最注目の歌舞伎俳優・尾上右近 「春興鏡獅子への熱き道のり」【手獅子・前編】~この手獅子を観るためだけに行く価値あり!~

尾上右近さんが歌舞伎俳優を目指すきっかけとなった「春興鏡獅子」(しゅんきょうかがみじし)。三才で夢見たその景色が、2025年4月の歌舞伎座で現実のものとなる。DREAMS COME TURE。後々、”尾上右近の鏡獅子の初演を観た”と語り草になるに違いない伝説の始まりの舞台。その熱量を「形にできるものは形にしたい」と、大事な小道具のひとつ、手獅子をあらたに自分のために作り、弥生役の衣裳も新しく作ることに。右近さんが求めたのはどんな手獅子なのか。そして衣裳の仕上がりは? まずは手獅子が作られた過程に密着する。

『春興鏡獅子』がつなぐ仏師と歌舞伎俳優の縁

3月某日、歌舞伎座が休演日のこの日、尾上右近さんは愛知県長久手市にある江場仏像彫刻所を訪れていた。歌舞伎座「四月大歌舞伎」で勤める舞踊『春興鑑獅子』で使う小道具の獅子頭(以下、手獅子)を仏師の江場琳觀(えばりんかん)氏にあらたに作ってもらっていたからだ。
『鏡獅子』といえば、右近さんにとって特別な演目。3歳のとき、曾祖父の六代目尾上菊五郎の『鏡獅子』の映像を観て衝撃を受け、『鏡獅子』を踊りたくて歌舞伎俳優の道を志した。
「以来、『鏡獅子』を踊るためにはどちらがいいだろうということが日々の選択の基準になりました。『鏡獅子』と出会ってなかったら、何のこだわりもない人生だったと思います。そういう意味で、僕にとっては、生きる意味と言っても過言ではない演目です」。
 10年前に自主公演では踊ったことがあったものの、今回は念願かなって本公演での上演。そこで今後の人生を共にする“マイ手獅子”を作ることにしたのだ。
最注目の歌舞伎俳優・尾上右近 「春興鏡獅子への熱き道のり」【手獅子・前編】~この手獅子を観るためだけに行く価値あり!~_1_1
いい木を選ぶところから手獅子制作は始まった
「『鏡獅子』は、お正月の鏡開きの余興に小姓・弥生がお殿様の前で踊りを披露することになったところから始まります。やがて飾ってあった手獅子を手に取り舞ううちに、手獅子に獅子の魂が宿って勝手に動き出すというストーリー。手獅子は魂が宿るほどの名品ということなんですね。
 じつは自主公演で『春興鏡獅子』をやったとき、六代目菊五郎の最後のお弟子さんの尾上菊十郎さんに家老役で出ていただきました。『昔はこういうセリフ回しがあった』とか、当時の話をいろいろ教えていただいたのですが、当日、襖の影から見ていたら、菊十郎さんが引っ込むときに飾られている手獅子に深々とお辞儀をしたんです。『ああ、そういうことか』と思いました。つまりお手獅子はお殿様の家の家宝だということ。そこに鏡獅子の本質があると思いました。
そのことが頭にあっただけに、余計にお宝にふさわしい人に作ってもらえたらと。それで仏像を作る仏師のかたに彫っていただけないかと思いました」。
 
最注目の歌舞伎俳優・尾上右近 「春興鏡獅子への熱き道のり」【手獅子・前編】~この手獅子を観るためだけに行く価値あり!~_1_2
仏像好きからも注目を集める仏師、江場さん。
そこで旧知の仲で、仏像に関する書籍や展覧会を手がける銀座 蔦屋書店の佐藤昇一さんに相談。話を聞いた佐藤さんは「江場琳觀さんしかいないと思った」と言う。
「江場さんは寺院に納める仏像を中心に製作を行っている仏師で、その活動は近年とても注目されています。伝統的なルールに則った仏像だけでなく、現代の美意識を反映させた創造的な表現にも意欲的に取り組んでいて、江場さんなら手獅子の創作にもきっと興味を持ってくれるのではないかと思いました。
また、今回はアーティストして作品を作るのとは違い、小道具としての使い勝手が重要になります。そこを汲んで作っていただくには職人としての技やコミュニケーションが大事になってきますが、その点でも江場さんには安心して任せられると思いました」(佐藤さん)。

一方の江場さんは、突然の依頼に当初は躊躇もあったとか。
「一番のネックはスケジュールでした。名古屋の興正寺さんからの依頼で、2年がかりで創っていた大日如来を仕上げるタイミングと重なっていたんです。ただ、右近さんの人柄や今回の『鏡獅子』に至るまでのストーリーを佐藤さんから聞いて、心を動かされるものがあって。また佐藤さんがうまいんですよ。『江場さんにしかできない』なんて言うものだから、すっかりその気になってしまいました(笑)」。
 何より大きかったのは『鏡獅子』に特別な縁を感じたからだ。
「僕は歌舞伎に明るくないのですが、唯一、よく知っているのが『春興鏡獅子』だったんです。というのも、以前、国立劇場のロビーに六代目菊五郎の『鏡獅子』の彫像が飾ってありましたが、その作者が、僕の尊敬する彫刻家・平櫛田中だったんです。田中が64歳のときに着手して、86歳のときに完成させた大作です。
平櫛田中の作品とは、昔、仏師の枠を超えて、さまざまな彫刻家の作品を勉強していたときに出会いました。田中の仏教美術を題材にした彫刻がどれも素晴らしいんですよね。作品にストーリーや感情がこめられていて、礼拝の対象とは違う表現で創られている。決まり事の中で仏像を作っている自分には、とても魅力的に映りました。
その田中が創った歌舞伎俳優の彫像ということで『鏡獅子』や六代目菊五郎のことは知っていたので、その『鏡獅子』の手獅子を、六代目のひ孫の右近さんのために彫ることができるなんて、不思議なご縁を感じました」。
 結局、昼間は大日如来、夜は手獅子、と並行して作業を進めていった江場さん。のちに右近さんの守り本尊が大日如来と知り、鳥肌がたったという。
「僕たちが使う刃物は、そのとき、掘っている仏像の種類や木の材質によって研ぎ方が変わります。研ぐことで作品に適した刃物に特化していくのですが、このときは、さっきまで大日如来のお顔を彫っていた刃物で手獅子を掘っていたんですね。これにも深いつながりを感じました。この手獅子もきっと大日如来に守られているんじゃないかと思います」。
  • 最注目の歌舞伎俳優・尾上右近 「春興鏡獅子への熱き道のり」【手獅子・前編】~この手獅子を観るためだけに行く価値あり!~_1_3-1

    大日如来の制作も最終段階へ

手獅子には、仏像と同じように水晶の玉眼が入れられた

  • 最注目の歌舞伎俳優・尾上右近 「春興鏡獅子への熱き道のり」【手獅子・前編】~この手獅子を観るためだけに行く価値あり!~_1_4-1

仏師の江場さん、蔦屋書店の佐藤さんに続いて、手獅子プロジェクトチームに加わったのが藤浪小道具の近藤真理子さんだ。藤浪小道具はおもに演劇の小道具を扱う会社で、歌舞伎の小道具もその多くを藤浪小道具が担っている。『鏡獅子』の手獅子も個人で所有している俳優は僅かにいるものの、たいていは、藤浪小道具が所蔵しているものの中から俳優が使いやすいものを選ぶことが多い。そこで手獅子の構造に詳しい近藤さんが、手獅子の小道具としての機能やビジュアルをチェックするほか、中の仕掛けを任されることに。
「藤浪小道具にも7~8つの手獅子がありますが、『鏡獅子』はカチカチと歯を鳴らすなど使い方が激しいので、歯が欠けたり、顔に亀裂が入ったりしていて、新しいもの作らなければいけないなとずっと感じていました。ただ以前、作っていた職人さんはみな高齢になり、制作が難しい。このままでは手獅子を作る技術も途絶えてしまうので何とかしなければと焦っていたとき、右近さんから手獅子を作るので手伝ってほしいと言われたんです。
今回作るのは右近さん個人の所有のものですが、手獅子作りを一からお手伝いすることは私自身の勉強にもなるし、藤浪小道具としても今後につながっていくと思いました。また右近さんの芸に真摯に向き合う姿や誠実な人柄につねづね共感していたので、ぜひお役に立ちたいと思いました」(近藤さん)。

 
最注目の歌舞伎俳優・尾上右近 「春興鏡獅子への熱き道のり」【手獅子・前編】~この手獅子を観るためだけに行く価値あり!~_1_5
藤浪小道具所有の手獅子。ひとつひとつ表情が違う
目指すは六代目菊五郎の『鏡獅子』。そこで、まずは早稲田大学演劇博物館(以下、演博)に所蔵されている六代目が使っていた手獅子をチェック。藤浪小道具が所蔵する手獅子と比べてみるところから作業はスタートした。
「六代目の手獅子は昭和初期のものですが、造形が抜群に良くて、今にも吠えそうなリアリズムと様式美を兼ね備えている名品です。ザクザクと荒く彫っているように見えて、じつは的確に面を落としている。フォルムのつかみ方がわかっていないと、こんなふうに勢いよくは彫れないので、かなり手慣れた人が彫ったものです」(江場さん)。
「同じ手獅子でも顔つきが全然違っていて、六代目の手獅子は顔がすごくかわいいんですよね。舞台では雄と雌が対になって飾られていて、弥生が手にするのは雌なので、意志が強そうだけれど、顔つきがやさしい。ぜひそれに近いものを作ってもらいたいと思いました。ただ、六代目は小柄で手も小さかったこともあり、中が狭くて持ちにくい。それで一番持ちやすい手獅子を選んで、中の構造は、それに近いものを作ってもらうことにしました」(右近さん)。

 
最注目の歌舞伎俳優・尾上右近 「春興鏡獅子への熱き道のり」【手獅子・前編】~この手獅子を観るためだけに行く価値あり!~_1_6
ひと彫りごとに、想いを込めて
ここから江場さん、近藤さんの試行錯誤が始まった。
「六代目の手獅子を映したモデルと、右近さんが使いやすいと言った手獅子の断面図を起こして比べると、内部の空間の広さが大きく違うし、持ち手のレバーの位置もかなり違うんですね。かといって、六代目の手獅子の内部を広げるには高さが足りない。そこで、六代目の手獅子を103%大きくしたサイズで作り、持ち手のレバーの位置も右近さんの使いやすい位置に変えることにしました」(江場さん)。
 材料となる桐は、作製以前にすでに手配していた。
「桐材は、家具に使われることが多いので薄板に引かれていることが多くて、手獅子を彫り出すくらいの塊は意外とないんです。それで探していたら、お世話になっている銘木屋さんに木目の細かいものと粗いものが2本あったので、先にそれを押さえました。
木目が細かい、粗いというのは、木の生育環境を現わしていて、10センチ育つのに5年で育ったものは目が粗くて軽いし、10年かかったものは目が細かくて硬い。六代目の手獅子はどっちかなと思って演博で見たら上質な目の細かいものだったので、僕もそれに倣いました。
とはいえ、桐はとても柔らかい。傷みやすいところを別の硬い素材で補強することも考えましたが、近藤さんによると、逆にそこがくさびになって割れてしまうのだそうです。中の空間を大きくして軽くすることと、強度を確保すること、つねにそのせめぎ合いでした」(江場さん)。
最注目の歌舞伎俳優・尾上右近 「春興鏡獅子への熱き道のり」【手獅子・前編】~この手獅子を観るためだけに行く価値あり!~_1_7
最注目の歌舞伎俳優・尾上右近 「春興鏡獅子への熱き道のり」【手獅子・前編】~この手獅子を観るためだけに行く価値あり!~_1_8
既存の手獅子を写真に撮り、綿密な計算のもと設計された
そして仏師として江場さんが一番こだわったところが獅子の目。仏像でいうところの「玉眼」だ。
「仏像では目の部分をくりぬいたところに、瞳を描いた水晶の薄いレンズを内側からはめ込み、そこに綿などを詰め込んで白眼とします。六代目の手獅子をはじめ、どの手獅子も目はガラスで作られていますが、仏師の僕が作るのだから、手獅子の目も仏像と同じように水晶で作りたいと思いました。ガラスでも艶やかに潤った目の表情はできるのですが、やや厚みのある水晶では、表面と内側の瞳を描いた面との間に距離ができ、その奥行きが独特の精気を生むと考えました。(江場さん)。
手獅子の目線も慎重に検討。
「手獅子の目をくりぬく前に木に黒目を描いてみたのですが、このとき、少し上目使いの意志のある目にしたら、とてもしっくりきたんですね。六代目の手獅子の目は、左右に離れているのですが、今回の右近さんの『鏡獅子』にかける意気込みとかを考えると、意志のある面構えのほうがあっているんじゃないかと思って、右近さんに相談して決めました」(江場さん)
玉眼を入れると、手獅子は命を吹き込まれたように生き生きとした表情に。あとは持ち手の位置や色の確認など、右近さんの最終チェックを待つのみとなった。
最注目の歌舞伎俳優・尾上右近 「春興鏡獅子への熱き道のり」【手獅子・前編】~この手獅子を観るためだけに行く価値あり!~_1_9
目をくりぬいた手獅子は迫力があって、まるで恐竜のようにかっこいい
最注目の歌舞伎俳優・尾上右近 「春興鏡獅子への熱き道のり」【手獅子・前編】~この手獅子を観るためだけに行く価値あり!~_1_10
くりぬいた目に玉眼を内側からはめこんだ様子。水晶は専門の職人によって、かなり薄く作られている

江場佛像彫刻所

  • 最注目の歌舞伎俳優・尾上右近 「春興鏡獅子への熱き道のり」【手獅子・前編】~この手獅子を観るためだけに行く価値あり!~_1_11-1

  • 最注目の歌舞伎俳優・尾上右近 「春興鏡獅子への熱き道のり」【手獅子・前編】~この手獅子を観るためだけに行く価値あり!~_1_11-2

  • 最注目の歌舞伎俳優・尾上右近 「春興鏡獅子への熱き道のり」【手獅子・前編】~この手獅子を観るためだけに行く価値あり!~_1_11-3

脈々と受け継がれてきた仏像彫刻の歴史や精神性を大切にしながら、
独自のこだわりを活かしながら仏像制作に取り組んでいる。
愛知県長久手市戸田谷1509
『第45回 草仏展』(4月1日~6日)
愛知県美術館ギャラリー(愛知芸術文化センター8階)
名古屋市東区桜1‐32‐2

歌舞伎座『四月大歌舞伎』

2025年4月3日(木)~25日(金)
夜の部 午後4時15分~
【休演】10日(木)、18日(金)
【貸切】※幕見席は営業
昼の部:12日(土)
最注目の歌舞伎俳優・尾上右近 「春興鏡獅子への熱き道のり」【手獅子・前編】~この手獅子を観るためだけに行く価値あり!~_1_12
合わせて読みたい
  • 最注目の歌舞伎俳優・尾上右近「春興鏡獅子への熱き道のり」【手獅子・後編】

    最注目の歌舞伎俳優・尾上右近「春興鏡獅子への熱き道のり」【手獅子・後編】

    尾上右近さんが歌舞伎俳優を目指すきっかけとなった「春興鏡獅子」。三才で夢見たその景色が、2025年4月の歌舞伎座で現実のものとなる。DREAMS COME TURE。後々「尾上右近の鏡獅子の初演を観た」と語り草になるに違いない伝説の始まりの舞台。その熱量を「形にできるものは形にしたい」と、大事な小道具のひとつ、手獅子をあらたに自分のために作り、演じる弥生の衣裳も新しく作ることに。右近さんが求めたのはどんな手獅子なのか。そして衣裳の仕上がりは? 後編は、いよいよ右近さんが製作途中の手獅子と対面!

  •  最注目の歌舞伎俳優・尾上右近 「春興鏡獅子への熱き道のり」【衣裳編】

    最注目の歌舞伎俳優・尾上右近 「春興鏡獅子への熱き道のり」【衣裳編】

    尾上右近さんが歌舞伎俳優を目指すきっかけとなった「春興鏡獅子」。三才で夢見たその景色が、2025年4月の歌舞伎座で現実のものとなる。DREAMS COME TURE。後々、「尾上右近の鏡獅子の初演を観た」と語り草になるに違いない伝説の始まりの舞台。その熱量を「形にできるものは形にしたい」と、大事な小道具のひとつ、手獅子をあらたに自分のために作り、弥生役の衣裳も新しく作ることに。右近さんが求めたのはどんな手獅子なのか。そして衣裳の仕上がりは? ここでは松竹衣裳部にお邪魔し、その衣裳制作の最終段階を見せてもらった。

Follow Us

What's New

Feature
Ranking
Follow Us