クラーナハにグッと来た、『メトロポリタン美術館展』。

メトロポリタン美術館展

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メトロポリタン美術館展 フェルメール 信仰の告白

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会場は東京・六本木の国立新美術館。メトロポリタン美術館のヨーロッパ絵画ギャラリーの設備改修によって実現した世界巡回展。                        
ヨハネス・フェルメール『信仰の告白』(部分) 1670〜72年 油彩・カンバス 114.3 x 88.9 cm 
The Friedsam Collection, Bequest of Michael Friedsam, 1931 / 32.100.18 
The Metropolitan Museum of Art, New York
皆さまもうお出かけでしょうか、現在、国立新美術館で開催中の『メトロポリタン美術館展-西洋絵画の500年』。初来日のフェルメール作品をはじめ、これほど粒よりの西洋古典絵画が揃って来日することは稀。会期終了の5/30までに、ぜひともご覧ください! 

と宣伝したところで、興味のない人には響かないかもしれません。日本人にとって、西洋の古典絵画の何が退屈かと言えば、「キャラが薄い」ということでありましょう。写実性や理想化を追求しつつ、三次元を二次元の画面に落とし込めば、出来上がるものは大同小異。その中の微差におもしろみを見出すのはちょっと面倒……。

私もどちらかというとそんなひとりですが、ルカス・クラーナハ(父)の『パリスの審判』は一味違います。今回は、この一点だけをクローズアップしてみましょう。
 
メトロポリタン美術館展 クラーナハ クラナッハ

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ルカス・クラーナハ(父) 『パリスの審判』 1528年ごろ 油彩・板 101.9 x 71.1cm Rogers Fund, 1928/ 28.221 The Metropolitan Museum of Art, New York
パッと見では質感表現や細部の描写、霞む遠景などがいかにも泰西名画らしく映ります。そう、技術は確かなのです。でも、不思議なところがチラホラ。自分なりにやってみたいこと、お客さん目線で受けそうなことなどが節操のない感じで同居していて、独特な世界を生んでいる。私は、クラーナハの作品のそういうところにグッと来てしまうのです。

絵に入る前に、まずは「パリスの審判」のあらすじを。ネタ元はギリシャ神話です。ある英雄と海の女神の結婚式のさなかに、招かれざる客が現れました。それは、不和の女神エリス。そりゃ呼ばれないでしょうよ…と誰しも思うはずですが、宴の場にやってきた彼女は、「最も美しいものへ」と刻んだ黄金のリンゴを投げ入れます。すると、ヘラ、アテナ、アフロディーテの三女神が「私にこそふさわしい」と主張し始め、収拾がつかない。そこで主神ゼウスは、トロイアの王子パリスに裁定を丸投げすることに。ヘルメスに連れられてパリスのもとにやってきた3人は、報酬を持ち掛けて自分にリンゴを渡すようパリスを唆します。結局、リンゴを手にしたのは、絶世の美女を与えると約束したアフロディーテでした。ではその美女とは誰かというとスパルタ王妃で、このことがトロイア戦争のきっかけになるという、後日譚が壮大な意地の張り合いだったのでした。
 
メトロポリタン美術館展 クラーナハ クラナッハ

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メトロポリタン美術館展 クラーナハ クラナッハ

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ルカス・クラーナハ(父) 『パリスの審判』(部分) 1528年ごろ 油彩・板 101.9 x 71.1cm Rogers Fund, 1928/ 28.221 The Metropolitan Museum of Art, New York
ルカス・クラーナハ(父) 『パリスの審判』(部分) 1528年ごろ 油彩・板 101.9 x 71.1cm Rogers Fund, 1928/ 28.221 The Metropolitan Museum of Art, New York
クラーナハの作品では甲冑姿の若者がパリスで、風変わりな格好の老人がへルメスです(兜は2羽の鳥の飾り物!)。で、肝心のリンゴはどこ? そして女神は誰が誰? 女神たちは個性が薄く明確なアトリビュートもないので判別がむずかしい(手前の2人がよく似ていて双子みたい)。画面左上のクピドが狙いをつけている、帽子姿の女神がおそらくアフロディーテなのでしょう。一方、パリスはぼんやりとした表情を浮かべ、裁定者らしくありません。すっぽんぽんの三人組の意味不明な要求に困惑しているかのよう。「女性に惑わされる男」という図式は、アダムとイヴの構図を彷彿とさせます。

これぞクラーナハ!という重要ポイントは、ヘルメス以外の衣装が"当世風"だということ。クラーナハは肖像画制作時に喜ばれた俗っぽいほどのイマドキ感を、神話にもあてはめているわけです。それによって際立つのが、女神たちの裸体の官能性。流行のアクセサリーや帽子、薄布だけを纏うのは、「神話(=異世界)ゆえのヌードです」という言い訳をせず、むしろ裸を日常に寄せています。平易かつ下品に申しますと、そのほうが断然エロい。この手法は人気を呼び、クラーナハは工房をあげて裸体画を大量生産しました。

そのため『パリスの審判』にも類品が多数ありますが、本作はその中でも出色の完成度。横・正面・後ろという女体の三方向提示は珍しく、発注者の欲望の表れでしょうか。そのわりに帽子を被った女神の薄布は平板で色も濃いため、後世の補筆かと思われます(※木の根元の湧き水の繊細さと比較)。本作の女神たちが堂々としている分、その点がちょっともったいない。個人的には、カールスルーエ州立美術館版の浮足立ってる女神たちの描写が可笑しくて一番好きです。

 
メトロポリタン美術館展 クラーナハ クラナッハ

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ルカス・クラーナハ(父) 『パリスの審判』(部分) 1528年ごろ 油彩・板 101.9 x 71.1cm Rogers Fund, 1928/ 28.221 The Metropolitan Museum of Art, New York
ルカス・クラーナハ(父) 『パリスの審判』(部分) 1528年ごろ 油彩・板 101.9 x 71.1cm Rogers Fund, 1928/ 28.221 The Metropolitan Museum of Art, New York
さて、よくよく画面を見ていくと、案外、整合性が取れていないことがわかります。たとえば馬がいくらなんでも小さすぎる。中景の道の幅も広すぎやしないか。でも、奥の建物まできちんと辿り着けるように描きたいからせっせと繰り返す。極めつけは奥へと伸びる枯れ枝で、唐突に遠近感を強調しています。戦争につながることへの不穏な演出なのかもしれませんが、それ以上に、遠近表現を操る率直な嬉しさがにじみ出ているような……。これは江戸時代の秋田蘭画でも見かけます。

一番目立つはずの木の幹のことが最後になってしまいましたが、画面を分断するような木の描写もなかなかに奇抜です。ゴーギャンの『説教の後の幻影』(スコットランド国立美術館)ほどのインパクトはないにせよ、やはり分断するような意図があるのかもしれません。中世に脚色された「パリスの審判」ではパリスは狩人の設定で、夢の中でヘルメスと女神たちに出会うのだそうで、木の右側は夢の世界(ゆえにパリスは虚ろな表情)、木の左側は現実世界(馬はカメラ目線)だったりするのでしょうか。とはいえ右端の女神も馬同様にこちらに視線を送っており、統一感があるのかないのか判然としませんが、あちこちからサービス精神が迸っていると思えば、とても愛嬌のある画家として受け止められるはず。オジサン顔のクピドもかわいいではありませんか。

会場で、皆さまも好みの一点に出会えますように。
(編集B)


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