猫沢エミさん・小林孝延さんが見つめた、喪失と悲しみの向こう側。「愛した証拠」を抱えて、それでも生きていく

年齢を重ねて経験していく、大切な存在との永遠の別れ。死とは何か、そして生とは――。'25年11月に刊行された『真夜中のパリから夜明けの東京へ』は、パリと東京、1万キロの距離と時差を飛び越え交わした、大人の友人同士の往復書簡。率直な思いを綴り合ったミュージシャンで文筆家の猫沢エミさんと編集者の小林孝延さんが、晩秋の東京で再会した。
文筆家 猫沢エミさん 編集者 小林孝延さん

大切な相手を、いつかは必ず喪うという宿命

──もともとは雑誌『天然生活』の創刊時、連載執筆者と編集長として出会った猫沢さんと小林さん。時を経て再会したのは2021年の冬。それまでに、小林さんは両親と妻を、再会からほどなくして猫沢さんは愛猫と親友を、それぞれ亡くした。そして始まった、お互いの死生観をめぐる往復書簡。喪失で空いた心の空洞を抱えながら日常を送っていた2人は、お互いの言葉に誘われるように手紙を綴った。

猫沢 小林さんと再会する前に、うちの両親は、ほぼ同時にステージ4のがんであることが判明して立て続けに亡くなりました。猫のイオちゃんは難治性の扁平上皮がんになって1か月半で旅立ってしまいましたが、最期は私が安楽死を選択したんです。さらに、イオちゃんが逝った2日後には、親友も亡くなってしまって。

小林 その頃、僕も、母、父、妻を連続で見送ったタイミングでした。猫沢さんと再会してからは一緒にご飯を食べに行ったりして、仕事や他の話はしたけれど、あえてそこに触れる話はしなかったですよね。

猫沢 うん。疲れきった猫のような二人が、弱々しく笑いながら時間と空間を共有して、やりきれない気持ちを抱えてお酒を飲んでた。友だちだからこそ、逆に話さないで済んだのかもしれない。

小林 今回の本のテーマである、お互いの死生観についても、最初から最後まで手紙の中でだけ。直接話すのは今日がはじめて、というくらいです。

猫沢 往復書簡の最初、死の考察から書き始めた頃は、私、夜中にしか書くことができなかったんですよ。夜中に書き始めて、明け方になる頃までに書き終わる感じ。

小林 僕も、昼間、ノイズのある時間帯には書けなかったので、旅先やキャンプのテントの中から。猫沢さんに手紙を書くのは、自分の心のデリケートな部分にカメラ付きのカテーテルを入れていくような感覚でした。猫沢さんから見ても、きっと僕の本音は見えにくかったでしょうね。

猫沢 自分の感情や気持ちを言語化するのは、やっぱり男性はあまり得意じゃないのかも? でも、『つまぼく』(小林さんの著書『妻が余命宣告されたとき、僕は保護犬を飼うことにした』)を読んだとき、なんて小林さんらしい本だろう!と感じたし、全部を語らないところに余白が生まれて、そこに同じ痛みを経験した読者のかたが集ったんだと思いましたよ。

小林 ありがとうございます。あの本の中には書けなかった部分を、今回、猫沢さんへのお手紙という形を借りて書けたんじゃないかと思っています。後悔や、家族に対して申し訳なかったと思う部分など、猫沢さんになら伝えられるんじゃないかと思いながら。

猫沢 ぶっちゃけ、伴侶を亡くされた小林さんと猫のイオちゃんを見送った自分が、はたして同じ舞台に立てるのか?とも思っていたんです。でも、相手が何にせよ、絶対に失えないはずの存在を、人生の中では誰もが必ず失う宿命を持っていて、それでも生きていかなくちゃいけない……そんなことが、50歳を過ぎるとリアルに多くなってくるんですよね。

文筆家 猫沢エミさん

悲しみが癒えていくことに、罪悪感を持たないで

──ときには、ストレートな「豪速球」を。ときには、緩いカーブを描くように。生と死を巡る2人の言葉のラリーからは、お互いの心に響くフレーズが数々生まれた。

小林 猫沢さんが書かれた言葉でとくに印象に残っているのは、〈傷も心に空いた穴も、決して癒えたり消えたりはしない。ただ、その跡に新しい何かが芽吹いて緑地化していく〉。実は僕、猫沢さんはイオちゃんを失った喪失の時点から今も動けないでいるのでは?と思っていたんです。でも、猫沢さんにも少しずつ変化が訪れているんだということを知り、すごく希望を感じました。

猫沢 もちろん、今でも日常のふとした瞬間にイオちゃんのことを思い出して、すごく悲しくなったりもします。でも、小林さんがいつか「歳を重ねると辛いことや悲しいことが “切ない”って感情に置き換えられて、だんだん気持ちよくなってくる」って言ってたじゃない? それと同じように、私も「こんなに切なくなれるなんて、すごく豊かな人生だ」と思ったりして……。愛する存在をどんなに頑張って見送ったとしても、「もっとできたんじゃないか?」という悔いは必ず残るもの。だけどそれは、「失えない!」と必死になれるほどの愛情があったからこそ自分に返ってきたものなんだろうなと。

小林 そうですね。そんなふうに思えるようになるまでには、僕も時間がずいぶんかかりました。

猫沢 最初は、辛さが遠ざかって行くことすら辛い。でも、だんだん癒えていくっていうことに対しての罪悪感は持たなくていいんじゃないか、というのも感じました。それは、喪った相手の存在が自分の心の深いところに降りていくという、遺された人の立ち直りの形なんじゃないか?って。

小林 自分と同化していくような感覚ですよね。悲しんで、忘れることを罪悪だと感じるかもしれないけど、そういうものを手放すことは心を守るために大事なことだし、いつかはそれを自分に許容してあげてほしい。それは、今回の本でとくに書きたかったことのひとつです。

編集者 小林孝延さん

ただ傍にいる。あとは、時間が何とかしてくれる

──静かな時間と空間で、ひととき、心の扉を開いて思いを分かち合える。そんな相手を、どうやったら見つけられるのだろう? 2人の往復書簡を読むと、きっと誰もがそう思うはず。そして、誰かのそんな存在に、自分はどうやったらなれるのだろうか、とも。

猫沢 難しいですよね。今、暮らしているパリでフランス人に「私、こういうことがあって……」と話すと、すぐに「あ、それについての僕の意見はね……」って、めっちゃ被せてくるんだ! だから、最後まで話を聞いてもらうには、お金を払ってカウンセリングに行くしかない(笑)。

小林 ハハハ。日本でもありがちですよ。「そうなんだ。私の場合は……」って、あれ、俺の話どっかに行っちゃった?みたいな。

猫沢 「すごく辛いんでしょ、何でも言って!」なんて言うくせに、私が話している最中にわーっと泣き出して、「私はエミちゃんよりぜんぜんマシだわ」と、スッキリして去っていく人もいましたからねぇ。そういう人を私は「涙どろぼう」って呼んでますけど(笑)。

小林 自分の意見はさておき、まずは聞いてあげることですよね。そんなに簡単に解決できることじゃないから苦しくて、話しているわけですから。

猫沢 ついこの間も20年来の友人夫婦の奥様がお亡くなりになったんですが、残された旦那様に対して私ができることは「いつでも連絡して」と伝えて、それになるべく早くレスポンスをすること。そして、「ひとりじゃないよ」と言い続けることくらいでした。

小林 そう、ただ静かに「傍にいるよ」と伝えること。

猫沢 あとは、時間が何とかしてくれる。つくづく、小林さんと私は、お互いが患者でお互いがカウンセラーという、特殊な関係だったんだなぁと思います。

──2人は昨年、50代からの生き方を考える会員制オンラインサロン「バー猫林」を開設。大人世代を中心とした仲間たちとゆるやかにつながりながら、対話を続けている。

小林 テーマは「50代、60代に向けてどんなイメージを描きながら生きていくか」。たまに会員のかたから質問が来たりして、我々、わりと「やりたいことやっちゃえよ!」みたいな、身も蓋もない答え方をしていますよね。

猫沢 とくに小林さんがね(笑)。私はもともとそういう生き方しかできない人間だけど、小林さんまでいきなり会社辞めちゃって、完全にこっち側の人になっちゃったから。

小林 アドバイスしようにも、すでに「あの人たちに訊いてもね……」みたいな雰囲気に(笑)。でも、この間も、「仕事を辞めて、世界旅行に行きました!」という会員さんがいましたよ。「やっと自分の人生を歩み出せた気がする」という感謝のメッセージつきで。

猫沢 それならよかった。そう、そういうものなんだよね。年齢が上がれば上がるほど、一歩を踏み出す前は当然、リスクのほうをまず計算してしまうけど、やっちまえば意外と何とかなる! 小林さんなんて、ぜんぜん後悔がなさそうだし、生き生きして、お肌までツルツルになってきて。ここから先は、50代からのはっちゃけ書簡でも続けますか?

小林 「飛び出せ五十路」!

猫沢 アハハハ。人生100年時代ですもん。人間、誰もがそうやって今まで生きて死んできたんだから、大丈夫!って思えますよね。

ねこざわ えみ●ミュージシャン、文筆家。1970年福島県生まれ。90年代より音楽活動を開始。2002年に渡仏、帰国後より執筆活動を本格化。近著に『ねこしき 哀しくてもおなかは空くし、明日はちゃんとやってくる』『イオビエ〜イオがくれた幸せへの切符』(TAC出版)、『猫と生きる。-LA VIE AVEC UN CHAT』(扶桑社)、『猫沢家の一族』(集英社)など。’22年より再びパリ在住。超実践型フランス語教室『にゃんフラ』主宰。

こばやし たかのぶ●編集者。1967年福井県生まれ。扶桑社で雑誌『ESSE』『天然生活』などの編集長を歴任、俳優・石田ゆり子の『ハニオ日記』ほか多数の書籍を手がける。2023年、自身と家族の体験を綴った初の著書『妻が余命宣告されたとき、僕は保護犬を飼うことにした』(風鳴舎)が話題に。'24年に退社し編集事務所「yin+yang」を設立。福井新聞「月刊fu」で「犬と猫と人間(僕)の徒然なる日常」を連載中。
『真夜中のパリから夜明けの東京へ』

『真夜中のパリから夜明けの東京へ』

書くことによって自分自身を救わなければならなかった――。最愛の伴侶を喪った悲しみを見つめながら、死と生、そのあわいに揺れる希望を模索し綴った2人の魂の軌跡。心を覆う夜の闇に光が差す、そんなフレーズに、きっと出会えるはず。
集英社 ¥1,870

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