室町時代にも、禰豆子がいた⁉︎

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室町時代の『藤袋草子絵巻』で見つけた、禰豆子状態の女の子。

”かわいさ”や"おかしみ"の感性に関しては、今の漫画も御伽草子もさほど変わらないように思います。こちらは猿たちに連れ去られた娘が(連れ去りにはそれなりの正当性があるのですが)、その留守中に編み籠に入れられて木につるされていたところを、狩人に助けられた場面です。救出を特段喜ぶ様子もなく、娘が籠の中にちょこんと座っているのがほのぼのとして可愛らしい。

『雀の小藤太絵巻』の上巻では、何と鳥たちが和歌の応酬。掛言葉まで使って雀をいたわる鴛鴦夫婦の優しさよ…。下巻で雀は擬人化され、出家して念仏を唱えながら諸国を行脚します。

いずれの絵巻も、11/29まで開催されているサントリー美術館の『日本美術の裏の裏』の出品作です。ここのところネットで鬼滅ニュースを浴びっぱなしで、「箸が転んでも鬼滅」的な脳みそになっていますが、そのおかげで余計に楽しめた部分もあろうかと。吹き抜けの展示スペースは繭玉のぶら下がる那田蜘蛛山めいて見えました。

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さて、真面目な話としましては『かるかや』上下冊一挙公開が圧巻です。

稚拙ながらも堂々たる描きっぷりの挿絵。頭から花が生えた菩薩がやって来る奇天烈な来迎図などに触れると、「なるほど、これは下手でおもしろい! 」と、つい"上から目線"になりがちですが、この絵が悲しいお話に何とも言えない情趣を添えている点は見逃せません。「人生にはそういうことも起こり得る」という諦念というのか、ある種の達観と絵の拙さは相性がいいように思われます。

個人的に気になるのは、下冊の四十九から五十(冊内の付番)の絵の流れ。

その場面までのあらすじはおよそこんなところです。世の無常を観じて出家した筑前国苅萱領主、加藤重氏の行方を追って、その妻と子の石童丸は高野山へ向かう。しかし高野山は女人禁制のため、妻は麓の宿で待つうちに病に伏す。父の出家後に生まれた石童丸はその面影を知らぬままで当人(=苅萱道心)と遭遇したが、「その男は死んだ」と告げられ、失意のまま下山。宿に戻ると母は亡くなってしまい、身寄りを亡くした石童丸は再び刈萱道心のもとを訪ね、宿の主人も道心に弔いを依頼する…。

恥ずかしながら私には解読不能のテキストにおいては、妻の遺体を前にした道心の取り乱しっぷりが記述されているそうですが、絵の中で袖を濡らすのは石童丸のみです(写真2枚目)。道心が亡骸を目の当たりにした瞬間を描いているというべきか。

この絵の次は、野辺送りに出る二人の描写。このひたすら穏やかな風景が実に胸に迫ってきます。

実際、二人は黙々と歩くしかないでしょう。石堂丸の前を行く苅萱道心は、すぐにも息子を抱きしめて慰めてやりたいと思っているはず。しかし、出家した身ゆえに、どうしてもそれができない。その「心中を察して余りある」状況に過剰な描写は要らないと、描き手はよく分かっているようです。手前の土坡と奥の山のゆったりした曲線は、二人の悲痛な胸の内に対して、絶妙な対位法となっています。そして、次の荼毘に付す場面で初めて、二人ともが泣くのです。

絵だけを追う限り、なかなかの巧者と言わざるを得ません。

"巧者"ついでに申しますと、展覧会の第一章「空間をつくる」では、展示の造作が巧みでした。冒頭の円山応挙の『青楓瀑布図』は、あたかも書院の床に飾られているよう。襖ふうの壁を隔てた隣の空間から振り返ると、絵が周囲に溶け込んで滝のリアルさがさらに増し、「これぞ、サントリーの天然水!」と感じられました。ネタバレになるので掲載しませんが、締めくくりの作品のセレクトも、ウィットが効いていておもしろいですよ。

作品の特徴を知り抜いた所蔵館ならではの展覧会で、引き込まれました。
(編集B)

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