お茶は鉄道旅の友。

汽車土瓶 汽車茶瓶 ポリ茶瓶 お茶 駅弁

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汽車土瓶 汽車茶瓶 駅弁

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ポリ茶瓶 お茶 駅弁

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本日、八十八夜。新茶でなくとも、何だかお茶がありがた美味しい気がする日。

写真は鉄道旅の友としてのお茶容器のいろいろです。昭和から平成にかけて、汽車土瓶、ポリ茶瓶、缶、ペットボトルへと移り変わってゆきました。ポリ茶瓶は1960年代から一気に普及。缶入り煎茶は伊藤園が1985年から販売、500mlペットボトル入りは1996年に登場しました。

記録に残るお茶の駅売りとして最も古いのは、1889(明治22)年の静岡駅とされています。駅弁の販売開始が明治10年代であることを考えると、もっと早い例があっても不思議ではありません。初期の容器は小ぶりな土瓶の転用でした。やがて、茶杯もついたより小さな専用品としての「汽車土瓶」が各地の窯場で焼かれ、定着します。大正時代までは轆轤引きが主流でした。

写真2枚目、汽車ぽっぽの土瓶は泥漿鋳込製で、戦前の会津本郷焼(※弦は別もの。当初はおそらく針金仕様)。土瓶形ではないので、「汽車茶瓶」と呼ぶことも。写真3枚目のポリ茶瓶はJR伊東駅の「駅弁の祇園」で現在も販売中のもの。昔のような強い匂いはありません。お店でもらう茶葉は地産の「ぐり茶」で、その場で淹れるとやはり美味🍵 色は鮮やかなグリーンでした。
 
茶畑 新茶

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汽車茶瓶 ガラス茶瓶

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さて、ここで他愛のないクイズをひとつ。漫画『鬼滅の刃』が物語の舞台としている大正初期のちょっとあと、今から100年前には、お茶の駅売りに土瓶の使用は避けるべしとされました。では、代わりに使われたのは何だったでしょうか? 紙? アルミ? ベークライト? よもやの竹筒?

クイズの答えは、写真2枚目の通りです。素材としてはごく一般的で、言葉の上では想定の範囲内。「クイズになってない!」とお怒りになるやもしれません。しかし、当時の容器はその場だけの使い捨てとするにはいささか重たく、大きすぎ。それまでの土瓶に比べて肉厚で、カップの口当たりもよくありません。何だか不恰好な水筒ごとお茶を買うような感じがします。

土瓶の使用がNGとなった理由は、脆い、中身が見えないから量がわからない、梱包材のクズが残りやすく不衛生ではないか、といった意見があったためとされています。それなら大正10年から導入された新しい茶瓶はどうかというと、すぐ熱くなって持てない、中身が見えすぎて病院でお世話になるやつみたい、割れてしまうと破片が危険ということで、昭和に入ると陶製に戻ります。大正期の素材変更の結果は初めから想像できそうなものですが、なぜか販売するところまで行ってしまいました。
 
静岡駅 汽車土瓶 お茶 駅弁

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静岡駅 汽車土瓶 お茶 駅弁

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昭和初期に静岡駅で売られていた汽車土瓶。※弦は現代のものに交換済み。茶杯は逸失。
昭和初期に静岡駅で売られていた汽車土瓶。※弦は現代のものに交換済み。茶杯は逸失。
陶製汽車土瓶の復活については、粗悪な機械生産品に対する手工芸の勝利、と喜びたいところですが、昭和に入ってからの汽車土瓶では、泥漿鋳込のチープな型成形が主流となりました。これはコストカットと大量生産の両立を追求してのこと。そんな中、絵付けまで施した轆轤引きの土瓶でお茶を売っていたのが、以前もご紹介した静岡駅の東海軒です。この贅沢仕様は「静岡茶」の宣伝を兼ねており、静岡県茶業会議所からの支援があって実現していたようです。

車窓の向こうに青々とした茶畑を眺めつつ、「お茶は静岡」と書かれた土瓶から注いで緑茶を飲む。土瓶には富士山の絵があるので、土産として持ち帰りたくもなる――。その宣伝効果は並々ならぬものがあったことでしょう。造りこそ簡素になっていきますが、静岡駅では戦後も長らく「お茶は静岡」と入った汽車土瓶が扱われました。

時に、最初の並び写真の中のペットボトル入りのお茶は、JR東海の新幹線駅で購入したもの。そのラベルを見ますと、「静岡茶」のアピールは、"新幹線×ペットボトル"の現在もしっかり継承されているようですね。
(編集B)

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