“偽装妊娠”から見えたものとは?八木詠美のデビュー作『空芯手帳』【斎藤美奈子のオトナの文藝部】

文芸評論家・斎藤美奈子さんおすすめの一冊をご紹介。今回は、偽装妊娠生活を送ることで空虚な日常に変化を起こしてゆく女性の物語。
斎藤美奈子
さいとう みなこ●文芸評論家。編集者を経て’94年『妊娠小説』でデビュー。その後、新聞や雑誌での文芸評論や書評などを執筆。『文章読本さん江』『趣味は読書。』『名作うしろ読み』『文庫解説ワンダーランド』『中古典のすすめ』ほか著書多数。近著に『忖度しません』(筑摩書房)。
紙管専門メーカー会社員の 偽装妊婦生活の結末は……?

『空芯手帳』

八木詠美

筑摩書房 ¥1,540

昭和のまま時間が止まったような会社に勤めている柴田。彼女が妊娠したと偽ったところから始まった毎日は意外にも快適で、柴田はだんだん妊婦の暮らしになじんでいく。しかしエアロビ教室で知り合った本物の妊婦たちは、それぞれに不安や孤独を秘めていた。女性がすべてを抱え込む「産んでも地獄、産まぬも地獄」な日本社会。作者は’88年生まれで、この作品がデビュー作。

紙管専門メーカー会社員の偽装妊婦生活の結末は……?

職場にいや気がさしたとき、あなたならどうします? 仮病を使って欠勤するか、いっそ転職を考えるか。でなきゃ失踪!? そのくらいですよね。

八木詠美『空芯手帳』の語り手「私」こと柴田は34歳。紙管専門メーカーに勤める会社員である。紙管とはラップやガムテープなんかの中心の、あの芯のこと。大きい紙管は資材の芯になる。


柴田は自分の職場にウンザリしていた。むだな会議に無意味な資料の作成。これといった仕事もないのに、だらだらと続く残業。おまけに生産管理と称する部には柴田しか女性がおらず、コーヒーをいれたり掃除をしたりの雑用はすべて彼女に回ってくる。

そんな柴田が妊娠した。すると急に職場は居心地がよくなった。男たちは気を使い、無理はするな

といってくれた。体調が安定するまで定時に帰りたいといったらすんなり認められた。時間にゆとりができたので、スーパーでゆっくり買い物をし、料理に凝ったりバスタイムに時間をかけたり、夜も楽しく過ごせるようになった。問題はただひとつ、彼女の妊娠は出来心によるウソだった!

商談のあとのカップを誰も片づけないのにキレて、つい課長にいったのだ。〈今日、代わってもらえませんか。片付け〉〈今妊娠していて。コーヒーのにおい、すごくつわりにくるんです〉。

おいおいおい、そんなウソ、絶対バレるに決まってる、と思うじゃない? ところが柴田は悪びれも

せず偽装妊婦生活を楽しみ、マタニティ用のエアロビクスにまで通いはじめるのだ。彼女が独身であることも職場の男たちをビビらせた。誰にも「おめでとう」といわれなかったかわりに、よけいな詮索もされずにすんだ。


この大胆不敵さ。病欠も転職も敵にダメージは与えないけど、妊娠は周囲を巻き込む。柴田の偽装

妊娠は男性社会への復讐ともいえる。『空芯手帳』とはつまり、母子手帳のパロディなのよね。


母子手帳アプリで胎児の成長過程を調べ、むやみに食欲がわいて体重が増え、おなかに詰め物をし

て出勤したりエアロビに通ったりしているうちに、自分でもウソとホントの境目がなくなり……。

クリスマスの夜、彼女はつぶやく。〈きっと大変だったよね。身に覚えがないのに妊娠して〉〈周りは結構びっくりしたんじゃない? ただの不倫じゃないかと思われたり。婚約していた羊飼い、あれ大工だっけ、ヨセフか。ヨセフも怒ったりしなかった?〉。

中心が空っぽの紙管メーカーに勤めてるっていうところも人を食っている。津村記久子や今村夏子

を輩出した太宰治賞の昨年の受賞作。さあ産休に突入した柴田は無事「出産」にこぎつけるのか。ハラハラさせるが、結末は爽快。

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『 妊娠カレンダー 』

『妊娠カレンダー』

小川洋子

文春文庫 ¥594

妊娠した姉夫妻と同居している大学生の「私」。つわりに苦しんだり、突然奇妙なものを食べたがったりする姉を「私」は冷静に観察しているが、ふと悪意が芽生え……。妊婦生活の虚飾をはぎとって読者を戦慄させた’91年の芥川賞受賞作。

『わたしは妊婦』

『わたしは妊婦』

大森兄弟

河出書房新社 ¥1,540

「私」ことゆり子は妊娠3カ月。幸せオーラを押しつけてくる友人。妻思いの顔をしながら何もわかっていない夫。「きみだけの体じゃない」「妊婦さんなんだから」という言葉にストレスをためた彼女はついに! ’13年刊。ちなみに作者は男性の兄弟。

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