ベートーヴェン、"運命"の副聴盤。

春のうららの、ベートーヴェン。この3月で、序曲『コリオラン』の初演からめでたく215周年となりました!

初めて聴いたとき、「すごい、”運命”の兄弟だ!」と宝物を見つけたように嬉しくなったのをよく覚えています。ベートーヴェンが当時人気だった戯曲に感動して短期間で仕上げたとあって、猛々しい衝動と推進力はいっそう強烈。構成は単純明快で、うごめくような第1主題と安らかな印象の第2主題が対比的に扱われます。
ベートーヴェン 運命 コリオラン クラシック
思い返せば中2になりたての頃の音楽の授業で、『交響曲第5番』の第1楽章を聴いて「ッタタタターン」が何回出て来るか数えてみましょうという意味不明な回があったのですが、副教材として『コリオラン』も聴かせてくれたほうが、メタルをかじり始めた思春期のお子さんたちには響いたのではないでしょうか。

今では、ベートーヴェンの最後の秘書だったシントラーの伝記の信憑性は疑問視されており、例のモチーフを"運命"と結びつける解釈も後退気味。ならばなおのこと、"戯曲ありき"が確実な『コリオラン』を推した方がよいように思われます。ただし、「やたらと音楽に意味を求めるのはいいことなのか?」という疑念がないわけではありません。音がただ上がって下がってリズムがあって、無機的だけれどどこか楽しい時間が構築されているような、ハイドンあたりの作品も聴いてみたかったように思います。

序曲『コリオラン』はその点でもなかなかポイントが高い作品です。音の大きな跳躍か半音の上昇・下降によってメロディーの輪郭をざざっとスケッチするような印象で、しかも変化に富んでいてリズミカル。クラシック音楽なのに縦ノリしたくなるほど。
 
ベートーヴェン 運命 コリオラン クラシック
私が"運命的"に耳にした最初の『コリオラン』は、1943年6月のフルトヴェングラー指揮・ベルリンフィルの録音でした。ベートーヴェンが振るよりもベートーヴェンぽいと思わせるほどの情念の圧があります(スコアをいじるだけのことはあると妙に感心…)。この指揮者は、唸るような低音から切り裂くような高音までの弦の鳴らし方、ぐいぐい進んでいくパワフルさが素晴らしく、"バイロイトの第9"での弦による二重フーガ(第4楽章431小節以降、全合唱&総奏の「歓喜の歌」に入る前)なども聴き飽きることがありません。どちらもライブ盤であり、今どきの録音から比べるとはるかに音が悪いのですが、それもまた絶妙な"味"となっています。
(編集B)

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