今が考えどき!アラウンド60(55歳以上)からの働き方とは?

もうすぐ定年を迎える、子育てが終わる、親の介護が始まる……。アラウンド60(55歳以上)からの働き方が気になりだすアラフィ―世代。働きたい理由も、求める働き方も、一人ひとり違うけれど、今からできる準備と心構えを学び、妥協も無理もなく、自分らしい仕事と出会う道を探りたい。

 

アラウンド60からどう働く? アラフィー世代のリアルな声

アラフィー世代74人に聞きました!

(エクラメルマガアンケート結果より。45〜54歳74人の回答)

Q.around 60になっても働きたいですか?

Yes…88%

No…12%

・子育てが終わったので、 これからは自分のためと社会に役立つために時間を使いたい。(49歳・会社員)
・社会とのかかわりをもちながら、自分自身の考える力をさびつかせたくないから。(53歳・主婦)

Q.around 60以降も働くために、今から準備していることはありますか?

Yes…51%

No…49%

・基礎体力を保てるように体を動かしています。(53歳・公務員)

・資格取得に向けて勉強中。講座受講のための資金もためている。(51歳・主婦)

55歳以上の102人に聞きました!

(エクラメルマガアンケート結果より。55歳以上102人の回答)

Q.今、仕事はしていますか?

今、仕事はしていますか?

アンケートの回答者は、8割以上が有職者。パートと正社員が半数以上を占める。60歳を過ぎても働き続けたい人が多い半面、体力の低下に不安を感じているという声も。

Q.仕事の雇用形態は?

パート…29%

正社員…24%

契約社員…10%

フリーランス…9%

会社経営…8%

再雇用…6%

その他…14%

Q.今の仕事はどうやって探しましたか?

・昔働いていた会社のグループ会社でパートを募集していたので。(64歳・パート)

・派遣先からの紹介で入社。(58歳・会社員)

・2年前の転職活動中にハローワークで。(65歳・パート)

・夫とふたりで会社を始めた。今年でちょうど10周年を迎えた。(57歳・会社役員)

・たまたま新聞折り込みのチラシで条件に合う仕事を見つけて応募。(55歳・契約社員)

齋藤薫さんに聞く「心地よい働き方」とは?

ビューティを介して女性の生きる道を明るく照らす、美容ジャーナリスト・齋藤薫さん。心と体の変化に合わせて仕事を整理する50代を経て、60代でたどりついた、齋藤さんにとっての心地よい働き方の結論とは。齋藤さんからアラフィ―世代へのメッセージ!
齋藤薫さん

齋藤薫さん

さいとう かおる●美容ジャーナリスト。エッセイスト。女性誌編集者を経て独立。時代を切り取るシャープな目線と女性をエンパワメントする温かさをあわせもつエッセーが人気。美容記事の企画・執筆、化粧品会社や百貨店のコンサルティングなど活躍は多岐にわたる。新刊『“一生美人”力 セカンドステージ――63の気づき』(朝日新聞出版)ほか著書多数。

“成功”などなくても“喜び”があればいい

人生をやみくもに歩くのをやめるのが50代

齋藤薫さんといえば、誰もが認める美容ジャーナリストの第一人者。その仕事量はひとりでこなせるレベルを遥かに超え、ワーカホリックに違いない、いつ寝ているんだろうと噂になるほどだった。

 

「いただいたお仕事はありがたくやりなさい、と母にいわれた影響で、仕事を断らない、という基本的スタンスがありました。でも本当は仕事が好きなタイプではまったくなく、金曜の夜が一番幸せで日曜の夜は一番不幸。それなのに声をかけていただくとうれしくて張り切ってしまう。矛盾していますよね」

 

私たちと同じサザエさん症候群に、シンパシーを感じてしまう。

「30歳で出版社をやめて31歳で事務所を立ち上げたときは、45歳くらいまでできればいいと思っていたんです。成功願望もこうなりたいという目標も皆無な私ですが、若いころってなんでもやりたいし、調子に乗っているし、やれそうな自信もあるでしょう。雑誌編集や執筆だけでなく、頼まれるままに広告制作、デザイン、テレビの企画まで膨らんでいました」

 

“齋藤薫”は時代に求められ、忙しさはヒートアップ。多い月は毎日5、6本の締め切りを抱えていたという。

「完全なキャパオーバーで、どこにも出かけられず、休みもゆとりもなく、推敲が足りないひどい原稿や詰めの甘い校正など、後ろめたい仕事をしていた時代もありました。もう少し落ち着いて向き合わないと、と反省しながら、タスクに追われ。私の仕事人生は、決してほめられたものではないんです」

いつのまにか、コスメブームを牽引(けんいん)する立役者にもなっていた。

「あるとき、化粧品のコメントばかり求められていることに気づいて。私はもともと編集者で美容家ではないし、美容は好きだけどコスメフリークでもありません。これはやるべき仕事なのか、望んだ仕事をやっているのだろうか、と自問自答の繰り返しでした」

60歳直前で“仕事をやめよう”と一大決心。でも、人生100年時代なんて急にいわれて、慌てて撤回(笑)

生きるために働く。でもそれだけじゃない。やりたいこと、私だからできることがあるはず。
体力が衰える50代後半に母の半介護も重なり、仕事が終わらない、このままだと命にかかわる、と感じた。それは60歳を前に、会社員や教員の友人がリタイアの準備を始めるタイミングでもあった。
「ここまでよくがんばった、やりきった、という気持ちになり、私も仕事を卒業しようと一大決心。会社を背負うプレッシャーもつらく、スタッフには独立してもらって。皆、今は大活躍ですが」
 
学校に入って学び直しも夢見ながら、仕事の整理を考えていた。ところが、である。
「この前まで“人生80年”だったのに、いきなり20年上乗せされて人生100年時代宣言でしょう。それならもっと蓄えが必要だ!とあっさり前言撤回。そのくらいいつもなりゆき任せで、ふわふわした人間なんです(笑)」
 
とはいえ、自分を追い詰める働き方を見直す必要はあった。
「何をしているときに幸せを感じて、ストレスが少ないか。それはやっぱり書くことでした。いやなこと、苦手なことを手放し、自分のペースでていねいに書くことだけに専念しよう。仕事の種類を減らす作業です。広がってしまったものを収束していく、人生を振り返り、やみくもに歩くのをやめるのが50代なのかもしれません」
美容ジャーナリスト・齋藤薫さん「“成功”などなくても“喜び”があればいい」around 60からの働き方を提言!

自己実現、自己表現より誰かの幸せをテーマに

タブレット端末で音声入力や、デザインをできるようになったことが、私の中の、“仕事革命”でした

実は齋藤さん、数年前まで完全なアナログ人間で、手書きの原稿をスタッフが打ち直していた。「でも今は、原稿はすべてタブレット端末の音声入力。必ずその日がくると確信して待っていました。デザインも、説明書を読むのが嫌いなので、遊び感覚で触りまくって機能をマスター。ページ制作も校正もタブレットひとつで片づけます。書いたり打つより早いし、目も疲れません。プリントもいらないから、旅をしながら仕事ができる。自由になってストレスが激減。タブレットの導入は私にとって大きな仕事革命でしたね」

これまでやってきた美容の仕事とは別の一面も欲しいと思って、50歳を過ぎて、音楽サロンをスタート

ところで、齋藤さんには、本業とは違うもうひとつの顔がある。「ずっと、美容脳だけの一面的な人になりたくない、と考えていました。本業以外に何か別の一面が欲しい、と、50歳を過ぎたころに、音楽サロンをスタート。ワインを飲みながら演奏を聞いたり合唱をしたり、音大生たちに発表の機会を提供したり。好きなことに熱中したときのひらめきは、新たな生きがいになっています」

求人広告を見る前に、一回、本気で自分の心を見つめてみて。喜びを感じることは、探せば絶対にあるから

最後に60代からの仕事のテーマは“幸せ”と“喜び”とアドバイス。「若いころの仕事は、流れだったり、義務だったりして、質より量になりがちです。私たちはパワーやスピードで劣るぶん、ていねいさ、心地よさ、クオリティにこだわるべき。だからこそエクラ世代には求人広告を見て、できる、できないと判断する前に、一度本気で心に問いかけてほしいんです。自分はどんなときにうれしくて、何をしていると喜びを感じるかを」

 

成功を目ざし高い目標を掲げるとがんばりすぎるし挫折も大きい。これからは好きなこと、うれしいこと、幸せなことを選んで心をきれいに保つ。それが新しい可能性につながるのかもしれない。「私の場合は、オーダーに応え、ていねいに書くこと。ブランドでも商品でも人物でも、ご本人でさえ気づいていない魅力を読者に伝え、心を動かすことができたときに、最も喜びを感じます。人生後半は、自己実現、自己表現より、誰かの役に立ちたい、誰かを幸せにしたい。それをテーマにすると自ずと道が開ける気がするのです」

人生をやみくもに歩くのをやめるのが50代 齋藤薫さん

アラウンド60女性たちのお仕事拝見

トライ&エラーも上等! 豊富な人生経験を生かし、生きるためだけではなく、やりがいを求めて新たな世界に足を踏み入れた女性たち。冷静さと意欲をあわせもち、自分らしい仕事に向き合うaround 60世代の姿には働き方のヒントがたくさん!

【婚活支援サービス運営】 笈川房子さん(60歳)

平日の本業で生活を支えライフワークを副業に

「もともと楽天的で好奇心が強く考える前に飛びつくタイプです」

とにかくアクティブな笈川房子さん。約10年間、客室乗務員を務めて結婚。30歳で出産し、子育てのかたわら、簿記やFP、秘書検定、ビジネス実務法務などの資格を取得する。時間を有効に使う達人だ。

 

「好奇心が強いんですよね。娘の幼稚園では父母会会長を務め、その後も約20年、役員を続けました」父母会会長時代は、忙しくて何度かシッターを頼み、信頼関係が生まれるとストレスが軽減した。ここまではよくある話だが、驚くのは笈川さんの行動力。

婚活支援サービス運営  笈川房子さん(60歳)  平日の本業で生活を支えライフワークを副業に

「同じような悩みをもつ女性の力になれるのではと、家事をサポートする会社を立ち上げました。といっても社員は私ひとりで、業務内容は私ができる範囲ならなんでも。なかには通帳と印鑑をお預かりするほど信頼を得た顧客もいましたが、親の介護で継続を断念」
 

ひとり娘が留学し手が離れた45歳のときに団体職員として就職。小さな組織なので、経理をメインに総務と庶務を担当。それが生活を支え、今も続けている本業だ。

「実は子供が成人になるのを待って50歳で離婚。しばらくは寂しさと漠然とした将来への不安を感じました。でも自由になったのだから、楽しいことを始めるチャンス!と気持ちを切り替えて」
 

腰が重くなる60代を前に、57歳で副業の婚活支援サービスを起業した。本業のない週末に集中して、サロンを開いているそう。

「友人から、結婚したいけどチャンスがない、出会い系サイトも利用したけど探すことに疲れた、という悩みを聞いたのがきっかけ。いろいろな経験をされて落ち着かれた40代以上に絞り、おせっかいな性格を生かして、昔のお見合いシステムのように私が仲人になるのもおもしろいと思って。何度マッチングを提案しても、うまくいかなければ単なるお悩み相談。仕事としては効率が悪いかも。でも人生のパートナーを見つけるお手伝いができてお客さまの笑顔を見ると、私も幸せを感じるんです」

友人の悩みをきっかけに、“おせっかいな仲人サロン”を主宰

黒字とはいえない副業を続けられるのは、本業があるから。
「上司は次々に定年退職。同僚との関係もよく、ストレスのない職場です。単純なミスが増える、探しものに追われる、老眼や難聴がすすむなど衰えはありますが、老化は乗り越えようと思わず受け入れる、がモットー。定年は65歳で70歳までは嘱託として働く予定です。最近は退職までにいくら貯金ができ、年金はいくらで、何歳まで生きるかシミュレーションも」
 
いつか起業をと考えるアラフィ―世代にぜひ伝えたいことがある。
「動くなら50代のうちに。60代になると体の機能が一気に低下して意欲が萎え、まわりの景色も変わります。あと、がんばればかなえられそうな現実的な目標をもつこと」
 
笈川さんの今後の働き方は?「高齢者の就業があたりまえの時代がくると思っています。そのときに備えて頭も体も柔軟でいたい」
日本結婚相談所連盟に加盟する「麻布TFサロン」
日本結婚相談所連盟に加盟する「麻布TFサロン」。男女合わせて8万人の登録会員から条件にマッチする人を探すのが楽しい

お仕事履歴書

20代

航空会社に客室乗務員として勤務。

30歳

第1子出産。子育て中に、簿記、ファイナンシャルプランナーなどの資格を取得。友人の税理士事務所で経理補助をし、経営に興味をもつ。

40歳 家事補助業(働く女性宅での家事全般、高齢女性宅のハウスクリーニング、ペット預かりなど)を起業するが、親の介護がきっかけでのちに会社を閉鎖。
45歳

団体職員として就職。主に経理を担当。

57歳

副業で婚活支援サービスを始める。

【日本語教師】 佐藤美奈子さん(63歳)

2つの仕事をかけ持ちし、求められる喜びを知る

大学卒業後テレビ局に入社し、語学力を生かして世界中をまわり、39歳でオランダ駐在。まさに日の当たる道のセンターを歩いてきた佐藤美奈子さん。でも60歳の定年直前で退職した。その理由は? 「43歳で駐在から帰国したら、電子化が進んでいて。デジタルに弱い私がパソコンに触るとエクセルの表が壊れるなど、いちいちつまずく。挫折に慣れていないからそのたびに落ち込みました。そんな精神的ダメージとがんばりすぎる昭和気質の働き方に更年期も重なり、50代は絶不調。58歳のとき、ひとり暮らしの自宅で倒れ、救急搬送され、立ち直るのにかなりの時間が必要で。会社は手厚くサポートしてくれましたが、もう自分らしさを発揮できないし、これ以上迷惑をかけたくない、今がやめどき、と」

日本語教師  佐藤美奈子さん(63歳)  2つの仕事をかけ持ちし、求められる喜びを知る
退職後、約1年休養し体調が回復。ハローワークにも足を運んだ。「あなたのキャリアを生かせる仕事はありません、ときっぱり。厳しい現実を突きつけられ、何か資格が必要かもと考えはじめました」
本を読み、大学の市民講座で学び直す日々を過ごす中で、やりたいことの輪郭が見えてくる。「頭に浮かんだのが、学生時代に目ざした教師。得意の英語で日本の魅力を外国人に伝えたいと、軽い気持ちで日本語教師を養成する学校に通いはじめました。これが想像以上に大変で、ボートで遠い海に出てしまったような気分。続けられたのは、コツコツ勉強するのが好きな性格と合っていたから」

昭和気質な働き方を卒業し、学生時代の“教師”という夢を再び

1年かけて420時間の法定授業時間をクリアし、62歳で日本語教育能力検定試験に見事合格。「その話をした知人から、週1回大学の歯学部で留学生に日本語を教えない?と声がかかって。授業内容はすべて任せてもらえるので、自分でテキストを作って、会話も楽しんで。彼らが母国に帰ったとき、日本っていい国だったといってくれたらうれしい。それが教える喜びにつながっています」

半年を過ぎ余裕も生まれ、もっと仕事がしたい、と思いはじめた。
「登録した求人サイトで、外国人採用のための、新しい日本語試験の問題を作る、という仕事を見つけて応募。前職の経歴と経験がおもしろいとプロジェクトメンバーに採用されました。視点の異なる発想を期待されたようです」
 
2つの仕事をかけ持ちするが、長く働けるポジションを求めてこれからも職探しを続けるそう。「応募して落ちるという経験も繰り返しました。でも、もっといい出会いがある、と信じて前に進めばどこかに必ず道があるんです」
 昭和気質な働き方を卒業し、学生時代の“教師”という夢を再び
苦手だったパソコン問題は?
「休養中に近所のパソコン教室に通い、基本を学びました。ひとりでがんばらないで、助けてくれるところを探し、使えるものは利用する。食わず嫌いはダメですね」
仕事があると心の状態も上向く。
「収入がないとやりたいことも細ります。求められているという実感がうれしいし、働いてお金をいただく尊さを噛み締める日々です」
語学が堪能でも日本語教師の道は険しく長時間の勉強が必須
語学が堪能でも日本語教師の道は険しく長時間の勉強が必須。留学生向けのテキストは参考書をさらにわかりやすくして自ら作成。コロナ禍を機にパソコン教室で基本を学び、今はパワポも使いこなす
日本語を教える歯学部の留学生。
日本語を教える歯学部の留学生。中国人、韓国人など4名の1年生の相談に乗り、愚痴を聞き、母のような距離感で付き合う

【学校図書館の司書 】 リヴェンデルさん(59歳)

学校図書館の司書  リヴェンデルさん(59歳)

毎日のやりがいが欲しくて、子供の学校での図書館ボランティアを機に、司書の資格にチャレンジ

もともと活字中毒というほどの本好き。子供が小学生のときに学校の図書館ボランティアをしたら楽しくて。いつかはちゃんと図書館で働きたいと、子供の高校受験に合わせて大学の通信教育で勉強。47歳で司書の資格を取得しました。地元の公共図書館で約1年のパート勤務を経て、51歳のとき、小学校の図書館司書に。自治体の会計年度任用職員で、1年ごとの契約更新、満期は5年で、続けたい場合はまた採用試験を受けるシステムです。好きな本にかかわれる、先生や子供の反応を直接得られる、図書館の運営・本の分類から購入図書の選定までほぼ任せてもらえるなど、やりがいを感じています。

 

常に新しい本の情報を仕入れたり、教育現場を理解し的確な提案をしたり、と勉強が必要で、やるべきことは無限にあります。同僚がいないひとり職場ゆえ情報共有できないむずかしさも。また小学校の図書館司書は館内掃除から子供の面倒まで、ある意味なんでも屋。主婦の経験も役立っているような気がします。楽しいけれど体力的にきついので、いつまでできるか少し不安も…。

【アクセサリー作家】 SONOCOさん(56歳)

【アクセサリー作家】  SONOCOさん(56歳)

会社勤めをやめて趣味を仕事に。SNSでの発信をコツコツ続け、オーダーをもらうまで2年

企業の第一線で働いていた53歳のころ、子供と同じくらいの年代の人と仕事をする中で、新しい業務を理解するスピードが遅くなっていることに気づきました。それまで「仕事ができる人」と思われてきた自分の能力の低下を誰にも知られたくない、と退職を決意。同時にアート専門のスクールに通いはじめました。10年以上前から彫金教室に通い、趣味でアクセサリーを作っていたので、SNSを活用しフリーランスのアクセサリー作家を目ざすことに。

 

学校ではビジネスのノウハウも学びましたが、結局、重要なのは、センスや技術より、SNSでの発信を継続する努力です。コツコツ毎日作品をアップしつづけ、SNSからお仕事をいただけるまでに2年かかりました。フリーランスは定年がなく自由な半面、時間の使い方がむずかしく、休みもないようなものだし、収入も安定しません。でもお客さまに必要と思っていただきたい、喜んでほしいという情熱が前へ進む力になっています。好きな時間に好きなだけ、好きなものと向き合える今の仕事を楽しんでいます。

【登録販売者 】ボッサさん(58歳)

【登録販売者 】ボッサさん(58歳)

息子が薬学部だったので、共通の話題があれば、と。記憶力低下の予防にも

子育てが落ち着いた48歳から、地域の農協でスタッフとして働きながら、53歳のとき、薬学部の息子と共通の話題ができれば、と医薬品の登録販売者の資格を取得。きちんと勉強すれば誰でもとれる資格です。持病の過敏性腸症候群もあったため、家族とも相談し、無理なく働けるならと54歳でドラッグストアのパートをスタート。勤務時間が午後から夜12時までで不安はありましたが、資格が生かせて時給は高く、常に勉強が必要なので記憶力低下の予防にも役立ち満足度は80%。まわりのスタッフが皆自分より若いのできれいになりたい、と美容への関心も高まりました。

 

とはいえ、楽しいだけではなく、持病も気になる中で、感染症のお客さまと接するリスクもあるし、有資格者が休むと店が薬を販売できなくなるので、体調管理にも神経を使います。資格を維持するためには最低限の勤務要件があり、将来的にはそれをクリアする週20時間以上で無理なく長く仕事を続けていきたいですね。目標は漢方薬に詳しくなること。いつか独立開業した息子と一緒に働くことを夢見ています。

【研究室業務と通訳ガイド】 Hannahさん(60歳)

研究室業務と通訳ガイド  Hannahさん(60歳)

さまざまな国の人とつながり新鮮な気持ちでいられる通訳ガイドと、週3日の事務職の好バランス

秘書や事務職などを経て、50歳のとき、新聞で大学の研究室の求人を見つけて応募。非常勤事務職員として一日4〜5時間、週3回の勤務です。副業で英語の通訳ガイドをやっています。通訳案内士の資格をとったきっかけは、関東から関西に転居して神社仏閣や歴史的名所が身近になり、外国人に案内したいと思ったこと。資格取得には3〜4年かかりました。今はガイド団体に所属するほか、ツアーを主催する会社や派遣会社にも登録し、稼働はコロナ前で月平均10日前後。一日中外を歩くことも多く体力勝負ですが、いろいろな国の考え方や文化の違いを肌で感じられるのが魅力です。

 

実は軌道に乗ったらガイド一本にしようと考えていました。でも人と交流する外交的な仕事と黙々とPCに向かう事務職のバランスがいいし、コロナ禍のようなリスクにも対応できるので、しばらく様子を見ることに。研究室の任期は残り3年半ほど。ガイドは勉強や下見が必要ですが自分しだいでいつまでもできる。幅広い知識と教養を身につけて、インバウンドが戻ってきたら仕事も増やしたいです。

【ネイルサロン経営】 ミルクリークさん(60歳)

52歳のとき、母が認知症になり、同居することをきっかけに介護についての知識を身につけたくて、介護職員初任者研修(旧ヘルパー2級)の資格を取得。その研修の中で、ネイルを施すことで認知症の問題行動が改善されるということを知り、福祉ネイルの指導をしているネイルスクールに入学。現在は、ネイリストとなり、自宅でネイルサロンを経営。また福祉ネイリストとして高齢者福祉施設に定期訪問もしている。

【美術館スタッフ】 あやさん(56歳)

いつまでも社会とつながっていたくて、昔から好きだった美術館で働きはじめた。大変なときでも好きな場所にいられるので気持ちが癒される。

【営業アドバイザー】 トモさん(69歳)

退職後に同じ会社でアドバイザー契約をした。在職中に担っていた営業職に助言をしたり、研修を補助したりしている。ちょうどいい業務量だが、評価がないのでやりがいに乏しく、在職中のように熱心になれないことも。

【介護福祉士】 みみさん(55歳)

10年前に結婚したときに、同居する姑と夫のためにヘルパー2級(当時)を取得。さらに国家資格の介護福祉士の資格をとり、特定施設の非常勤社員として働いている。昨年、無期雇用転換契約社員となり、現在はケアマネージャーの資格を取得するため勉強中。介護保険の仕組みや医療用語がわかるようになり、姑が介護サービスを受けるときに大変役に立った。
55歳以上からの働き方

【保健所業務】 グミマムさん(57歳)

役所関係の仕事を長くしていたので、その経験から知人の紹介で昨年から現職に。コロナ関連の仕事でもあるので、思った以上に大変だが、社会の動きを感じられてやりがいがある。

【カフェ運営】 きららさん(65歳)

26年間、飲食業を営んだあと、8年前より障害者グループホーム施設長、就労事業所での支援員を経験。社会的立場の弱い人たちの居場所づくりが必要と痛感したため、地域の居場所になるようなカフェの運営を始めた。

【ファイナンシャルプランナー 】 えくすけさん(56歳)

ファイナンシャルプランナーの資格をとり、クラウドソーシングで仕事を探しているうちに、継続的なお客さんができてきた。今では証券会社などの冊子でコラムを書いたりもしている。世界中どこにいてもできる仕事ではあるけれど、保障がないのは少々不安。

アラウンド60からの働き方Q&A

将来の暮らしが今から心配……。60歳を超えても可能性がある仕事は? 身につけたほうがいいスキルは? 今のうちに準備することは? この先の仕事とお金の不安を解消する知識や、知っておくべき権利など、社会保険労務士がお答え。
教えてくれた人
社会保険労務士 佐佐木由美子さん

社会保険労務士 佐佐木由美子さん

グレース・パートナーズ(株)代表、経営学修士。女性の雇用問題に積極的に取り組み、新聞、雑誌、webメディア等で、多様な働き方やキャリア、社会保障などをテーマに多数執筆。ブログ「ワークスタイル・ナビ」も随時更新中。

働き方も多様化する時代。可能性を探り、早めに準備

「男女雇用機会均等法の施行後に働きはじめた世代が定年に近づく今、60歳からの人生に不安を感じるという声をよく聞きます」と社労士の佐佐木由美子さん。総務省の労働力調査では、女性の就業率は’21年時点で、55~59歳は73%、60〜64歳は60・6%に。
 
「国も高齢化社会を支えるために成熟世代の女性の就業を支援しているので、時代は追い風です。とはいえ待っているだけでチャンスがくるわけではありません。50代のうちに先の人生設計を考え、スキルや資格を身につけたり、自分に合った条件で働ける派遣や定年のないフリーランスなどあらゆる可能性を探りたいもの。これしかできないではなく、やりたいことをイメージして早めに準備をすれば、無理なく経済的自立ができるはずです。同時に、年金など、働き方にもかかわる社会保障制度の基礎を知ることもとても大切です」
働き方も多様化する時代。可能性を探り、早めに準備

Q.年金がどれくらいもらえるのか不安です。

A.ねんきん定期便だけでなく、ねんきんネットで具体的なシミュレーションを。

年金と働き方は両輪です。60歳から先、どう働くかを考える場合、老後の暮らしに必要な額と年金がいくらなのかを把握することが重要。自宅に届くねんきん定期便の金額だけで判断しないで、ねんきんネットにアクセスし、働く期間や給与を変えて試算しましょう。国民年金で支給される老齢基礎年金の受給額は満額でも年間約77万7800円(令和4年度)で、生活すべてを賄うのはむずかしいはず。働けるうちは働いて、受給開始年齢を遅らせる心持ちでいるほうがいい。今年10月から短時間で働く人の社会保険の適用範囲が拡大するので、年金を増やしたければ今からでも厚生年金に加入できる働き方を探ることをおすすめします。

●日本年金機構 ねんきんネット

https://www.nenkin.go.jp/n_net/

 

Q.再雇用制度は誰でも利用できますか?

A.希望する従業員は誰もが利用できます。

現状、約8割の会社は60歳定年ですが、高年齢者雇用安定法で満65歳までの雇用確保義務を課しているので、希望すれば65歳まで働き続けることが可能。令和3年からは70歳までの就業機会の確保が努力義務になりました。まずは会社の就業規則の定年の項目をチェックしましょう。ただし、定年後は今までの労働条件はリセットされます。仕事内容が変わって定年時の賃金の50〜70%程度に下がるケースもあります。体や心、生活環境と相談しながら交渉しましょう。

 

Q.早期退職のメリットとデメリット

A.メリットは割増退職金、デメリットは再就職できなかったときの支援がないこと。

人件費の削減や会社の若返りをねらい、早期退職制度を導入する企業が増えています。社員にとっての最大のメリットは、退職金が上乗せで支給されること。会社都合の退職となり失業給付金の支給日が早まったり、支給金額が多くなったりする可能性も。なかには転職を支援してくれる会社もあります。ただしノープランで飛びつくと、再就職できなかった場合のリスクが大きい。次への具体的な準備をしているタイミングでその話がきたら、“渡りに船”と考えるくらいがベスト。いずれにしても会社がいつ倒産してもおかしくない時代なので、セカンドプランは常に考えておきたいですね。

早期退職のメリットとデメリットは?around 60からの働き方について専門家が回答

Q.派遣会社には何歳まで登録できますか?

A.上限はありません。派遣社員になれば厚生年金に入ることも。

派遣の登録に年齢の上限はありません。若い人はどうしてもよい条件の大企業を選ぶので、中小企業は人手が足りないのが現状。求められる能力さえあれば年齢が高くても仕事に就け、派遣先での働きが認められて正社員になるケースも。特に経理や人事などの事務経験は歓迎されるので、迷っているなら登録してみましょう。一定の条件をクリアすれば、派遣元の健康保険や厚生年金に加入することも可能です。また、最近は派遣、フリーランス、パートなど業態の違う仕事を兼業する働き方をする人もいます。リスク分散になり、知識や経験を増やせるかもしれません。

 

Q.今から取得するのにおすすめの資格はなんですか?

A.登録販売者、診療報酬請求事務などの医療事務系は仕事につながりやすい。

高齢化はさらに進むので、常に人手不足の医療系、福祉サービス系は雇用の可能性が高いといえます。ドラッグストアなどで一般用医薬品の販売ができる登録販売者資格や、医療事務で役立つ診療報酬事務能力検定は実務に結びつきやすいはず。介護福祉士もニーズはありますが、体力も必要で、人のお世話や支援に関心がないと続けるのは厳しいと思います。受給要件を満たせば、約1400講座を対象に、キャリアチェンジやスキルアップを目ざす人を支援する教育訓練給付制度もあるので、ぜひ利用して。

教育訓練給付制度

種類 給付率 対象となる訓練
専門実践教育訓練

最大で受講費用の70%

年間上限56万円(最長4年)

特に労働者の中長期的キャリア形成に資する教育訓練が対象
特定一般教育訓練 受講費用の40%
上限20万円
特に労働者の速やかな再就職及び早期のキャリア形成に資する教育訓練が対象
一般教育訓練 受講費用の20%
上限10万円
その他の雇用の安定・就職の促進に資する教育訓練が対象

Q.これから注目すべき分野はありますか?

A.デジタル分野は道が開ける可能性が大。経験×ITスキルを強みに。

やはりデジタル系です。平均賃金が高くニーズは増える一方で、時間と場所を選ばず、柔軟な働き方が可能な点も魅力。ふだんパソコンを使っているかたであれば、毛嫌いせずにプログラミングなど学んでみると新たな発見ができるかもしれません。58歳からパソコンを独学で習得して80代でプログラマーとなった若宮正子さんという大先輩も。経験×ITスキルは強みになります。ハローワークの公的職業訓練にはデジタル分野の講座が多く、内閣府の男女共同参画局でも今年4月から女性デジタル人材育成プランが決定されました。今からデジタルスキルを身につけても遅くはありません。

●マナビDX

女性デジタル人材育成に向けた各種支援

https://manabi-dx.ipa.go.jp/04/

55歳以上からの働き方

Q.手に職がなくても起業はできますか?

A.自分の中に眠っているお宝能力があるかもしれません。

包丁研ぎが上手で、まわりの人の包丁を研いで喜ばれていた女性に、サブスクでお金をいただいたら?とアドバイスしたことがあります。日ごろの生活や趣味の中にも、自分では気づいていないお金になるスキルが眠っているかもしれません。会社を設立しなくてもHPを立ち上げたりSNSで作品を発表したり、パソコンひとつあれば誰もが独立できる時代です。まずはネットで情報収集するなど自分で調べて考える力をもつこと。起業の勉強や相談をするなら公的なサービスが安心です。まずは副業から試してみるのがおすすめ。

●日本政策金融公庫 創業支援

https://www.jfc.go.jp/n/finance/sougyou/

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    50代、今が考えどき!子供の独立、夫の定年「パートナーとの新しい形」

    子供の独立や夫の定年が見えてくる今、パートナーとの関係を見直す人が増えている。従来の離婚の概念にとらわれない、卒婚と呼ばれる別居や、子供の留学についていく母子移住など、その形式は多様化する一方、新たなパートナーと同居を始める人も。そんなアラフィーのリアルなパートナー事情とともに、パートナーの意義や一歩を踏み出すときの心構えを考える。

  • 輝くアラフィー女性の新しい働き方「50代からの起業」を考える

    輝くアラフィー女性の新しい働き方「50代からの起業」を考える

    人生100年時代を迎え、定年が65歳、70歳と延長されつつある今、アラフィーは、「あと10年でリタイア」ではなく、「まだまだ働く」年齢に。そこで注目されているのが、起業し、やりたいことを仕事にする働き方。実践者&専門家の話をもとに、起業について考えてみませんか。

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