吉本ばなな版!下町ワールドを堪能できる連作短編集『下町サイキック』ほか2冊【斎藤美奈子のオトナの文藝部】

今話題の本を文芸評論家・斎藤美奈子さんがご紹介。今回は、吉本ばななさんの下町ワールドを堪能できる連作短編集『下町サイキック』ほか、下町の雰囲気を感じられるエッセイ&短編集をピックアップ。
『 下町サイキック 』

ばなな版下町ワールドを堪能できる連作短編集

庶民的、昔ながらの商店街、レトロな雰囲気、あふれる人情味……。そのへんが下町のイメージだろうか。とはいえそれはあくまで観光化された昭和の下町のイメージで、都市開発が進んだ現在、実際の下町は急激な勢いで姿を消しつつある。

吉本ばなな『下町サイキック』は、特にどことは特定されていない、東京の下町らしき町を舞台にした連作短編集である。

語り手の「私」ことキヨカは中学生。1年前に父母が離婚したが、母とキヨカは父が買った2階建ての中古住宅に住み続け、毎日のように顔を合わせる近所の人々もいるので特に寂しさは感じない。特に仲よしなのは近所の「友おじさん」で、彼が子供たちのために開いた「自習室」でキヨカはちょっとしたバイトをしている。

というような感じでさりげなく物語は始まるが、そこは不思議なことが平気で起きるばななワールド。キヨカは〈気の汚れをはっきり目で見ることができる〉という特殊な能力をもっており、また〈まわりに隠れてつきあっている男女を見るとすぐわかる〉のだ。まあ、サイキックって超能力者とか霊能者とかの意味ですからね。

ところで、父母が離婚したのは父の浮気が原因だった。新しい彼女は、駅前のパン屋さんでバイトをしていた22歳の元アイドルで、ありえないほどの美女だったが、キヨカの目は〈彼女の後ろの真っ黒い闇〉をとらえるのだ。〈ぐわっとお腹の底から吐き気が襲ってくるような、うごめく闇だった。その中には彼女に振られた人たちのおどろおどろしい念がうじ虫のように確かに生きていた〉。

そしてキヨカの予想どおり父は振られ、薬を飲んで自殺未遂をやらかした。病院に見舞いに行った母はご近所話などをひとしきりした末にいった。〈私たち、あなたが派手にいろいろやってるあいだ、変わらず地味に暮らしてるのよ〉。

いやはや、中学生にして、この壮絶体験。大丈夫かキヨカ!

下町の特徴は人と人との関係が近いことだ。ご近所のできごとはすぐ近隣に伝わるが、だからといって過剰な干渉のし合いはない。〈わりと極端な人たちがうまく譲り合っている面もあるし、常に緊張感があるとも言える〉。〈知っている人に道で会えば挨拶をし、家に立ち寄って、と言われれば立ち寄り、ジュースやお茶を飲む〉。

そんな空間を舞台に「わりと極端な人たち」の物語が紡ぎ出されていく。路地や暗がりや隠れ家の残る下町はあの世とこの世の境目だったりもするようで、サイキックなキヨカは幽霊っぽい人にも出会ったりするのだが……。ほっこりした人情みたいなものとは無縁の、ばなな版下町ワールド。消えゆく下町文化へのオマージュともレクイエムともいえそうだ。

『下町サイキック』

吉本ばなな
河出書房新社 ¥1,870

離婚と失恋の末に自殺未遂を起こした父。この町に流れ着いた謎の男性。あの世とこの世の境目をさまよっているらしい女性。そして主人公が最後に見つけた最強のパートナー。心の目で「気」を見ることのできる少女を主人公に、下町で起こる小さな事件簿5編を収めた連作短編集。霊感は言語化しにくい空気をつかむための仕掛け? ファンタジーとリアリズムの中間くらいのトーンはまさにばななだ。

あわせて読みたい!

『 私と街たち(ほぼ自伝) 』

『私と街たち(ほぼ自伝)』

吉本ばなな
河出書房新社 ¥1,650

こちらは著者が実際に過ごした町と出会った人々を描いた自伝的エッセー集。甲州街道沿いのマンションに住んでいたサイキックな友人。地元・千駄木の小中学生時代に好きだった初恋の男の子。作家デビュー後の目白の思い出。小説になりそうなできごとも満載で、エッセーなのに刺激的。

『 かたみ歌 』

『かたみ歌』

朱川湊人
新潮文庫 ¥605

昭和30〜40年代の東京下町「アカシア商店街」。流行歌『アカシアの雨がやむとき』が流れるこの町が舞台の7編を収めた短編集。下町にはやはりあの世とこの世の境目があるらしく、7編の主人公は皆、死者に出会って不思議な体験をする。怪談になりそうでならないさじかげんが絶妙。

文芸評論家・斎藤美奈子
さいとう みなこ●文芸評論家。編集者を経て’94年『妊娠小説』でデビュー。その後、新聞や雑誌での文芸評論や書評などを執筆。『中古典のすすめ』『忖度しません』『挑発する少女小説』『出世と恋愛』ほか著書多数。近著に『あなたの代わりに読みました』(朝日新聞出版)。
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