作家・水村美苗さんの12年ぶりの長編小説『大使とその妻』ほか2冊【斎藤美奈子のオトナの文藝部】

今話題の本を文芸評論家・斎藤美奈子さんがご紹介。今回は、水村美苗さんの12年ぶりの新作長編『大使とその妻』ほか、「日本」に思いを馳せる本をピックアップ。

『大使とその妻』上・下

『 大使とその妻 』上・下

「日本」に思いを馳せる12年ぶりの新作長編

インバウンド観光全盛の昨今だけれど、日本を代表する文化は今やアニメやマンガに席(せっけん)されつつある。ああ、古きよき日本はどこへ行った!

水村美苗の最新長編『大使とその妻』は壮大なスケールのドラマとともに、そんな「日本」についても考えさせる小説だ。

語り手の「私」ことケヴィンは来日して25年になる50代のアメリカ人男性。遺産で暮らせるけっこうなご身分ながら、イェール大学の大学院で日本文化を研究し、現在は日本の古い文化遺産を広く世界に紹介する「失われた日本を求めて」と題したオンライン・プロジェクトを運営している。

彼は軽井沢のはずれの追分に避暑用の小屋をもっており、ここにいる夏の間は隣の山荘に住む日本人夫妻と親しくしていた。しかし’20年の夏、夫妻は軽井沢から姿を消していた。時はコロナ・パンデミックの真っただ中。ふたりは無事でいるのだろうか。

こうして彼は山荘の住人である篠田周一・貴子夫妻との出会いと彼らの過去を語りはじめる。

そもそもこの山荘は、過剰に日本風だった。京都から来た宮大工の手で日本家屋が増築され、日本庭園や能舞台まであった。建築中からこの家を見てきたケヴィンが夫人の貴子と初めて言葉を交わしたのは台風の夜だった。心配して見にきたケヴィンに夫人はいった。

〈よろしかったら、どうぞお上がり遊ばして。こんな中をせっかくいらしてくださったんですから……〉。

京都の旧家の出らしいと耳にはさんではいたものの、日本語に堪能なケヴィンは彼女の話し方に衝撃を受ける。〈何という古めかしい日本語だろうか〉。

篠田氏は退職した外交官で、引退するまで夫妻は長く南米で暮らしてきたというのだが、夜になると着物に着替え、能の横笛を吹いてみたりもする貴子。不可解に思ったケヴィンは古美術商の友人に打ち明けずにはいられない。

〈今の日本人みたいじゃあなくって、それこそ、本人自身が……骨董品みたいな人なんだ〉


自分と同世代なのに、古めかしい日本語を話す骨董品みたいな女性。貴子の正体が判明するのは上巻のラスト。下巻で物語は一気にサンパウロに飛び、彼女の出自と数奇な半生が明かされる。「絶滅危惧種」を自称する古い日本文化好きのアメリカ人と、海外暮らしが長かった元外交官夫妻。外からの目を通して初めて浮かび上がる、古きよき日本文化の意味。物語の背後に広がるのは、かつて国境を越えて移動した日本人の歴史であり、日系移民の間で醸成された強い愛国心である。

コロナ禍で移動がままならなくなった状況下で、果たしてケヴィンはふたりに再び会えるのか。上・下巻一気読み必至である。

『大使とその妻』上・下

水村美苗

新潮社 上・下 各¥2,200

軽井沢のはずれの山荘で暮らす、年の離れた元外交官夫妻。語り手の「私」は妻の篠田貴子のただならぬ雰囲気に驚くが、彼女には秘められた過去があった。日本に憧れていた最愛の兄を失い、家族との確執もあってシカゴの家を飛び出してきた「私」の過去とも相まって、日本、アメリカ、ブラジルを股にかけた壮大なドラマが動き出す。異国にあって「ちゃんとした日本人」になりたいと願った人々の思いとは。

あわせて読みたい!

『本格小説』上・下

『 本格小説 』上・下

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水村美苗

新潮文庫 上¥924・下¥825

旧満州から帰還し、恵まれない境遇で育った東太郎。裕福な家に生まれた宇多川よう子。幼くして出会い一緒に育ったふたりは成長して恋に落ちるが……。舞台のひとつは『大使とその妻』と同じ軽井沢。『嵐が丘』を下敷きにしたドラマティックな物語。’02年の読売文学賞受賞作。

『日本美の再発見 増補改訳版』

ブルーノ・タウト 篠田英雄/訳 岩波新書 ¥968

『日本美の再発見 増補改訳版』
ブルーノ・タウト 篠田英雄/訳

岩波新書 ¥968

外国人の目に日本の文化はどう映る? ナチの手を逃れて来日した建築家のタウトは’33(昭和8)年から3年間日本に滞在し、各地の風物を見て歩いた。桂離宮や白川郷の合掌造りを賞賛し、日光東照宮を酷評。日本人の美意識にも影響を与えた’39年の日本の建築探訪記。

文芸評論家・斎藤美奈子
さいとう みなこ●文芸評論家。編集者を経て’94年『妊娠小説』でデビュー。その後、新聞や雑誌での文芸評論や書評などを執筆。『中古典のすすめ』『忖度しません』『挑発する少女小説』『出世と恋愛』ほか著書多数。近著は『あなたの代わりに読みました』(朝日新聞出版)。
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