村山由佳が骨太に描いた伊藤野枝の生涯【斎藤美奈子のオトナの文藝部】

婦人解放運動家と紹介されることの多い伊藤野枝は、私生活でも度肝を抜くほど濃密な人生を駆け抜けた人だった。村山由佳『風よ あらしよ』は、伊藤野枝の生涯をドラマチックに描いた長編小説だ。瀬戸内寂聴による伊藤野枝の伝記小説、政治学者・栗原 康による評伝もあわせてご紹介。
斎藤美奈子
さいとう みなこ●文芸評論家。編集者を経て’94年『妊娠小説』でデビュー。その後、新聞や雑誌での文芸評論や書評などを執筆。『文章読本さん江』『趣味は読書。』『名作うしろ読み』『文庫解説ワンダーランド』『中古典のすすめ』ほか著書多数。最新刊は『忖度(そんたく)しません』(筑摩書房)。
『風よ あらしよ』

風よ あらしよ

村山由佳

集英社 ¥2,000

婦人解放運動家と紹介されることの多い伊藤野枝は、私生活でも度肝を抜くほど濃密な人生を駆け抜けた人だった。家父長制の呪縛を身をもってはねのけた野枝を軸にしつつも、周辺人物にも目くばりの効いた、評伝小説というより歴史小説と呼びたい作品。辻潤のだめっぷり。大杉栄の身勝手さ。青鞜社のアイドル・尾竹紅吉などへの言及もあって、歴史好きならずとも興奮すること必至。

婦人解放運動家、伊藤野枝の生涯を骨太に描く評伝小説

伊藤野枝って知ってますか。平塚らいてうが創刊した女性文芸誌『青鞜』の2代目編集長となった人である。というより、わずか28年の生涯で事実婚を含めて3人の男性と結婚し、7人の子供を産み、奔放な人生を生きた女性としてのほうが有名かもしれない。100年も前の人物なのに彼女のファンは今も多い。
 

村山由佳『風よ あらしよ』は、そんな伊藤野枝の生涯をドラマチックに描いた長編小説だ。

1895(明治28)年、伊藤野枝(本名ノエ)は福岡県糸島郡今宿村(現福岡市西区)の貧しい家庭に生まれた。小学校時代に叔母の嫁ぎ先に里子に出され、のちに東京の女学校に進学するも、夏に帰省した郷里で待っていたのは、隣村の豪農の息子・末松福太郎との結婚だった。だが野枝は〈あげな男は願い下げばい〉とばかり仮祝言の翌日に東京に舞い戻ってしまう。思い立ったら猪突猛進。それが伊藤野枝って人なのだ。
 

女学校時代の英語教師・辻潤の家に転がり込んで結婚にまで進んだのも、腹立たしい仮祝言の一件を辻に訴えたのがきっかけだった。野枝に『青鞜』を読んでごらんとすすめたのも辻である。平塚らいてうという知己を得た野枝は書くことに生きがいを見出し、ふたりは2児をもうけるが、3年後、この結婚も破綻する。第3の男・大杉栄に出会ってしまったのである。

青鞜社とその周辺には男女ともに破天荒な人物が結集していて、史実を追うだけでもまるで先が読めない連続ドラマ。自由恋愛自体がレジスタンスだった時代ではあったにしても、初めて知った人は驚くんじゃないだろうか。
 

反体制運動の歴史をある程度知っている人でも、この「オールスターキャスト」感はたまらない。650ページ近い大著になったのは、普通だったら野枝の脇役で片づけられそうな周辺の人物の言動や心情も丹念に拾っているからだ。
 

ことに「日蔭茶屋事件」と呼ばれる歴史に残る恋愛スキャンダルのくだりは本書の白眉。アナキストとして知られる大杉栄は男女関係についてはほんとーにどうしようもない男で、堀保子という妻がいながら野枝と恋愛関係に陥り、そのうえ神近市子という新聞記者とも関係があった。〈こ、こんなことになるとは、自分でも思っていなかったんだ。こ、こ、こういうのを魔が差したとでも言うのかな〉とか本人はいってますけど、全然悪びれてないからね。その大杉栄を神近市子が刺したのがこの事件で、4人の心の中にまで小説はしっかり踏み込む。
 

といっても舞台は思想弾圧の時代。関東大震災の日、憲兵に連行された野枝と大杉を襲ったのは突然の悲劇的な結末だった。女性解放や社会主義思想を人間ドラマで肉づけした骨太な快作だ。

 あわせて読みたい!

美は乱調にあり

美は乱調にあり

瀬戸内寂聴

岩波現代文庫 ¥980

伊藤野枝の伝記小説として、野枝の名前を一躍世に知らしめた’66年の作品。作者が自身の代表作と呼ぶだけあり、『風よ あらしよ』より少しお行儀のよい正統派の評伝。描かれているのは日蔭茶屋事件までで、その後の展開は続編の『諧調は偽りなり』に引き継がれている。

村に火をつけ、白痴になれ

『村に火をつけ、白痴になれ』

栗原 康 

岩波現代文庫 ¥1,120

伊藤野枝ラブな著者によるオマージュないしはラブレターみたいな評伝。要約すれば「汚名上等」。野枝が好きすぎてタガがはずれちゃったのか、というような政治学者らしからぬ文章は好き嫌いが分かれるところだろうけれど、これほど熱いファンが存在すること自体に圧倒される。

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