【around 60からのお仕事拝見】学生時代の「教師」という夢に挑戦

冷静さと意欲をあわせもち、自分らしい仕事に向き合うaround 60世代の姿には働き方のヒントがたくさん! トライ&エラーを繰り返し、62歳から日本語教師として働きはじめた佐藤美奈子さんに話を聞いた。

日本語教師

佐藤美奈子さん(63歳)

2つの仕事をかけ持ちし、求められる喜びを知る

大学卒業後テレビ局に入社し、語学力を生かして世界中をまわり、39歳でオランダ駐在。まさに日の当たる道のセンターを歩いてきた佐藤美奈子さん。でも60歳の定年直前で退職した。その理由は?

「43歳で駐在から帰国したら、電子化が進んでいて。デジタルに弱い私がパソコンに触るとエクセルの表が壊れるなど、いちいちつまずく。挫折に慣れていないからそのたびに落ち込みました。そんな精神的ダメージとがんばりすぎる昭和気質の働き方に更年期も重なり、50代は絶不調。58歳のとき、ひとり暮らしの自宅で倒れ、救急搬送され、立ち直るのにかなりの時間が必要で。会社は手厚くサポートしてくれましたが、もう自分らしさを発揮できないし、これ以上迷惑をかけたくない、今がやめどき、と」

2つの仕事をかけ持ちし、 求められる喜びを知る

退職後、約1年休養し体調が回復。ハローワークにも足を運んだ。

「あなたのキャリアを生かせる仕事はありません、ときっぱり。厳しい現実を突きつけられ、何か資格が必要かもと考えはじめました」

本を読み、大学の市民講座で学び直す日々を過ごす中で、やりたいことの輪郭が見えてくる。

「頭に浮かんだのが、学生時代に目ざした教師。得意の英語で日本の魅力を外国人に伝えたいと、軽い気持ちで日本語教師を養成する学校に通いはじめました。これが想像以上に大変で、ボートで遠い海に出てしまったような気分。続けられたのは、コツコツ勉強するのが好きな性格と合っていたから」

昭和気質な働き方を卒業し、学生時代の“教師”という夢を再び

1年かけて420時間の法定授業時間をクリアし、62歳で日本語教育能力検定試験に見事合格。

「その話をした知人から、週1回大学の歯学部で留学生に日本語を教えない?と声がかかって。授業内容はすべて任せてもらえるので、自分でテキストを作って、会話も楽しんで。彼らが母国に帰ったとき、日本っていい国だったといってくれたらうれしい。それが教える喜びにつながっています」

半年を過ぎ余裕も生まれ、もっと仕事がしたい、と思いはじめた。

「登録した求人サイトで、外国人採用のための、新しい日本語試験の問題を作る、という仕事を見つけて応募。前職の経歴と経験がおもしろいとプロジェクトメンバーに採用されました。視点の異なる発想を期待されたようです」

 

2つの仕事をかけ持ちするが、長く働けるポジションを求めてこれからも職探しを続けるそう。

「応募して落ちるという経験も繰り返しました。でも、もっといい出会いがある、と信じて前に進めばどこかに必ず道があるんです」

語学が堪能でも日本語 教師の道は険しく長時 間の勉強が必須。

苦手だったパソコン問題は?

「休養中に近所のパソコン教室に通い、基本を学びました。ひとりでがんばらないで、助けてくれるところを探し、使えるものは利用する。食わず嫌いはダメですね」

仕事があると心の状態も上向く。

「収入がないとやりたいことも細ります。求められているという実感がうれしいし、働いてお金をいただく尊さを噛み締める日々です」

語学が堪能でも日本語 教師の道は険しく長時 間の勉強が必須。留学 生向けのテキストは参 考書をさらにわかりや すくして自ら作成。

語学が堪能でも日本語教師の道は険しく長時間の勉強が必須。留学生向けのテキストは参考書をさらにわかりやすくして自ら作成。コロナ禍を機にパソコン教室で基本を学び、今はパワポも使いこなす

日本語を教える歯学部の留学生。中国人、韓国人など4名の1 年生の相談に乗り、愚痴を聞き、母のような距離感で付き合う

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