夫は89歳、妻は88歳。近年急増した高齢者文学の中でも、藤野千夜『じい散歩』は主人公がきわだって高齢であるうえに、アラフィーを迎えた3人の息子がそろって“規格外”という、異色の家族を描いた快作だった。
『じい散歩 妻の反乱』はその続編である。主人公の明石新平は92歳、妻の英子は91歳になった。息子たちは相変わらずだ。高校中退後、家に引きこもったまま50代半ばになった長男の孝史。自分は長女だと主張し、男性の恋人と暮らしているトランスジェンダーの次男・健二。グラビアアイドルの撮影会などを主催するあやしげな会社を興して大赤字を出し、実家に戻ってきた三男の雄三。ちなみに全員独身、子供もいない。
そんな明石家にもしかし、変化はあった。2年半前に英子が倒れて、在宅介護が必要になったのだ。だが例によって長男は役に立たず、自称長女の次男はたまに手伝ってくれるが口が悪く、三男にいたっては金の無心しかしない。
誰しもが直面する可能性のある老老介護。凡人ならイライラ、ギスギスしそうなところである。けれど何があっても深刻にならないのが明石家、そして新平って人なのだ。健康オタクを自認するだけあり、目や耳は多少不自由になったが、この年齢にして食欲旺盛かつ健脚。妻が倒れたあとも時間を見つけて散歩に出ては、喫茶店でひと息つくのが楽しみである。
大正の末に生まれ、青春時代に戦争を経験し、戦後は小さいながらも建設会社を経営してきた人である。まして息子はひとりも会社を継がなかったのだ。この世代の父親なら、もっと頑迷でもおかしくないのに本人いわく。
〈好き勝手をする三人の息子を見てため息をついた日がなかったとは言わないけれど、でも自由でなくてどうする、ともよく思った。/自分たちは、不自由な時代をたっぷり生きてきたのだ。/あれは全然よくなかった。/だから自分の責任が取れる範囲で、みんなが好きに生きたらいいと思っていた〉
それが長生きの秘訣かも!
かくて時代は平成と令和をまたぎ、物語は新平が96歳になる’22年まで続くのである。
すると「妻の反乱」とは。答えは最後に明かされるが、夫に自分の世話をさせていること自体が一種の反乱ともいえる。夫の浮気の心配から財産の取り分まで妻には妻の悩みがあったのよ。〈お父さん、なんでも自分で引き受けるって顔してるくせに、結局、肝心なことは見ないで、すぐ散歩に逃げるんだから。ママが怒ってたのも、そういうところだと思うな〉とは辛辣な次男の言葉。
80代が50代の生活を支える8050問題の何が悪い。大丈夫、それでも人は生きていける、と思わせてくれるパワー注入小説だ。