2020年の大試練、新型コロナウイルス。でも悪いことばかりじゃないと信じたい

こんにちは、レイコ・ローランです。

昨年末に端を発した、新型コロナウイルスのトピック。最初はどこかテレビの中のニュースとしての存在でしかなかったものが、ここまで誰もの生活に影響を与えようとは・・。

2020年の概況について水晶玉子先生と対談をさせて頂いたとき、確かに、「2020年は大きく物事が動く年でありそうだ」という話はしていました。(以下、抜粋です)


<水晶先生>
’20年は時代の価値観がガラッと変わるような、大きな変化の芽が現れる年になりそうです。干支は「庚子(かのえね)」で“子”は十二支の始まり、“庚”は金性で変化の象徴。オリエンタル占星術でも「畢(ひっ)宿」でずっと動かないと思っていたものが動く年に当たるんです。

<レイコ>
数秘術で2020年を読み解くと、2+0+2+0=4に。4が意味するのは規律正しさや努力。現実に即して物事を修正して進めていかなければならない気運です。


ただ、正直「ウイルス」という具体的な言葉が出ていたわけではありません。具体的な何が起こって・・ということは、やはり蓋を開けてみないと分からないものなのだなぁ、と実感しました。オリンピックのように予定帳に書いてあることであれば、それがどうなりそうかは予測できても、「何か雲行きが厳しい、簡単ではなさそうなことがありそうだ」という匂いの正体は、到来して初めて唖然とするのですね・・。

占いの的確さにも、不明瞭さにも、両方に私自身が唖然とすることになりました。


さて、それでこのコロナウイルス。吉凶でいえば凶に他ならない存在であるにしても、本当にそれだけなのでしょうか。このことで、例えば働き方ひとつとっても、今までの在り方の「要不要」がふるい落とされる場面も出てきています。
無しでも大丈夫だった会議がなくなったり、時差通勤やリモートワークが発達したり。(オリンピックの予行演習のように・・) 危機管理について深く考えることで、明らかに未来型に刷新されるシステムもあるわけです。

また、このウイルスというものの性質。その人の地位や財産にかかわらず、襲ってきます。ウイルスからすれば対象はとても平等です。どこに潜んでいるかわからない空気に漂う存在で、感染者数の差こそあれ、どの国にも共通の敵。まるで、宇宙からの未確認生物の襲撃・・というと大げさですが、多少、国と国との力学を超えたところで対処しなければならない部分もあり、何か感覚をフラットにさせるようなところもあります。


これが「災い転じて福となす」と出来るのであれば、占星術で言われているところの、いい意味での「みずがめ座的世界」が出現するきっかけとなるような気もするのです。

ちょうどコロナウイルスが無視できない存在になってきたのは、今年の1月下旬から2月中旬ごろの、みずがめ座に太陽が入ったころでした。そしてそのあと、怒涛の水星逆行時期に渦巻の中に入っていくような情勢があり、こんどの3月22日には、いよいよ土星がみずがめ座に突入します。一時的に山羊座に″後退”もしますが、年末の12月には、本格的に(そのあと2年滞在)。そして4年後には時代を彩る冥王星が続いて水瓶座に入ってしまうのです(そのあと約20年滞在)。

みずがめ座のキーワードといえば、先進的な知識、技術といったある意味フューチャリスティックな世界。未知との遭遇という意味では、一番”凶“とも取れる現象が、新型のウイルスだったのかもしれません。対抗措置としては、あらたな革新的な医療がもたらされる可能性もあります。
また、それと同時に、人々の間にフランス革命のときのような「自由、平等、友愛」といったキーワードが強調されるような機運を呼び込むきっかけになる可能性も多いにあるのです。


例えばですが、今回のウイルス感染予防で、働けない人が増えたとして、正規・非正規などの差が結果として強調されそうになりました。システムの思いやりのなさが透けて見えそうにもなりました。ただ、今年にかけて、それを是正していく何らかの動きが出てきそうでもあるのです。水晶先生との対談でも出ていた、“ニュー・シトワイヤン”(新しい市民)とも呼べる人たちが台頭してくる可能性があるのです。個性を認める、平等にしよう、というのがみずがめ座の性質でもあるので。

もしかしたら経済にしても、GDPとか株価とか今までの古めの価値観で測れる物の価値は、少しだけ壊れてしまうのかもしれず、何か新しい価値を測る指標の“創造”がありそうです。政治体制も徐々に古いものや既得権益だけを追求するシステムは崩れて、私たちの考え方も自由になっていく可能性が高いです。

もやっとしたものが晴れて頭がすっきりとして、多少今よりも「変だな」と思うことが減り、新しいシステムが”発明“される・・。それはそれで、少し先を行くのだと思えば、ワクワクしないこともないのです。


さて、ここでちょっと余談になりますが、私の最近の個人的な体験です。

夜中の0時に小学生の娘が食あたりで嘔吐しました。たまたま吐いた場所が複数の布団にまたがっており、家族3人分のシーツが少しずつ汚れてしまいました。寝ていたところを起こされて、愕然として何たる不幸と思いつつも、一つずつ対処をしていったところ・・・

最終的に、これによって生じたよかったこと。
「捨てようと思っていた布団を一組捨てた」「そろそろ洗わなくちゃと思っていたベッドマットを思い切って総洗い」「一時的避難で家の中で3人がそれぞれ寝られる他の場所を探した(→よりコンフォタブルな場所を見つけた)」「封を開けずにとっておいたルームフレグランスを試したらとても良かった」など、災い転じて目の前が開けるような、感覚を味わいました。

(ちなみに、娘は発熱もなくそのあとはケロッとしたまま元気に過ごしており通常のノロウイルスだったようです・・)

我が家の中で起こった小さな災いバージョンでしたが、ここで転じられたことに目を向けると、困難を超えたあとに変われたシステムというのがあるのですね。何か違うレベルで、色々なことを経験されている方は続出しているのではないでしょうか。


凶に見えることでもなにかの吉のきっかけにもなりえます。

もちろん、中にはそんなレベルでない出来事を経験されている方々もいるわけで、軽々しいことは言えません。日常が非日常になる・・そんな感覚にも、限度というものがありますから、なるべくは平穏にこの時期を乗り切っていけるよう・・切に祈っています。

それでも、「災い転じて福となす」をひとまず信じたいと思います。

先を暗く見過ぎずに、一緒に頑張っていきましょう!
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