【山本容子さん×谷川賢作さん特別対談】谷川俊太郎さんの魅力とは?〈前編〉

昨年11月に92歳でこの世を去った詩人の谷川俊太郎さん。銅版画家・山本容子さんと音楽家・谷川賢作さんが、谷川俊太郎さんが生まれ育った東京・杉並の家で、画家として・息子として、谷川俊太郎さんとの思い出を語る。

「もうやりきったでしょう。お疲れさま」といいたい

山本容子(以下、山本) 谷川俊太郎さんのご自宅に来たのは5年ぶりかしら。エクラで対談したときにおじゃましたんです。でももう、俊太郎さんはいらっしゃらないのね。

谷川賢作(以下、谷川) そうですね。見送った今、僕が父に何かいうとしたら、「もうやりきったでしょう、お疲れさま」って。92歳まで本当にたくさんの仕事をしましたから。

山本 本当に。詩を作りはじめたのは17歳で、それからずっと、ですものね。詩だけじゃなくて翻訳とか脚本とか作詞も、いろいろ。

谷川 後片づけを、どこから手をつければいいのか。こんな仕事もやっていたのか、こんなことも、と今呆然としているところです。すごい人でした。

山本 私がまだ新人だったころ、谷川さんが寺山修司さんとビデオレターを交換する活動というのがあって、詩人がおもしろいことを始めたなあって。詩とか演劇やパフォーマンスが、それまでとは違う次元に、世界を広げていった時代。谷川さんがその先頭にいるのを私、見ていたから。

谷川 そんな昔から俊太郎の詩に触れていたんですか。

山本 もちろん。『二十億光年の孤独』から始まって、読んできました。言葉がわかりやすくて、読みやすいの。だけどわかったつもりでいると、スルッとすり抜けていく。簡単に見えて、油断させるのよ。そしてもう一度読んでみると、あ、こんな言葉があったんだ、って。いつのまにか大きな世界をつかんでいる。そうやって宇宙にまで話を広げておいて、気がつくと自分の手のひらの上に視線が戻ってくるの。不思議な詩なんです。

谷川 例えばどんな詩が?

山本 私が特に好きなのはこれ、『二十億光年の孤独』の中の「絵」という作品。何回読んでも、いいなって思う。天才よね。

銅版画家・山本容子   音楽家・谷川賢作

俊太郎と容子さんのエネルギーに圧倒された

編集部 ’05年に発表された『あのひとが来て』は谷川俊太郎さんの詩と山本容子さんの絵、そして谷川賢作さんの音楽という豪華な組み合わせで作られた一冊でした。

谷川 あれは僕にとって大事な、節目になる作品です。僕は父の詩に曲をつけて歌にするのが大好きで、いつもこの詩は歌になるかなって、野球のスカウトマンが高校球児を見るような感覚で読んでいたんだけど(笑)。あの本で容子さんがセレクトした詩を見てびっくり、衝撃でした。すごくいい詩ばかりで、これを見逃していた自分はまだまだ甘いなって。

山本 私は詩人とコラボレーションするのが好きだから。最初はジャック・プレヴェール、次がシェイクスピアのソネット、そして谷川俊太郎さん。冗談みたいに大家ばかり(笑)。詩っていうのはいろんな読み方ができるし、自由なものなので、遊べるんですよね。

谷川 この「はる」という詩のページも、楽譜をそのまま絵にしてあるのを見て、俊太郎も驚いていました。すごい技だなって(笑)。

山本 ト音記号を描いて、フラットを描いて、フラットが蝶々に見えたから蝶々にして(笑)。描いていてすごく楽しかった。

谷川 曲を作っている間中、ふたりの創作のエネルギーに、ギューッともっていかれた感じでした。父は僕の応援団長だったから、きっとあの作品に関しても、「ウチの息子が作曲やってるから使ってくれない?」って、そんな感じだったのではないですか?

山本 ううん、俊太郎さんは「賢作のあれがいいんだよ」って評価してました。俊太郎さんの詩は、ご自身もこの中で朗読されていますけど、音読が似合うの。音が似合う詩、なんですね。そんな話をしていたら、「そうだ、賢作がいる!」って。力を貸してもらおうということになったの。俊太郎さんは音楽が一番すごいって、文学や絵画よりも力があるって。

谷川 それ、口癖でしたよね。

山本 だから賢作さんが音楽をやっていること、とても喜んでいたと思う。

父は、“メッセージは?”と聞かれるのが嫌いでしたね──賢作さん

山本容子さんが谷川俊太郎さんの詩をセレクトした『あ のひとが来て』(マガジンハウス)。谷川賢作さんが作曲、波多野睦美さん、石川セリさん、村上ゆきさんが歌う楽曲がCDになって添えられている

俊太郎さんの詩は、簡単に見えて人を油断させるのよ──容子さん

山本容子さんが谷川俊太郎さんの詩をセレクトした『あ のひとが来て』(マガジンハウス)。谷川賢作さんが作曲、波多野睦美さん、石川セリさん、村上ゆきさんが歌う楽曲がCDになって添えられている

山本容子さんが谷川俊太郎さんの詩をセレクトした『あのひとが来て』(マガジンハウス)。谷川賢作さんが作曲、波多野睦美さん、石川セリさん、村上ゆきさんが歌う楽曲がCDになって添えられている

美大生だったころの気持ちが蘇ってくる

谷川 僕が最初に俊太郎の詩に音をつけたのはこの詩集、『よしなしうた』です。’80年代半ばかな。これ、全部ひらがなで書かれているんですよ。マザーグースの世界に近いと思う。これを読みながら、「あ、曲が作れる」と思った。これをきっかけにたくさんの曲が生まれました。

山本 私はこの詩集知らなかったわ。今ちょっとだけ読んでみて、私もこれ、好きです。私は美大生のころ、絆創膏とか物差しとかボタンとかを題材にして作品を作って、それで初めて世の中に評価されたんですけど、それを描いているとき、こんなふうにみずみずしい気持ちでした。デビューしたころの、50年前の私が蘇るわ(笑)。

谷川 なにしろ70年以上詩人をやっていた父ですから、たくさん作品がありますから、読んでない詩集があっても当然です(笑)。でもいろいろ読んでいくうちに誰もが、これは自分のための詩集だって思える一冊が見つかるんじゃないかな。

山本 もし、谷川俊太郎に初めて触れる、という人がいたら、やっぱり『二十億光年の孤独』がおすすめかな。

谷川 デビュー作がすでに代表作!

山本 若者特有のとんがった詩もあれば、とろけそうな成熟した詩もあって。これを10代から書いていたというのだから、やっぱりすごい人ですね。

谷川 しかも70年以上書き続けてきた。もちろんその時々の風を感じ取る努力はしていたと思うけど、どの詩も決して時代遅れになっていない。

山本 わかります。大人になるといろいろ揉まれて、いらない雑多なものが増えてくる。でもそれを漉して大事なものだけ残していくから、言葉は透き通って透明になっていく。そこが谷川さん、上手なの。見事だと思う。私も50年やってきているけど、自分が過去に描いたものを模倣するほど退屈なことはないんです。人は私に「いつも葉っぱを描いてる」っていうけど、昔の葉っぱと今の葉っぱは違うのよ!

谷川 最近になって描いた葉っぱのほうがずっといいって、思いませんか? 僕は思いますよ。ピアノで同じ音をポロンと弾いても、今のほうがずっと大人の音だぞって(笑)。

(対談 後編へ続く)

Profile
銅版画家 山本容子

銅版画家 山本容子

やまもと ようこ●’52年生まれ。音楽・詩・文学と融合した作品が多く、数多くの書籍の装幀、挿画などを手がける。画業50周年を迎え、5/27まで『山本容子版画展 「世界の文学と出会う〜カポーティから村上春樹まで」』(早稲田大学 国際文学館)を開催中。
音楽家 谷川賢作

音楽家 谷川賢作

たにかわ けんさく●’60年生まれ。’86年、作曲家としてデビュー。ジャズから学校の校歌まで、ジャンルにとらわれず幅広く活動している。’96年、谷川俊太郎の詩を歌うバンド、DiVaを結成。父とともに全国で音楽と朗読のコンサートを続けてきた。
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