって、「親の死」は決して遠いものではない。“その時”を、冷静に、穏やかな気持ちで迎えられるかと聞かれると、答えに窮する人も多いのでは? 実際に親を見送った人に「親との別れ方」についてアンケートをとった。(Jマダム100人アンケートの結果より)

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