『焼き芋とドーナツ』女性労働者たちのおやつから見えてくるのは?【斎藤美奈子のオトナの文藝部】

エクラ世代におすすめしたい書籍紹介。今月は、おやつという切り口から100年前の日本とアメリカの女性労働者の食生活を探った研究書『焼き芋とドーナツ 日米シスターフッド交流秘史』など3冊をご紹介。
本1

女性労働者たちのおやつから見えてくる社会史
『焼き芋とドーナツ 日米シスターフッド交流秘史』

湯澤規子
KADOKAWA ¥2,420

ファッションと同じでスイーツも流行を繰り返す。昨今のブームは昔懐かしい焼き芋か、はたまた各種フレーバーがそろうカラフルなドーナツか。

で、この本、湯澤規子『焼き芋とドーナツ』。こんなタイトルだけどスイーツ本とは少し違う。副題は「日米シスターフッド交流秘史」。実はこれ、100年前の日本とアメリカの女性労働者の食生活を探った研究書なのだ。

冒頭に登場するのは、ひとりの紡績女工の手記である。彼女、高井としをは『女工哀史』の著者である細井和喜蔵の妻だった人で、後年、自身の著書(『わたしの「女工哀史」』。現在品切れ)で、東京の紡績工場に入ったばかりのころの思い出を書いている。

無一文で工場に来たとしをは着替えが1枚もなく、石鹸も買えず、40人が暮らす寄宿舎でシラミをわかせてしまった。そこで彼女は人より多く働き〈給料日のあくる日には日本橋まで行って有り金をはたいて着物や襦袢を買い、同室の女工たちにはお土産に煎餠や饅頭をたくさん買って帰った〉。こうして同室の仲間たちの信頼を取り戻していったとしを。茶菓が人間関係をつないだ例である。

近代の女工と聞くと十把(じっぱ)ひとからげに「悲惨」というイメージがわくけれど、日常茶飯に目を向ければ、一人ひとりの喜怒哀楽が浮かび上がると著者は主張する。

日本で最初の女性労働運動が始動したのは1920年代後半。女工たちの要求には「寄宿女工を自由に外出させること」という文言が入っていた。自身の手で外出する権利を得た女工たちは、工場の近くの店での「買い食い」の楽しみも手にした。うどん、あられ、みたらし団子、果物、大判焼き、鯛焼き、みかん水、ラムネ……。そして焼き芋は、こうした買い食いの象徴的な食べ物だった。

〈「間食」や「嗜好品」の世界は単なる娯楽というよりもむしろ、企業や工場の管理下でなお、自らの力で生きていることを実感できる喜びとささやかな抵抗という意味があったように思える〉

仕事でヘトヘトになった現代女性がスイーツに特別な意味を見出すのと同じ構図かもしれない。

一方、日本より早く産業革命が訪れたアメリカでは、20世紀初頭に寄宿制度が廃止され、女性労働者は自宅から昼食を持参するようになっていた。が、都市では食事を作る時間も空間もない。そこで活躍したのが調理ずみの食べ物を商うベーカリーや総菜屋で、ドーナツは間食というより、サンドイッチと並ぶ最も一般的な食事のひとつだったという。

何げなく口にしていた食べ物の意外な歴史。焼き芋もドーナツも働く女性たちの体と心を支えてきたのだと思うと感慨もひとしお。ちょっと元気の出る社会史だ。

米騒動の知られざる真実。「パン屋の女将」となってロシアパン、インドカレー、中華まんなどを開発した中村屋の相馬黒光。実はアメリカで生物学を学んでいた津田梅子。家事を切り盛りしながら書いた女性作家たち。社会的・政治的なメッセージを織り込んだパッチワークキルト。などなど、本文で紹介した以外にも話題は豊富。単なる食文化史にとどまらず、多彩な資料から日米の働く女性たちのいきいきした姿が伝わってくる。

あわせて読みたい!

本2

『「おふくろの味」幻想 誰が郷愁の味をつくったのか』

湯澤規子
光文社新書 ¥1,034
男性にとってはノスタルジー、女性にとってはストレスのもとになりがちな「おふくろの味」。そのルーツをたどると意外な歴史が見えてきた。農村から都市へ人口が移動した高度経済成長期、人々の郷愁に訴えることで、それは誕生し幻想化した。食とジェンダーの関係を考えさせる好著。

本3

『まっくら 女坑夫からの聞き書き』

森崎和江
岩波文庫 ¥814
『焼き芋とドーナツ』でも言及されている’61年初版の名著。明治から昭和初期にかけて、九州・筑豊の炭鉱で働いた経験をもつ女性たちを訪ね歩き、10人の声を集めた聞き書き集。「男は外で働き、女は家を守る」という性別役割分業とは違った、たくましい生活体験が語られている。

文芸評論家・斎藤美奈子
さいとう みなこ●文芸評論家。編集者を経て’94年『妊娠小説』でデビュー。その後、新聞や雑誌での文芸評論や書評などを執筆。『日本の同時代小説』『中古典のすすめ』『忖度しません』『挑発する少女小説』ほか著書多数。近著に『出世と恋愛 近代文学で読む男と女』(講談社現代新書)。

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