平和と希望のワイン「アスリナ」 南アフリカの黒人女性醸造家の“夢”とは?【飲むんだったら、イケてるワイン/WEB特別篇】

ワインの世界において、女性醸造家はまだまだ数少ない。そんななか、自身のブランドをもつ南アフリカ初の黒人女性醸造家ヌツィキ・ビエラさんが話題となっている。本誌連載「飲むんだったらイケてるワイン」番外編として、ご紹介。

立ちはだかる“壁”を乗り越えて

平和と希望のワイン「アスリナ」 南アフリカの黒人女性醸造家の“夢”とは?【飲むんだったら、イケてるワイン/WEB特別篇】_2_1
「当時の南アフリカにおいて、ワインは完全に白人の飲み物だった」とヌツィキさんは述懐する。ワインを飲むのも白人なら、造るのも白人。しかも、醸造家は圧倒的に男性が多い。黒人女性の醸造家など、国内では皆無だったのだ。折しも、時代はアパルトヘイトがようやく終わりを見せた頃。これは、無謀な挑戦とも言えた。
「私は、田舎のズールー族だけが暮らす村で育ちましたから、アパルトヘイトによる弊害を感じたことはありませんでした。むしろ、大学入学後、大学そのものがアパルトヘイトでした」。学内での人種差別や好奇の目。だが、一番つらかったのは、言葉が通じないことだったという。南アフリカの公用語は、オランダ語から派生した“アフリカーンス”という言葉。オランダからの入植者が多かったため、この言葉が生まれたという。彼女が育った村では使われていなかったため、入学式の案内書も、学内の掲示板もまったく読めなかった。そこで彼女は一念発起し、大学に掛け合い、言葉を学ぶためのテューターをつけてもらいながら、懸命に課題に取り組んだという。もし、ここですべてを投げ出してしまえば“元の黙阿弥”、彼女に未来はない。ヌツィキさんは歯を食いしばって頑張った。
 初めてワインを飲んだのは、大学入学後、奨学金プログラムのリクルーター宅に招かれた時のことだ。「品種は忘れてしまいましたが、飲んだ赤ワインは渋くて、正直、おいしいとは思えませんでした(笑)」。
 その後、夏休みにはワイナリー「デルハイム」でインターンとして働くようになり、本格的にワインに親しんでいった。生来の探求心の深さから、ワインづくりを学ぶにつれて、次第にワインへの理解を深め、自身がワインを楽しめるようになっていった。ワイナリーの人々にも溶け込み、ようやく未来が見えてきたという。
「人生は楽しい。友人もできて、ようやくそう思えるようになりました(笑)。その後、初めて私が造ったワインを祖母に飲んでもらう機会があったのですが、祖母は『おいしい』と言いつつも、全然おいしい顔をしていませんでした(笑)。でも、祖母も母も心から喜んでくれましたから、私はとてもうれしくて、これは大きな誇りと勇気になりました」。

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