年が明けても収束の兆しが見えないコロナ禍で、旅行もままならない。せめて旅気分だけでも、ということで、こんな本はどうだろう。
夏川草介『始まりの木』。ベストセラー『神様のカルテ』シリーズで知られる人気作家が10年にわたって書き継いできた連作だ。主人公は大学で民俗学を講じる古屋神寺郎と大学院生の藤崎千佳。
〈藤崎、旅の準備をしたまえ〉
古屋が唐突に発するこのひと言を合図に、行き先も目的もよくわからないまま、千佳は荷物持ち兼助手としてついていく。足の悪い古屋を介助するつもりもあるのだが、古屋はとにかく口が悪い。その毒舌に閉口しつつの旅である。
というわけで第一話、ふたりは青森県の弘前にやってきた。ステッキをついて前をゆく古屋のあとを〈先生、待ってください!〉と叫びながら荷物を持った千佳が追う。知己である考古学者の案内で豪商の屋敷を訪れ、教えてもらった古い屏風の絵に目をこらし、屋敷を辞したあとは太宰治も常連だったという喫茶店に顔を出し…。
ただし今度の旅はいつもと違う。
〈今回はいささか野暮用がある〉と古屋はいった。墓参りだという。宿泊先の嶽(だけ)温泉の老舗旅館で、千佳は古屋の過去を知る。その旅館は10年前に事故死した古屋の妻の実家であること、同じ事故で古屋も足を負傷したこと。
一瞬シュンとした千佳だったが、
翌日にはもう古屋の一声が飛ぶ。〈寄り道は終わりだ〉。次は三内丸山(さんないまるやま)遺跡に向かうという。〈藤崎、旅の準備をしたまえ〉。
とまあ、こんな感じでふたりは京都の鞍馬へ、信州の伊那谷へ、高知県の宿毛(すくも)へと向かう。古屋が向かう先は行きにくい場所ばかりだが、行く先々で遭遇するちょっと神秘的なできごとが光を放つ。
どうせシリーズ化するんでしょ。
あわよくば「浅見光彦」張りのドラマ化もねらってますよね、といいたくなるような設定。博学な中年男性と若い女の子のコンビはもう古くないかい、と思わないではないものの、偏屈な学者と快活な女学生、それに師の留守中に研究室を預かる院の先輩・仁藤仁の3人が繰り広げるやりとりは小気味よく、民俗学というよくわからない学問に関する記述も単なるウンチクのレベルを超えている。
〈よく見ておけ、藤崎〉と古屋はいう。〈今君が目にしているもののひとつひとつが、この国が積み上げてきた歴史そのものだ。それも、もう二度と目にすることはできないかもしれない貴重な風景だ〉〈現地に足を運んでみなければわからない。それは、民俗もうどんも同じということだ〉。
有名観光地をめぐりもせず、グルメともお買い物とも無縁の旅。複雑な思想とテンポのよい物語がうまく噛み合っている。