香月泰男の「シベリア・シリーズ」と、記憶の手ざわり。

シベリア・シリーズ 香月泰男 練馬区立美術館

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シベリア・シリーズ 香月泰男 練馬区立美術館

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香月泰男の生誕110年を記念して各地を巡回している展覧会。練馬区立美術館のあとは、4/5~5/29の会期で足利市立美術館に巡回予定。
写真正面、東京美術学校の卒業制作はピカソの影響が強い。キュビスム的描写、構築的な画面は戦後の作品にも見られる。写真最奥、オレンジ色の作品は1948年の『埋葬』。抑留中に死んだ戦友のため、せめて暖かな色を使いたいと描いた初期の「シベリア・シリーズ」。
右の『鷹』は、黄褐色と黒による「シベリア・シリーズ」のマチエールで描かれた早い段階の作品。57点に及ぶシリーズは構想が先行したわけではなく、日常生活の中でふと蘇ってきた記憶からまた一作手がける、ということもあった。作品点数が増えるとともに、全体の構想を意識していった。
『生誕110年 香月泰男展』が東京・練馬区立美術館で開催中です。

香月泰男(1911~1974)というと、今では日常世界を題材にした小品や、旅の風景、おもちゃのオブジェのほうがよく知られているかもしれません。

とはいえ、代表作はやはり「シベリア・シリーズ」です。昭和18年の応召以降、野戦貨物廠という部隊に配属されて大陸に渡り、シベリア抑留を経ての帰国までを題材とした全57点。抑留中に命を落とした仲間への鎮魂の念とともに画家がひたすら自身の体験と記憶を反芻し、「なぜ?」を繰り返した軌跡がこのシリーズだと感じます。その「なぜ?」は、「もし自分がそこにいたら?」という問いかけとして、むしろ戦争体験のない世代に響いてくるように思われます。
 
シベリア・シリーズ 香月泰男 練馬区立美術館

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右は、昭和20年の紀元節に凍てつく屋外で軍人勅諭の奉読を聞かされた体験に題をとった、『朕』。中央の四角状の描写がその紙で、そこに重なった兵士の顔は髑髏状に描かれる。白いのはダイヤモンドダスト。
極めて抽象的な作品の一群。左は『凍河〈エニセイ〉』。右2点は、強制労働による森林伐採の作業がモチーフ。左は2人挽きの巨大な鋸。奥は、切り倒した大木の切断面。過酷な労働の中での感動を絵にしている。
香月が使用していた、昭和17年製の刻印のある「ロ號飯盒」。蓋、側面、底面には絵が線刻されている。底面は収容所の風景。抑留中、飯盒は明日へと命をつなぐ「生」そのものだった。
従軍中さらには抑留中にも香月が大切に持ち続けた絵具箱。蓋裏上段に「風」「飛」「薬」「憩」「月」「葬」、下段に「雨」「伐」「陽」「朝」「鋸」「道」と12のテーマが記されている。
香月は抑留中に、日本へ戻ってから絵にするべき12のテーマを決めていました。1947年に帰国が実現すると数作を手がけましたが、1948年からは10年近い時間を置くことになりました。自分はあのときの体験を描き尽くせているだろうか? それを描くのは出征前の作風の延長でよいのか? そんな思いが去来したのでしょう。

「シベリア・シリーズ」での大きな達成は、香月が自身の「実感」を伝えるための表現を磨き上げてきたことにあります。戦前からすでに絵の具層への線刻といった手法が見られましたが、絵具に異物を混ぜ込むなど、抽象的な画面を支えるテクスチャーを探求。そして、性別も個性も不明瞭な痩せこけた「顔」、ザラザラとした黄土色の地塗りと光を吸い込む絶望的な黒という対比的で重厚なマチエールに到達しました。描写が極めて平面的なのに深さや奥行きを感じる絵肌は、過酷な記憶の手ざわりに通じているのだと思います。

会場出口には、香月が復員時に持ち帰った飯盒と絵具箱が展示されていました。飯盒の地金が焼け、煤けた黒の具合は従軍・抑留生活の生々しい証拠であり、「シベリア・シリーズ」の色使いと重なるようでした。
 
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左が『雪山』。雪の積もった白い山肌を松の樹々が縁取るような、稜線を部分的に捉えた描写と思しい。そら豆状の飯盒の押し跡が、画面右下のサインを囲む。右の作品は『-35°』。貨車からの荷下ろしを俯瞰した風景に有刺鉄線が重ねて描かれている。
空の青が使われ出した60年代末以降の作品が並ぶ展示室。はるか彼方を象徴する澄んだブルーは、故郷とつながる唯一の希望として映る。最奥はナホトカの丘から見下ろした日本海の青。香月の出身地である三隅町は、山口県の日本海側に位置する。
右から『渚〈ナホトカ〉』『日の出』『月の出』。この三点は、香月が亡くなった時、アトリエに残されていた作品。『渚〈ナホトカ〉』では、海の上に無数の顔が描き込まれている。
全体に、黒々として沈鬱な作品が多い中、『雪山』のような例外もあります。自筆解説は次の通り。「シベリヤでは雪が美しかった。朝、作業場の山についてしばらくすると、太陽があがってくる。すると雪が太陽に照らされて、一面のバラ色に輝きだす。バラ色の雪をバックに立つ、雪をかぶった松はなんともいえず美しかった」。すでに60年代後半から、空や海の青、太陽の赤など、自由や望郷とつながる「色」が使われていますが、1972年制作の『雪山』は雪の白から松の黒までの諧調のみで、「バラ色」は登場しません。

それでも実際の作品で見るグレーは、透き通った感じがあって美しい。しかし香月は美しいだけでは許せなかったのか、右下のサインの周りに、絵の具をつけた飯盒の合口部分を押し当てて、そのかたちを残しています。画面上はまったく余計なものなのに、"どこかの雪山の風景"になってはいけないから、入れざるを得ない。その判断が何とも痛ましく感じられました。

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「シベリア・シリーズ」は、背景知識(≒言葉)を必要とし、「画面」を見るだけでは鑑賞しえない特殊な絵画作品です。画家自身の心のうちには、これは私のシベリアであって他の誰のシベリアでもない、安易に理解してもらいたくはないがやはり分かってほしい、という相反する気持ちがあったといいます。同時代的には、「私ひとり」で描くシベリア体験でしたが、これだけのものを残された後世の人間にとっては、「私たちのシベリア」となりうるもの。

ひと通り鑑賞したのち最初の部屋に戻ると、『水鏡』(写真中央)という1942年の作品が強く訴えかけてきました。最初に目にしたときは、単に香月の幼少期の体験、一種の自画像だと受け止めたのですが、横長の水槽の水底を見つめる行為は、「シベリア・シリーズ」の細長い画面に目を凝らす我々の鑑賞体験を象徴しているようでもありました。

練馬区立美術館での会期は3/27まで。3/8以降、一部作品が展示替えされます。
(編集B)
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