【ヒルマ・アフ・クリントの世界へ】抽象画の歴史を塗り替える女性画家の“生涯と作品”
1980年代に再発見され、21世紀に入って話題となった抽象画のパイオニア、ヒルマ・アフ・クリントをご存じだろうか。本来ならば美術史に名を連ねてもおかしくない業績を残したアフ・クリント。なぜ表舞台に作品は登場しなかったのか、その謎に迫る。
人間の成長を幼年期、青年期、成人期、老年期の4段階で表した全10点からなる作品。画家の言葉どおり、パステル色の美しい色彩で描かれた本作はみずみずしい躍動感に満ちていて、見ているだけで楽しくなる
《10の最大物,グループⅣ,№ 7,成人期》 1907年 テンペラ・紙(キャンバスに貼付) 315×230㎝ ヒルマ・アフ・クリント財団 By courtesy of the Hilma af Klint Foundation
当時、あまりにも早すぎた目に見えないものを描き出す天才
カンディンスキーやモンドリアンよりも早く抽象画を描いていたとして、近年急速に再評価が高まっている女性画家がいる。彼女の名は、ヒルマ・アフ・クリント。
その名を初めて知る人がいたとしても不思議ではない。なぜなら、彼女の作品は長い間、広く公開されてこなかったからだ。本来ならば美術史に名を連ねてもおかしくない業績を残しながら、なぜアフ・クリントの作品は表舞台に登場しなかったのか。まずは彼女の人生を追いながら、その謎に迫ってみよう。
1862年、ヒルマ・アフ・クリントは、スウェーデンの首都ストックホルム近郊で生まれた。王立芸術アカデミーで絵画を学んだ彼女は、1887年に優秀な成績で卒業し、肖像画や風景画、児童書や医学書の挿絵などを描く職業画家となる。当時、女性画家はまだ少数で、生計を立てられるのはまれなこと。いかに彼女の画力が優れていたかを物語っている。
アフ・クリントが画家としてのキャリアをスタートさせた19世紀末は、X線や放射性元素が発見されるなど、科学が飛躍的に発展した時期と重なる。それまでの目に見えるものがすべてだと信じていた常識が大きく覆され、文学者や芸術家など、多くの知識人が「目に見えないものの世界」に魅了され、前衛的な芸術活動が盛んになっていた。
アフ・クリントもまた、かねてより関心を寄せていたスピリチュアリズムの取り組みを本格化させる。彼女は、科学的な探究や自然界とも深くかかわりながら、霊的存在からの啓示を受け取り、1906年、44歳にして抽象的なイメージを絵画にした『神殿のための絵画』を描きはじめた。これは、カンディンスキーが抽象画を発表する4年も前のことだ
さまざまな偏見に翻弄され、苦悩の先に下した決断
彼女は家族やごく親しい人々に作品を見せていたようだが、周囲の反応は芳しいものとはいえなかった。それは、いまだかつて誰も目にしたことのない新しい絵画だったことに加え、「私が描いたのではなく、私の中に入ってきた大きなエネルギーが描いた」という、創作者としての主体性に欠ける、まるで霊媒師のような彼女の発言に周囲がとまどったからかもしれない。
そんな折、母親が病に見舞われ失明。介護の必要に迫られたアフ・クリントは、ストックホルムのアトリエを手放し、4年ほど制作活動の休止を余儀なくされる。
1912年、制作活動を再開。翌年にはムンソ島にアトリエを構える。1917年になると、それ以前の受動性の強いスタイルから、霊的存在との対話を通して作品を生み出す作風へと展開し、活発に制作を続けた。
当時のアフ・クリントは、設立されたばかりのスウェーデン女性芸術家協会で副理事を務めるなど、芸術家としての道を着実に進んでいた。にもかかわらず、革新的な作品が鑑賞されたのは、神智学会など、ごく限られた場でのみだった。
作品の公表を阻んだのは、彼女の描き方が特異だったからだけではない。20世紀初頭、日本でもそうだったように、女性への評価は低かった。その状況はヨーロッパの美術界も同じ。「女性は模倣することしかできない。新しい芸術を創造することはできない」という考えが根強く残る男性優位の美術界が、女性が創造した新しい芸術に抵抗を示すことを、彼女も悟っていたのかもしれない。
理不尽な状況でも描き続けられた原動力はなんだったのか。それは、彼女の強靭な精神力や、世界を変えたいという強い信念によるところが大きい。しかし、どんなに描き続けようとも、世間が彼女の作品を受け入れる兆しは見えなかった。
晩年、アフ・クリントは、「死後20年たつまで一部の作品を公表しないように」望んでいたという言い伝えがある。人々の理解を得ることができない中、自身の作品を、未来の人々にゆだねることを決意したのだ。
作品が徐々に展示されるようになったのは、1980年代のこと。今では、近代美術史を塗り替えるとさえささやかれ、揺るぎない存在となっている。
楽園のように美しく感動的な色彩で私の奥底にある感情をさらけ出す10点を描くーーーヒルマ・アフ・クリント
芸術の中心地として知られるストックホルムのハムガータンのアトリエで撮影された33歳のころのヒルマ・アフ・クリント。81歳でこの世を去るまでに、およそ1000点以上の作品と124冊のノートを残した
ヒルマ・アフ・クリント財団 By courtesy of the Hilma af Klint Foundation
実験的な手法で生み出されたまったく新しい絵画表現
特異だったというヒルマ・アフ・クリントの描き方とは、実際どのようなものだったのだろう。
1896年、34歳だったアフ・クリントは、親友アンナ・カッセルら4人の女性と「5人(De Fem)」と名づけたスピリチュアルサークルを結成。彼女たちは、瞑想や霊的な存在との交信によって、無意識下でドローイングを描くという実験的な活動を繰り返した。これによって、見たままを忠実に描くという伝統的な手法から解放され、新しい芸術の扉を開く基礎を築いたと考えられる。
1906年以降1915年までに、アフ・クリントは193点の作品を描き、『神殿のための絵画』と呼ばれる一大作品群を完成させた。
注目したいのが、らせんや渦巻き模様、アンモナイトなど、繰り返し描かれるモチーフだ。これらは、生命のサイクルや自然科学への関心に由来するものといえる。らせんは、進化や進展、成長の象徴。また、アンモナイトの中心には精神を意味する「U」、手前には物質を表す「W」の文字が見える。ここからは、表面から内面に向かうにつれ、物質を離れ精神へと進化、成長を遂げる様子が見てとれる。
そして、初期に多用された明るく柔らかいパステルの色調は、人々の心を揺さぶるのに十分な美しさを放っている。現在でこそ見慣れたパステル色だが、当時の近代絵画においては非常に珍しい色彩だった。色もまた、アフ・クリント自身ではなく、外部のエネルギーによって生み出されたものだったのだろう。
次に着目したいのが、1914年以降に描かれた作品群に見受けられる、白と黒(光と闇)、男性性と女性性といった「二項対立」の構図や図像。
アフ・クリントが抽象的絵画を描きはじめた1906年以降、世界では革命や戦争が勃発していた。おそらく、彼女は世界を変えるのは暴動や武力ではないと感じ取っていたはずだ。作品は、性別や人種、階級などに対する偏見や凝り固まった価値観、物質主義や資本主義、東洋と西洋といった対極的(二項対立)なものの見方を打ち破り、新しい精神性へと向かうことの必要性を伝えている。
グローバル化が進み、テクノロジーが飛躍的に進化を遂げた現在、アフ・クリントの作品が、21世紀を生きる私たちに託された贈り物だとしたら、あなたはそのメッセージをどのように受け止めるだろう。
代表作を中心に、画業を年代順に紹介する来年3月の展覧会は、’25年、絶対に見ておきたい展覧会のひとつだ。注目の画家、ヒルマ・アフ・クリントを知る絶好のチャンスなので、作品との対話を思う存分楽しんでほしい。
Information
『ヒルマ・アフ・クリント展』
東京国立近代美術館
’25年3月4日〜6月15日
今最も注目すべき近代画家のひとり、ヒルマ・アフ・クリントのアジア初の大回顧展。3m超の大作《10の最大物》全10点をはじめ、代表的な作品群を中心に、彼女の画業を経年で紹介する。展示されるおよそ140点の作品のすべてが初来日。
●’25年3月4日〜6月15日
10:00〜17:00(金・土曜〜20:00、いずれも入館は閉館の30分前まで)
定休日 月曜(3月31日、5月5日は開館)、5月7日
観覧料/前売り一般2,100円、当日一般2,300円
東京都千代田区北の丸公園3の1
☎050・5541・8600(ハローダイヤル)
DVD『見えるもの、その先に ヒルマ・アフ・クリントの世界』
’22年に公開され、話題になった作品。キュレーター、美術史家、科学史家らが、遺族の証言とアフ・クリントが残した作品と言葉から、彼女が「目に見えるものを超えて見つめていた世界」を解き明かすドキュメンタリー映画。展覧会前に見るのもおすすめ。
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