何ごとも「テクニックよりハート」

〜占いの技術よりも、表現するハートを磨いていきたいなという新年の願いを込めて〜
明けましておめでとうございます!
レイコ・ローランです。


昨年末くらいから、木星が山羊座に入ったこともあって、多少張り切っている私。

今朝、NHKの番組を見ていて、京都の龍安寺を担当する庭師の方の言葉に、ハッとしました。

「(庭を手入れするという)技術よりも、心が大事。心で行なっていく。いくら技術があっても、こころが入っていなければだめ」というようなコメント。


こころ>技術。


占いも全く同じなのではないかな、と。

よく、占いに関する評価は「当たるか」「当たらないか」になってしまいますが、本来はそういうことではないのではと思っています。
どんなメッセージを込めることができるか、どれだけ体温みたいなものをこめられるか、ということかなと。

ホロスコープを診たり、占いのシステムを勉強することは、実は、数学などの学問のように、誰でもできるものなんです。
だけどそれについて、どんなふうに人としての体温や愛を持って解釈をすることができるのか。

その人となりが、実はめちゃくちゃ試されるものだから、こわいなと思います。

別の言い方をすると、占いは翻訳作業にもとても似ています。
記号はどこを取ったって同じなのに、それをどんな言葉使いで、どんな気遣いで表現するかが、その占い師にかかっている。


だから、すでに誌面などでしかと文章で発表されている「占い」については、はっきり言ってその占い師がそもそも、人生において「よしとするもの」、つまりその人の価値観が、成分としてめちゃくちゃ入っているものなんです。

ゆえに、面白い反面、とても怖い。


みずからも人として修行中の身であるゆえ、「(占いってね、)エンターテイメントだから」と、誇りと自嘲と謙遜を混ぜて、表現することもあるのですが・・。

そのときどき、ちょっと客観的になって立ち止まってみたり、一緒に笑って楽しんでもらえたりすればいいのかな、というのが目下心掛けていることではありました。


まだまだ道半ばで明確な答えは見えないけれども、「技術よりハート」。

それだけはこころに留めて、ハート磨きに今年も邁進したいと思います!

ついでに、じつはもともと「占い師」という言葉にちょっと抵抗感があり、勉強すれば誰でもできる学問みたいなものだからと、「占星術研究家」とでもいうべきと思っていた自分・・。

今回テレビで見た「庭師」さんのように、シンプルに「占い師」という言葉も、ふわっとした素敵であいまいな呼称かもしれないな、とも思い直したりした次第です。


今年もどうぞよろしくお願いします❤️
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