人生のいわばセカンドステージ。子供たちが独立し、仕事も定年を迎えたあと、親世代がどんな生き方を選ぶかは、今や他人事ではない課題になった。夫婦で新たな土地に移住する人あり。熟年離婚を選ぶ人あり。
井上荒野『百合中毒』は、そんな人生のセカンドステージを迎えた夫婦とその家族の物語だ。
七竈歌子は65歳。信州・八ヶ岳の山麓で「ななかまど園芸」という園芸店を営んでいる。長女の真希は41歳。夫と一緒に母の店で働いており、住まいも母と同居である。次女の遥は38歳。建築設計事務所に勤めているが、事務所の代表とは不倫の仲だ。
さて、物語は一家のもとに歌子の夫の泰史が25年ぶりに帰ってくるところから始まる。真希が高校1年生、遥が中学1年生のとき、彼は家を出て、蓼科高原でレストランを営む20歳近く下のイタリア人女性と暮らしはじめたのである。その彼がなんでまた!?
誰より激しく父をなじったのは次女の遥だった。
〈何しにきたんですか〉〈今頃、突然来るってどういうことですか。何の用があるんですか、この家に〉
父の答えは不敵にも〈プリシラがイタリアに帰ったんだよ〉だった。プリシラとは父が一緒に暮らしていた女性の名前である。
〈「まさか、あのひとがいなくなったから、戻ってくるっていうんじゃないよね?」/「だめかな、やっぱり」/「何言ってるの? バカじゃないの?」〉
娘の立場からしたら、そりゃこういう反応になりますよね。
かくて物語は視点人物を次々にかえながら「歓迎されざる父の帰還」を描いていくのだけれども、この小説の最大のポイントは、一家の要である歌子がすでに第二の人生を歩んでいることだろう。彼女には新しいパートナー(園芸店で働く8歳下の蓬田)がいて、ふたりの仲は娘たちも半ば公認。店は娘夫妻に任せ、蓬田とともに老後を歩んでいこうとしていた矢先の「夫の帰還」だったのだ。
60代にして別れた夫と新しい恋人との板ばさみになる。すばらしい現役感!なんて感心している場合ではない。人生が長くなれば、終わったはずの過去が現在の人生に思いがけないかたちで入り込んでくる可能性もあるわけで。
なぜ歌子は別れた夫を締め出さないのか。蓬田との関係はどうなるのか。周囲の人々が振り回され、読者がヤキモキする中で、しだいに明らかになる夫婦の事情。泰史は体に病を抱えていた。「百合中毒」とは園芸店にはってあるポスターの文言に由来する。百合は猫に毒性があると意見してきた客に対抗し、一家でつくったポスターだった。華やかな園芸店に影を落とす毒。もしも歌子の立場だったら、あなたはどうする?