「がん」と告げられたら...。病との向き合い方・お金や仕事、知っておきたい心得

日本人の2人に1人が一生のうちに罹患するという「がん」。医療の発達により早期発見や根治治療が可能になった今は、病と向き合い、乗り越えて自分らしく生きることが問われる時代に。どう対処したか。いかに支えるか。経験者や専門家の証言から、アラフィー世代のがんの心得を探る。

 

タレント・青木さやかさんが語る「肺腺がん」

自覚症状がまったくないまま 偶然見つかった肺腺がん。

最初に思ったのは 「母に知られたくない」ということでした

――タレント・青木さやかさん

青木さやかさん

経過観察を経ての告知。世界が一瞬で色を失った

’90年代、女性の本音をこめた斬新な“キレ芸”でお笑い界のスターダムを駆け上がった青木さやかさん。バラエティ番組への出演に加え、俳優としての舞台や映画への出演と精力的に活動していた時計の針がひと時止まったのは、’17年。初期の肺腺がんと診断された瞬間だった。

「その3年前に受けた人間ドックで、肺に影が見つかっていたんです。その時点では診断がつかず、3カ月おきに検査をして、あるとき先生から『がんですけど、どうしますか?』とサラッと。本当に驚きました」

それまで色のついていた世界が「一瞬でグレーになった」と青木さん。がん家系を自認し、心のどこかで可能性を感じてはいたものの、実際に診断を聞いた衝撃は大きかった。

「そのとき1回だけ、車の中で泣きました。でも、そこからはどんどん動かなければならなかった。事務所に伝えることもそうですし、どこで治療をするか、手術をするかしないか、などすべて自分で選択していかなければならなかったんです」

青木さやかさん

プライベートでは、まだ幼い娘とのふたり暮らし。決まっている仕事のこと、手術で入院する間の娘の世話について、と山積みの課題を前にゆっくり悲しんでいる暇はなかった。

「『娘のためにも死ねない』と思ったし、がんだからって死ぬわけでもないんだ、と。思えば、疑わしいといわれて経過観察を続けていた時期は、とてもストレスでした。がんそのものより、不安のほうが日常を脅かすものだと思いました。人に頼ることには慣れてなかったので、ひとりで決めて、ひとりで入院。幼い娘のことは別れた夫や友人に頼みました」

仕事柄、急な休業の理由を公表しなければならなかった青木さん。ただ、彼女にはたったひとりだけ、罹患したことを知らせたくない相手がいた。10代のころからお互いを受け入れられず、大人になっても複雑な感情を抱え続けてきた母もまた、そのころ、がんと診断されていたのだ。

「よけいな心配はかけたくなかった。全国的に知られていいと思っても家族には知られたくない……そういうことだって、ありますよね」

2度の手術で人生を猛反省。「8つの誓い」を胸に置いて

ごく初期だったため手術のみで治療を終えたものの、術後は吐き気と熱、肺の痛みに苦しんだ。再発への不安を抱えつつ、仕事復帰後は体調に留意し、生活習慣や家での食事にも気をくばったという。それゆえに2年後、再びのがん疑いの診断の際は、落胆を隠せなかった。

「このタイプのがんはいくつもできる可能性があると説明を受けてはいましたが、それでもやっぱり早いなと。このペースで手術を受けるのはつらいなぁと落ち込みました」

誰かを傷つけ、自分を傷つけながら生きてきた私。

これからは後悔のない生活をしようと決めました

さいわい、2度目の手術でとったものはがんではなく、仕事復帰もよりスムーズに。しかし2度のがんへの直面によって、青木さんの中には確かな変化が生まれていた。

「がんになり、一瞬、死を意識しました。そのとき、自分が今までしてきたことに反省をしました。私はこれまで誰かを傷つけ、自分も傷つけてきた。理由があったとしても、私は確かにそういうことをしてきたんだと……。本当は謝りにいきたいけど、相手は今謝られても困るかもしれないでしょう? それで、今後は後悔のない生活をしようと心がけるようになったんです」

嘘をつかない。悪口をいわない。優しい顔つきをする。悪い態度をとらない。ていねいな言葉遣いをする。約束を守る。悪い感情を表に出さない。ふてくされない。自身が決めたという8つの心得を、青木さんはスラスラとなめらかに唱えた。まるで呼吸をするように。

「最初はつっかえたりしていたんですけど、石の上にも3年、5年ってことですかね(笑)。今ではちょっとした瞬間に『あ、今のは嘘ついたことになるかな』『約束、破っちゃったかな』と気づけるようになりました。もちろん、100%は変わっていないですよ。でも、訓練しています。油断すると自然と以前の自分のくせが出ますので、日々、訓練」

感情は変えられなくても行動は変えられる

青木さやかさん

つらさを言葉にして、人に伝える。それは、一歩前進できた証拠かもしれない

生きる姿勢を定めたことで、青木さんの心は、より外に向かって開かれることになった。

「がんになる以前にパニック障害になったときも、『まわりにいったらどう思われるんだろう?』と心配していましたけど、いったらすごく楽になったんです。『あの人、がんなんだ』と思われるかもしれないけど、そういう人もいちいち私にいってきたりはしませんし(笑)。ときどき、私のインスタグラムに自分のがんや病気の不安を王さまの耳はロバの耳!みたいな感じで訴えてこられるかたがいらっしゃるんですが、きっと誰にも吐露できないからなのかもしれませんね。お返事することで役に立てていると感じられるのが、うれしいです」

その時々の素直な気持ちを文章につづることを始めたのも、がんを経験してからのこと。

「つらいなぁ、と思うことを文章にするのって、そのつらさから一歩前に進めることだと思います。逆に『これは書きたくないな』と思うことは、まだ自分で処理しきれていない問題だったりするので」

人生で一番嫌いだった人との仲直り。まず行動すれば、心は自然とついてきます

そして最大の収穫は、生涯わかり合えないと思っていた母の最期を穏やかな気持ちで見送れたことだと、青木さんはいう。心に残っていた最後のわだかまりが解けたのも、生き直しの成果だったのだろう。

「人生で一番嫌いだった人と仲直りすることができました。死ぬ間際でも人は善人になるわけじゃないので、母の苦手なところはやはり苦手でした。でも、苦手だという感情を変えることはできないけど、行動を変えることはできるんですよね。だから、感情で自分が埋まってしまいそうなときは、まず行動して、そこに徐々に気持ちを追いつかせていく……今の私は、そんな方法をとっています」

青木さんの「これまで」

’73 愛知県瀬戸市に生まれる。大学卒業後、アナウンサー、司会業に
’96 お笑いタレントとしてデビュー。決め台詞「どこ見てんのよ!!」でブレイク

’07 結婚

’10 長女を出産

’12 離婚。パニック障害を発症する

’14 人間ドックの胸部X線検査で肺に影が写っているのが発見され、経過観察に

’17 初期の肺腺がんと診断され、入院、手術

’19   悪性リンパ腫の母をホスピスで看取(と)る。
   再び肺に腫瘍が発見され、2度目の手術。良性と判明する。以降、現在も経過観察中

プロフィール
青木 さやか

青木 さやか

あおき さやか●テレビのレギュラー番組のほか、11/3より本多劇場で舞台『リムジン』に出演。著書に『母』(中央公論新社)、『厄介なオンナ』(大和書房)など。最新刊は『50歳。はじまりの音しか聞こえない 青木さやかの「反省道」』(世界文化社)。

料理家・栗原友さんが語る「乳がん」

乳房全摘と再建。抗がん剤に予防的手術。

決めたことの責任は自分でとり“自分ファースト”の生き方を貫きたい

――料理家、鮮魚卸売業・栗原 友さん

できたものは、しょうがない。危険は可能なかぎり取り除く

できたものは、しょうがない。危険は可能なかぎり取り除く

これまでの人生、大事なことは自分で決めてきた──栗原友さんの中には、確固たる自負がある。
 
「決断力は、人いちばいあると思います。小さいころのことはぜんぜん覚えていないけど、勝手に学校をやめてきちゃったりとか(笑)。もちろん間違えることもあるけれど、でも、今のところは大丈夫みたい」
 
キャスターとして活躍した栗原玲児氏と料理研究家の栗原はるみさんの長女として生まれ、服飾を学んだのちに留学。帰国後に料理の仕事を始めてからも、魚を扱うことに開眼し、現在は鮮魚卸や商品開発などを幅広く手がけ、その道のエキスパートとして独自の道を歩んでいる。
そんな栗原さんに乳がんが見つかったのは、40代半ば。
そんな栗原さんに乳がんが見つかったのは、40代半ば。休暇中、海辺で娘と遊んでいたとき、乳房に硬いしこりを自分で発見した。
 
「『ああ、これはそうかも』って。告知されてびっくりはしましたけど、できちゃったものはできちゃったんだから、ジタバタしてもしょうがないですよね。ただ、最初に診断したお医者さんはボールペンをいじりながらしゃべるような人で、『この人は、ないな』と思い、すぐにセカンドオピニオンをとりました。やっぱり尊敬の気持ちがもてるかたにお世話になりたいじゃないですか」

どうせなら、尊敬できる人に診てもらいたい。

情報を得るなら、ネットではなく信頼できる専門家から

さいわい、2度目の受診で信頼できる医師に出会えた栗原さん。遺伝子検査で乳がんと卵巣がんのリスクが高まるとされるBRCA1に変異があったため、両側乳房切除と卵巣・卵管の摘出は即座に決断したという。
 
「誰にも相談せず、その場で決めて『全部、やっちゃってください』とお願いしました。切らないで温存したいとか、卵巣をとると女性らしさがなくなるとか、気持ちとしてはわからないでもないけれど、自分はそれより命が助かるほうがいいなって……。乳腺と、遺伝子診断の先生、抗がん剤の先生、それに婦人科の先生と、どのかたも気が合う感じがしたので、このお医者さんたちがいうことならいいんじゃないかと思えたのも大きかったです。本当に、いい医療者との出会いは大事。手術を受ける1カ月間、娘は関西の親友に預けました。夫は夜中から出勤する仕事だし、引き受けるよといってくれるであろう母も、当時、末期がんの父の介護で消耗していた。友人が子供を通わせていた幼稚園が他県からの一時保育を受け入れてくれたのは、本当にありがたかったですね」

上手な気分転換と情報収集で抗がん剤治療をのりきる

上手な気分転換と情報収集で抗がん剤治療をのりきる
リンパ節などへの転移はなかったものの、栗原さんのがんはホルモン治療やHER2と呼ばれるタンパク質に働きかける薬の効果が期待できないタイプ。乳房切除手術後の抗がん剤治療は必須だった。
 
「抗がん剤治療は、ただただ不快。焼肉屋で肉が出てくる寸前で味覚が消えたときは、『あー、来た』とがっかりしました。でも、味のわからないハラミを食べながら『舌がおいしいっていってる』と自分に言い聞かせて(笑)。食べられるものをなるべく食べて、あとは体調のサイクルに合わせて旅行に行くなど、上手に息抜きするようにはしていました」
 
乳房再建手術、卵巣・卵管手術へと続く長い道のり。その間には、やはり心の揺れを感じた時期もあった。
 
「抗がん剤治療を始める前、うっかりネットを検索して『髪が生えなくなるらしい』という情報を見てしまったんです。子供とも思うように遊べなくなるし、やっぱりやめたいと医師にいったら、脱毛について調べている看護師とぜひ話してほしいとか、子供のことを臨床心理士にも相談できますよとか……とにかく病院は手厚かったですね。話を聞くなら、ネットより専門家。私も妙に頭でっかちになってて、次の診療日までに『これってどういう副作用があるんですか』とか『これからどうなるんですか』とか、事細かに質問項目を立てて持っていきました」

不安でクヨクヨする時間はもったいない。

悔い改めるべきところが見つかったら、すぐに実行

その後、コロナ禍を縫って無事に2度の手術を終え、病後4年を無事に過ごした栗原さん。がんの治療は再発への不安との付き合いの始まりともいわれるが、「それ、ないんですよ」とあっさりいう。
 
「不安をもたないというか、もう無意識ですね。クヨクヨも、一瞬はするけど2〜3日で終わるかな。その時間がもったいないと思っちゃうほうなので。もちろん、自分を省みて変えなきゃいけない部分もありますけど、悔い改めたいと思ったら、すぐに実行します。自分で決めたことだったら、自分で責任とれますし」

いつかは海外で暮らしたい。夢に向かって時間を効率的に

短くてもいいから、濃く生きたい。これが、以前から抱いていた栗原さんのモットー。罹患後の今も、少しも揺らぎはないという。
 
「だから、病気がわかったときもあんまり慌てふためいたりしなかったのかもしれませんね。病気を経験して自分の中で変わったことはあまりないですが、やり残すことがないように、それを目ざしていこうと思う瞬間は増えた気がします。子供のためにというよりも、私はあくまで自分ファースト。子供が『ねえママ、ママママママー』って寄ってきても、ひとりで過ごしたいときは『今、ママはゲームがしたい』ってはっきりいいますから(笑)。かなえたい夢は、娘と一緒に海外で暮らしながら仕事をすること……かな。英会話、習ってるんですよ。朝7時5分に子供が家を出ると同時に、自転車で先生との待ち合わせ場所に行って、個人レッスン受けて。前は娘を送り出してからダラダラ家事したりテレビ見たりしてたのが、テキパキしちゃって『ちょっといいかも?』なんて」

「あなたにも可能性があるよ」。

遺伝性のがんだからこそ、娘にはことあるごとに話して伝えています

充実した生を、より太く、長く。そして、栗原さんからつながる命の行く末にも目くばりを忘れない。
 
「まだ遺伝子検査を受けられないけど、娘にはことあるごとにがんについて話して、『あなたにも可能性があるんだよ』と伝えています。自分が治療したときのデータや資料は全部ファイリングして、いつでも見せられるようにしていて。急に知ってびっくりさせるより、『そういえばお母さん、ずっといってたな』っていうほうが怖くないじゃないですか。主治医にも今から会わせていて、『何かあったら、この人たちが助けてくれるからね』っていっているんです」

栗原さんの「これまで」

’75 静岡県下田市に生まれる。服飾専門学校に進学し、ロンドンへ留学。

       アパレル会社のPR、フリーライターなどを経て料理家に
’08 初の著書『ぜんぶ・おいしい 私が見つけた好きな味・家族の味』(講談社)を出版
’12 築地場外の水産会社に就職
’14 結婚、長女を出産

’17 夫と独立、起業

’19 左胸にしこりを自覚し受診、乳がんと診断される。

       遺伝子検査をし、左右乳房全摘手術・化学療法を受ける。

       肺がんの父を看取る
’20 卵巣・卵管を予防的に摘出・乳房再建手術。

   以降、現在も経過観察中

プロフィール
栗原 友

栗原 友

くりはら とも●東京・築地場外では鮮魚店『クリトモ商店』を経営。魚のプロとしての見識を生かした『魚屋だから考えた。クリトモのかんたん魚レシピ』(文藝春秋)ほかの著書が好評。乳がん関連の講演会に登壇するなど啓発活動にも携わっている。

アラフィー女性のがん体験

日々忙しい中、その知らせは突然に──。衝撃も苦しみも悲しみも受容も人それぞれ。読者アンケートから見えてきた、「がん」告知を受けて始まった人生の第2章とは。

いつまでも元気ではないかもしれない。

やりたいことはやってしまおうと、 念願のクルーズ旅に出ました

(青嵐さん 53歳・医師 46歳のときに乳がん)

仕事が一段落した大晦日、入浴の際に乳房にしこりを見つけました。年明けに勤務先で検査を受け、乳がんと判明。部分切除の手術と抗がん剤治療、放射線治療を受けました。
 
独身の私は近くにある実家のサポートを受けながら抗がん剤の副作用になんとか耐えましたが、脱毛はやはりつらかった。今まで病院で接してきた患者さんたちがこんな思いをされてきたのだということを、ようやく思い知りました。しかもがんばっても再発の可能性はゼロにはならず、すべてがムダになるかもしれないのですから。
 
さらに治療中、身内から「仕事に穴をあけるなんて、自分なら責任をとってやめる」といわれて傷ついたことも。が、そんなときにある看護師さんから食事に誘われ、仕事のこと、プライベートについて忌憚なく話せたことから、仕事に復帰する意欲がわいてきました。
 
自分はずっと元気だと思っていたのは幻想で、いつまでも健康でいられるわけではないことを実感。やりたいことは今のうちにやろうと、化学療法が終わったところで念願のクルーズ旅に出たのが、今ではいい思い出です。
【アラフィー女性のがん体験】やりたいことは今のうちにやろうと決意

免疫力と体力をつけるために始めた登山。

忍耐力と精神力が鍛えられ、再発と死を恐れるマイナス思考を断ち切れました

(ココアさん 46 歳・会社員 42 歳のときに肺腺がん)

不妊治療中に肺にチクチクするような感覚があり、人間ドックを受けて肺がんと診断されました。
 
手術をして、転移などはなかったものの、予後不良で再発の可能性が高い、まれなタイプのがんであることが判明。術後は以前より息が苦しくなり、不妊治療もしばらく見送ることに。再発の不安や不妊治療の継続、コロナによる外出規制などに悶々としていたころ、体力と免疫力をつけるために登山を始めたことが、私の転機になりました。
 
滑落や遭難など、登山はある意味、常に死と隣り合わせです。加えて、登山は体力的にきつい状況に耐えながら登るため、忍耐力や精神力が自然に養われました。そうして、死を恐れるマイナス思考からしだいに前向きに生きるプラス思考に変わっていったのだと思います。山に対する感謝の気持ちから、現在はアウトドア業界に転職。今後の目標は、がん罹患者向けの低山ツアーやハイキング、そのためのトレーニングなどを企画することです。登山のすばらしさを伝えつつ、同じがん罹患者のかたが元気に前向きに生きられるサポートをしていけたらと願っています。
【アラフィー女性のがん体験】登山が転機に! 再発と死の恐怖からの脱却

子供や孫たちと過ごす時間を大事に。

将来に備えるためにものを購入するのはやめ、今必要なものを優先するように

(wishbownさん 66歳・パート 42歳のときに子宮頸がん、58歳のときに大腸がん、乳がん)

子宮頸部、大腸、乳房と3カ所のがん手術を経て60代を迎え、通常の生活ができていることは、私の努力の結果ではなく、ただただ幸運だったのだと思っています。
 
それぞれの治療後にはリンパ浮腫や蜂窩織炎(ほうかしきえん)などにたびたび罹患し、入院。排尿や排便のコントロールができないなど日常生活への不自由も起こり、最初は「なぜ?」と怒りを覚えたものでした。しかし、時間が経過するうちに体も心も状況に慣れていき、逆に、今生きている自分の幸運に感謝する気持ちがわくようになりました。
 
手術を受けるたびに求める生活のクオリティが変化するので、5年後、10年後の生活を想像しながらの買い物はやめて、今必要なものだけを購入するようになりました。また、“断捨離”も進めています。
 
そのかわりに大切にしているのは、娘家族と過ごす時間。働きながらシングルで子育てをしていたため十分な時間を一緒に過ごせなかった後悔から、娘の子育てを手伝い、孫たちの日々の成長を感じるのが喜びとなっています。イベントも思い出になるでしょうが、ともに過ごす毎日がきっと彼らの記憶に残ると信じています。
【エクラ読者のがん体験】今必要なものを優先。子供や孫との時間を大切に

やらない後悔より、やって後悔するほうがいい。

治療後、50歳で海の近くに住む夢をかなえました

(sakuさん 55歳・会社員 43歳のときに乳がん)

シングルマザーで母の協力を受けながら子育てをしていましたが、母が末期の肺がんと診断され入院。同時期に、自分に乳がんが見つかりました。
 
最初は不安で涙が止まりませんでしたが、かなり苦しかったはずなのに気丈にしていた母のことを思い、そして自分に万が一のことがあったら子供がひとりになるのだと考えると、絶対に死ねない、しっかり病気と向き合わなくてはと気持ちを取り直しました。
 
またそのころ、勤めていた会社の統廃合が決定。会社都合で退職するか統廃合先の会社の入社試験を受けるかの2択に、試験を受ける決断をしました。さいわいにも入社でき、有給休暇を使わせてもらって仕事と治療を両立。消耗しながらも無我夢中でこなせたのは、私の手術が無事に終わった翌日に亡くなった母が守ってくれたからでしょう。
 
やらない後悔よりやって後悔するほうが未来が開ける。そういっていた母のぶんまで悔いの残らない日々を過ごそうと思い、50歳になったとき、以前から抱いていた海の近くに住む夢をかなえました。朝早起きして海岸を散歩したり、家のまわりで花を育てたり。スローライフを楽しみながら、また次の夢を見つけたいと思っています。
【アラフィー女性のがん体験】やらない後悔よりやる後悔。50歳になってかなえた夢

こんな読者の声も

44歳で乳がん手術と放射線治療。さまざまな不調が出る中、周囲に心配をかけまいと努めて明るくしていたことが最もしんどかったです。それまでは家族最優先の生き方でしたが、死に直面したことで、自分の気持ちも大切にしようと考えるようになりました。(52歳・主婦)
 
36歳で子宮頸がんになり、子宮を全摘しました。子供は2人いましたが、3人目を産めなくなることにはやはり葛藤が。しかし、主治医の「あなたが僕の奥さんなら全摘をすすめる」という言葉で覚悟が決まりました。(55歳・自営業)
 
58歳のときに乳がんにかかってから、この先いつ何があっても困らないように、金融関係の情報やネットのID、パスワードなどを記した終活用ファイルを作成しています。(60歳・公務員)
 
肺腺がんを手術で切除しましたが1年半後に再発がわかり、一気にステージ4に。抗がん剤を服用して3年、仕事を続けたのでうつになることもなく、その間、フランス語を独学して仏検4級までとりました。もうお金をためなくていいんだと気が楽になり、今はゆとりのある生活を送っています。(56歳・会社員)
 
まさに今年、乳がんに罹患しました。自分が今生きていて、明日がくることがあたりまえでなくなりました。周囲に対しても何を伝えたいかを意識するようになり、生きるということが罹患前よりクリアになった気がしています。(48歳・主婦)
 
最近、母ががんであることがわかり、手術を受けました。治療にあたっては家族間で考え方を擦り合わせておくこと、また何かを決めなくてはならないときは、本人には「どうしたい?」ではなく「どう思う?」と聞くようにしていました。ショックを受けている中で判断を次々に迫られるのは、本人にとってはきついと思ったので。(53歳・コンサルタント)
 
義理の姉が膵臓がんになり、半年後に他界しました。遠く離れていたのと当時はコロナ禍だったため、やりとりは主に電話とLINE。本人はがんを受け入れて毅然としていましたが、それでも治療が苦しいときの「早く楽になりたい」というメッセージには元気づけることもできず、ただただ涙しか出てきませんでした。(51歳・インテリアデザイナー)
 
義母ががんで余命宣告を受けたあと、どのように接すればいいかとても悩みました。手術をすれば多少は延命できたかもしれませんが、苦しい治療を受け、コロナ禍で私たち夫婦に会えなくなるよりは一緒に穏やかに暮らす道を選択。亡くなるその日までお友だちと一緒に笑顔で過ごすことができたので、正解だったのではと思っています。(53歳・パート)
 
今、生徒さんのおひとりが白血病(血液のがん)で闘病中です。私のインスタグラムを見てくださっているので、ときどきメッセージを送りますが、その際はがんばれという感じではなくお話し相手になれればと思っています。(49歳・教室主宰)

もし、がんになったら「お金と仕事」はどうしたらいい?

教えてくれた人
ファイナンシャル プランナー 黒田尚子さん

ファイナンシャル プランナー 黒田尚子さん

FPとして精力的に活動しながらCNJ認定乳がん体験者コーディネーター、NPO法人キャンサーネットジャパン・アドバイザリーボードメンバーなどを務める。『病気にかかるお金がわかる本』(主婦の友社)ほか著書、共著多数。

お金と健康、時間は有限。自分に必要な備えを再確認

がんはとにかくお金がかかる……そんな不安を漠然と抱いている人も多いはず。しかし、「国民皆保険に加えて補助制度が整った日本では、実は病院に支払う医療費自体は、さほど高額ではないんです」とFPの黒田尚子さん。自身も40歳で乳がんに罹患し、その経験からがんなどの病気に対する経済的備えを啓発する活動を積極的に行っている。
 
「がんにかかわる費用は、手術や診療、薬などの自己負担分は20〜50万円が多く、平均56万円。そのほかに差額ベッド代や通院の際の交通費、入院の準備品や健康補助食品の購入など医療費以外の費用に平均13万円ほど。自分が受けられる公的制度をまず調べ、付加給付の有無を確認し、そのうえで保険などの自助努力を考えるのが正しい順序です」
 
さらに、医療費だけでなく治療期間の生活資金の確保も課題になる。
 
「主たる稼ぎ手のいる専業主婦の場合は比較的低リスクですが、家族経営や自営業の場合は休業、離職による収入減が問題に。家事や介護の担い手がいなくなることも減収につながります。家のローンや子供の教育費などを別にすれば、シングルなら3カ月、ファミリーなら6カ月分ほどの生活費を蓄えておくと安心です。治療しながら仕事を続けるための支援も以前よりはグッと増えましたので、安易に離職せず、受けられる支援制度を確認してください」
 
乳がん、子宮頸がんなど、男性に比べて女性は若年からがん罹患率が高く、シニアになれば大腸がんが増えるなど、一生をかけてがん対策は続く。だからといって恐れてばかりでは本末転倒だと、黒田さん。
 
「誰にとってもお金と時間、健康は有限です。自分が何を大事に思うか、どうしたいのかを問い、お金に関する自分のリスクを洗い出して不足分への対策をしたら、あとはがんを気にせず人生を楽しみましょう!」

がんの経済リスクに備えるには……

がんの経済リスクに備えるには……
健康保険や高額療養費制度に加え、勤め人なら組合からの付加給付も。自営業やフリーランスは、そのぶんを自助努力で補う必要がある

情報も補助も「とりにいく」

公的制度やサポートの手厚さにひと安心……しかし、そこに落とし穴も。「公的制度は原則としてすべてセルフサービス。自分で情報を把握して動かなければ受けられません。また、高額療養費も傷病手当金も障害年金も、申請してから支払われるまでには相応のタイムラグがあることも知っておくべきでしょう」(黒田さん)
 
公的制度は頻繁に改正されるため、最新情報は常に確認しておきたいもの。下記に紹介する各種サービスで専門家の力を借りるのもひとつの手だ。
 
「制度を利用できないと思い込まない、あきらめない、が肝心。行動する前に、ぜひ相談してください」

がんにかかわるお金は、「かかる」費用と「かける」費用がある!

かかる費用
病院に支払う 医療費:
検査・診察・治療・薬剤・入院費など
*高額療養費制度が適用になるのは、ここのみ!

かける費用

病院に支払うそのほかのお金:差額ベッド代、入院時の食事代の一部、先進医療、診断書作成料など

かける費用

病院以外に支払うお金:交通費、宿泊費、日用品、快気祝い、健康食品、ウィッグなど

必ずかかる「病院に支払う医療費」に対し、それ以外は個々の裁量でかけるお金。「つど適切に判断し、節約すべきところは節約を」と黒田さん

がんにかかわるお金の目安は?

自己負担費用の総額は、平均56万円(20~50万円が最多)

医療費以外の費用の総額は、平均13万円(1~10万円が最多)

*ステージが上がるほど費用は増

がんの治療費が変動する要因は……

①がんの種類

②ステージ(進行度)

③治療の考え方・価値観

上に提示した金額は、初回のがんの一連の治療にかかるもの。再発すれば再発ごとに、治療が長引く進行がんで先進医療などを受ける場合は、さらに費用がかさむことも視野に入れて備えを

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出典:ティーペック株式会社「がん罹患者の治療実態調査」(2022年8月実施)

どれを選んだらいい? 保険のこと

保険は「必要分のみ」+貯蓄も賢く使って

がんに備える「自助」といえば、思い浮かぶのはやはり保険。エクラ世代ならすでに加入ずみの人も多いと思われるが、これから選ぶなら「がん“が”心配ならがん保険、がん“も”心配ならほかの病気も幅広く保障する医療保険」と黒田さんはいう。

「入院期間が短期化している今、医療保険は診断一時金に重点を置き3大疾病、女性特有のがんなどを手厚く保障するのがトレンド。ただ、そのぶん保険料も高額なので、50代なら長引かない病気の治療は貯蓄で賄い、がん保険だけ入るのもひとつの考え方です」

さらに、今後のがん治療のカギとなる遺伝子検査などゲノム医療の特約、ウィッグ購入代金や乳房再建の自由診療部分を保障するアピアランスケア特約にも注目が集まる。公的制度や受けられる補助を今一度チェックし、自分に必要なメニューを見極めたい。

もしがんになったら「お金」と「仕事」はどうしたらいいの?

がん患者や家族が利用できる公的制度

がん患者や家族が利用できる公的制度
※介護休業給付金の支給申請は、委任をすれば勤務先経由で請求することができる。
出典:黒田尚子『がんとお金の真実』(セールス手帖社保険FPS 研究所)

さらに知っておきたいサービス、いろいろあります!

がんに関する正確な情報を知りたいとき

国立がん研究センター「がん情報サービス」

部位ごとのがんの説明と治療の流れ、国からの支援制度と地域で受けられるサービス、相談窓口の紹介までそろったポータルサイト。診断されたらまずはここでひと通りの情報収集を。

https://ganjoho.jp

どんなお金の支援制度があるか検索したいとき

NPO法人 がんと暮らしを考える会「がん制度ドック」

かかったがんの部位、体調、加入していた年金の種類、家族構成、収入やローンの状況などを入力すると、利用できる可能性のある制度が一覧できる。申請手順やFAQも充実。
https://www.ganseido.com

お金について専門家にアドバイスしてもらいたいとき

一般社団法人 患者家計サポート協会「制度とお金の確認サポート」

医療費、教育費、生活費などがん患者と家族が直面するお金の問題をオンラインでFPに個別相談できる。1回40分・2000円とリーズナブル。黒田さんも顧問として参加。

https://patient-support-fp.com/

子育てや介護の援助が必要なとき

一般財団法人 女性労働協会「サポートセンター検索」

働く女性を支援する窓口はこちらから検索。家事や子育てのサポートだけでなく、アラフィー女性に切実な介護もカバー。

https://www.jaaww.or.jp

とにかく相談したいとき

がん診療連携拠点病院「がん相談支援センター」

400カ所以上ある全国のがん診療連携拠点病院に設置されたがん相談支援センターの探し方や利用方法を詳しくガイド。

https://ganjoho.jp/public/institution/index.html

治療中も仕事を続けたいと思ったとき

厚生労働省「仕事とがん治療の両立お役立ちノート」

罹患後も仕事を続けるための各種申請やサポート先、復職に必要な準備などをケースごとにまとめた便利なハンドブック。

https://chiryoutoshigoto.mhlw.go.jp/dl/download/0000204876.pdf

アピアランスケアの助成について知りたいとき

NPO法人 JHD&C「自治体による助成一覧」

外見の変化を緩和する「アピアランスケア」も全国自治体で推進中。ウィッグや乳房再建の助成金情報は要チェック。

https://www.jhdac.org/local_goverment/

「がん」と向き合うために知っておきたいこと

教えてくれた人
精神腫瘍医 清水 研先生

精神腫瘍医 清水 研先生

精神科医、医学博士。金沢大学医学部卒。国立がん研究センター勤務を経て’20年より公益財団法人がん研究会有明病院腫瘍精神科部長。著書に『がん患者のこころをささえる言葉』(KADOKAWA)、『絶望をどう生きるか』(幻冬舎)などがある。

不安や悲しみは自然な感情。無理に打ち消さなくていい

精神腫瘍医は、がん患者とその家族の心理的な苦痛を軽減し、療養生活を円滑に行うためのサポートを行う精神科医。清水研先生は、これまで4000人以上のがんに悩む人々と向き合い、対話を重ねてきた。
 
「がんの患者さんにとって罹患は、ひとつには大きな喪失体験だと思います。健康で過ごすはずだった未来を失い、壮健だった体を失う。そしてもうひとつには、『自分はこれからどうなるんだろう』という危機、つまり不安との付き合いの始まり。でも、不安や喪失の悲しみは決して悪いものじゃない。将来に備えるための、ごく自然な感情なんです」
 
無理に打ち消したり乗り越えたりしなくていい、と清水先生。ただ、付き合い方にはコツがあるという。
 
「真っ暗闇にいると不安が増幅しますから、まずは治療法や経過について正しい情報を得て治療を受ける。そして、自分にできることをやったら、あとは不安は心に居続けるものだと割り切って、仕事をしたり家事をしたりと淡々と日常を送ること。未来を考えると不安になるし、過去を思うと後悔する。だったら、家族とごはんを食べる時間や友だちと会う機会など、今、この瞬間を楽しく過ごすことではないでしょうか」
 
がんになってよかったとは思えないけれど、気づいたことはたくさんある。これは、清水先生がこれまで多くの患者たちから聞いた言葉。
 
「最初は『まじめに生きてきた自分がなぜがんになるんだ』と怒りを感じ、悲しむ。それでも、きちんと落ち込んだあとは、あたりまえだと思っていたものをいつ失うかわからないのなら今日一日を大事に生き、大切な人との関係を大切にしよう、逆にいらないものは手放そう、と。不安に怯(おび)える自分を認め、自分にとって何が大切かを改めて知る機会を得たということなのだと思います」

いつでも「これが自分」と受け入れられる人生を

そしてアラフィー世代であれば、身近な人、親しい人のがん罹患に接する機会も増えたはず。例えば、家族や友人からのLINEで「がんになっちゃった」と告白され、対処せねばならなくなることも起こりうる。「えっ」「そうなんだ」のあと、あなた
 
なら何と続けるだろうか?
 
「驚くだろうし、きっと動揺しますよね。例えば『とてもびっくりしているし、あなたが今、どういう気持ちでいるのかなと考えています』というふうに……。『がんばれ』とやみくもに励ますのではなく、『落ち込んでるよね』と決めつけるのでもなく、相手を思っているという気持ちは素直に伝えていいと思うのです」
 
相手の性格や関係性にもよるが、基本は相手が話したいときにまずはじっくり話を聞き、気持ちを慮る。そして、泣きたいのなら泣いてもらい、背中を押してほしそうならそっと押すなど、それぞれに合った対処をしていけばいいと清水先生。ある先輩医師はがんに罹患した際、望ましい接し方についてこう語ったという。
 
「空車のタクシーのように、『いつでも乗せるから、必要だったら声をかけて』と。これはなかなかいい態度なんじゃないでしょうか」
 
がんに罹患しなくても、誰にもいつかは必ず命を終えるときがくる。その未来を少しだけ早く実感させるのが「がん」だとしたら、接したことをきっかけに、自分らしい生き方、最期の迎え方を、改めて自分に問い、考えてみる時期なのだろう。
 
「理想論かもしれませんが、私なら『これが自分だよね』と……。何が起こったとしても、これが自分の人生だと納得して終えられたらいいだろうな、と思っています」

看護師がLINEで不安と孤独の解消を個別にサポート

「Tomopiia」

https://www.tomopiia.com/

対面や電話よりSNSのほうが自分らしい──そんな昨今のコミュニケーション事情から開発されたLINEによるがん罹患者向け無料サービス。トレーニングを受けた看護師が24時間、チャットで相談に応じる。顧問である清水先生も「声も顔も出さないのでハードルが低く、利用しやすいと思います。気軽に相談してください」とおすすめ。

もし「ガン」と告げられたら?

もしあなたが「がん」と告げられたら?

“正確な”情報に接する

巷にあふれるがん情報には、残念ながら真偽の怪しいものも多数。国立がん研究センターの「がん情報サービス」など信頼できる機関からの発信を第一に。

 

不安な気持ちを打ち消さない

不安に支配されるだけでなく、「全然大丈夫」が口癖の“やせ我慢”体質も心配だと清水先生。「不安になるのは当然のこと、そう思うところから始めては」。

 

悲しみは傷を癒す薬

悲しいと感じるのもまた、素直な心の反応。「泣いたあとは少し楽になるように、悲しみは傷を癒す効果のある感情。無理に抑えなくていいんです」(清水先生)。

もし親しい人から「がん」を告白されたら?

もし親しい人から「がん」を告白されたら?

「がんばって」「きっと大丈夫」は避けて

応援のつもりでかけた励ましの言葉や過度な期待をもたせる発言は、相手の負担に。「神は乗り越えられない試練は与えない」などの名言・格言系も要注意。

 

「~が効くみたいだよ」などの噂話を伝えない

効果が不確かな治療法や健康術など、聞きかじった情報を安易にすすめるのは考えもの。どうしても伝えたいことでも必ず「私の場合は〜」と前置きして。

 

泣きくずれない、心配を否定しない

心配のあまり感情的になるのは、相手を困らせるだけ。また「クヨクヨしても仕方ない」と不安を打ち消す態度も、感情の発露を阻害するので気をつけたい。

「がん」と向き合う人に寄り添うときは?

「がん」と向き合う人に寄り添うときは?

まずは、じっくり話を聞く

どう感じているか、何が不安か……「すべては傾聴から始まります」と清水先生。プロに倣って、まずは聞き役に徹し、相手の素直な気持ちを受け止めて。

 

涙は心を許してくれた証拠

目の前で泣かれたり感情を爆発されたりすることもあるかもしれない。でも「あなたを信頼しているから泣けたんですよ」と清水先生。穏やかに接しよう。

 

LINEやSNSは相手のペースに合わせて

文字だけのコミュニケーションは、相手とのバランスが特に大事。相手が3行なら3行、10行なら10行と量を合わせ、トーンもなるべくそろえる配慮を。

心を癒やしてくれる「本と映画」

突然のがん宣告は、不安との付き合いの始まり。そんな感情と向き合い、心を癒やしてくれる本や映画を紹介。

異国でがんになった私からあなたへ

『くもをさがす』 西 加奈子

『くもをさがす』 西 加奈子

河出書房新社 ¥1,540

家族で渡ったコロナ禍のカナダで乳がんが判明。直木賞作家が病を恐れる心と向き合い、本音でつづった「新しい日常」の記録は、今、隣にいる友人の声を聞くようなストレートさで胸を打つ。

 

病=悲劇? それは心のもちようで

『ボクもたまにはがんになる』 三谷幸喜・頴川 晋

『ボクもたまにはがんになる』 三谷幸喜・頴川 晋

幻冬舎文庫 ¥660

54歳、大河ドラマ執筆中に診断された前立腺がん。当代一の喜劇作家がその治療体験を主治医と振り返る対話には、笑いと発見がふんだんに。ピンチすらおもしろがる探究心、見習いたい。

 

生を終え、そして命はつながっていく

『生物はなぜ死ぬのか』 小林武彦

『生物はなぜ死ぬのか』 小林武彦

講談社現代新書 ¥990

生物の中で唯一死を恐れるのが「ヒト」。なぜそうなのか、そもそもどうして死は必然なのか……生物学者が解く生命の連鎖と循環のシステムが、不安に傾きがちな思考を整頓してくれる。

映画

残された時を輝かせるために

『最高の人生の見つけ方』
ⒸWarner Bros. Entertainment Inc.

『最高の人生の見つけ方』

修理工と大富豪、ともに余命半年のふたりが「死ぬまでにやりたいことリスト」をかなえるロードムービーは、FPの黒田尚子さんが何度も見たという痛快作。「限りある時間を楽しむ、そのために使うのがお金ですよ」。

U-NEXTで配信中

 

国境を越えた命の尊厳の物語

『生きる LIVING』
Ⓒ Number 9 Films Living Limited

『生きる LIVING』

黒澤明監督の傑作を英国でリメイク。がんを宣告された謹厳実直な公務員が、平凡で無難に過ごしてきた人生から一歩を踏み出す。死は生と向き合い、それを完成させることなのだと、名作は再び私たちに教える。

U-NEXTで配信中

 

愛するものを慈しみ暮らす豊かさ

『ターシャ・テューダー 静かな水の物語』
Ⓒ2017 映画「ターシャ・テューダー」製作委員会 Photo by Richard W.

『ターシャ・テューダー 静かな水の物語』

山奥のコテージで庭を丹精して暮らしたアメリカの絵本作家、その生の美しい黄昏を収めたドキュメンタリー。人生をバケーションのように過ごしてきたと語る彼女の姿に「生き方の道しるべをもらいました」と清水先生。

U-NEXTで配信中

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