最新の直木賞受賞作『藍を継ぐ海』ほか2冊【斎藤美奈子のオトナの文藝部】

今話題の本を文芸評論家・斎藤美奈子さんがご紹介。今回は、最新の直木賞受賞作『藍を継ぐ海』のほか、受賞した伊与原新さんの別作品『宙わたる教室』、今期の芥川賞受賞作『ゲーテはすべてを言った』をピックアップ。

『藍を継ぐ海』

『 藍を継ぐ海 』

科学的知見を巧みに織り込んだ最新の直木賞受賞作

NHKで’24年10月から12月まで放送されて、一部で話題になったドラマがある。窪田正孝主演の『宙(そら)わたる教室』だ。年齢も前歴もバラバラな定時制高校の生徒たちが「教室に火星をつくる」を目標に、火星のクレーターを再現する実験に挑む。原作は伊与原新の実話に基づく小説で、理科実験がドラマになること自体が新鮮だった。

今期直木賞受賞作『藍を継ぐ海』はその伊与原新の短編集だ。収録された5編はいずれも、①僻遠の過疎地を舞台に、②自然現象や科学的知見をからめ、③かつ土地の歴史をドッキングさせるという、欲張りな試みに貫かれている。「夢化けの島」の主人公・久保歩美は山口県萩市の出身で、現在は県内の国立大学の助教である。所属は理学部地球科学科で専門は火成岩岩石学。〈マグマが冷え固まってできた岩石を分析し、大陸や海底の地殻がどのように形成されてきたかをさぐる研究分野〉だ。彼女は学生時代から年に2度、萩の沖合45キロの見島に地質調査で通っていた。

そんな彼女があるとき、島に向かう船で見慣れぬ男性に出会う。彼は見島で古い萩焼に使われていた「見島土」を探していた。〈見島土がどこで採れるのか、教えてよ。専門家でしょ〉〈わたしが調べてるのは粘土じゃなくて、見島の成り立ちとか、噴火のプロセスなので〉。

出会いはそんなふうだったが、やがて彼女はこの男性・三浦光平が、江戸後期にとりつぶしになった毛利藩の御用窯の末裔らしいことを知る。日本海ができる前、萩は朝鮮半島の一部だったと聞いて萩焼と同じだなと口にした光平。茨城県の笠間に生まれ、笠間焼の陶工だった亡き父に反発して家を出た彼が、なぜ見島土にこだわるのか……。

地質学だけではない。「狼おおかみけん)ダイアリー」は、絶滅したニホンオオカミの最後の捕獲地である奈良県東吉野村での、少年と狼犬(オオカミと犬のハイブリッド)の邂逅をドラマティックに描いた椋鳩十もかくやの動物物語。「祈りの破片」は戦後まもない長崎で、被爆した岩石をひたすら収集する男の謎を追ったミステリータッチの佳編。「星隕つ(ほしおつえきてい)」は北海道遠軽町に落ちた隕石と、隕石らしきものが登場するアイヌ民族の伝承をつないだ、歴史的興味を喚起される作品だ。

各話の共通点は、滅びゆくものへの哀惜の念がこめられていることだろう。「夢化けの島」の歩美が〈地道な研究を着実にやるというのが、久保さんのいいところだとは思うけどもね。やっぱり、もうちょっと外部にアピールできるような、時流に乗ったことにも挑戦しないと〉と学科長に意見されているように、各話の主人公も皆、世間的にはあまりうまくいっていない人たちだ。

一見すると冷徹で、人生とは無関係に思える科学が人と人をつなぎ、時には彼や彼女に生きる希望を与える。驚きと発見に満ちた心ときめく短編集だ。

『藍を継ぐ海』

伊与原新

新潮社 ¥1,760

表題作の舞台は太平洋に面した徳島県の浜辺の町で、ひそかにアカウミガメの孵化を試みる女子中学生の物語。生まれた子ガメは外洋に出たあと、海流に乗って太平洋の対岸カリフォルニアまで行く、そのメカニズムにも興味津々。作者は’72年、大阪府生まれ、東大大学院で地球惑星科学を専攻し、富山大学で助教をしながら小説を書きはじめたという異色の経歴の持ち主だ。『月まで三キロ』で新田次郎文学賞ほかを受賞するなど注目の作家。

あわせて読みたい!

『宙わたる教室』

『 宙わたる教室 』

『宙わたる教室』

伊与原新

文藝春秋 ¥1,760

不良仲間と縁の切れない21歳の岳人。夫とフィリピン料理店を営む日比ハーフのアンジェラ。起立性調節障害で不登校になった佳純。中学を出て集団就職した70代の長嶺。定時制高校で学ぶ4人の挑戦とは。’24年度の青少年読書感想文全国コンクール・高等学校の部の課題図書にもなった長編小説。

『ゲーテはすべてを言った』

『 ゲーテはすべてを言った 』

『ゲーテはすべてを言った』

鈴木結生

朝日新聞出版 ¥1,760

今期芥川賞受賞作。高名なゲーテ研究者の博(ひろばとういち)はゲーテの言葉ならなんでも知っていると自負していたが、紅茶のティーバッグのタグで知らない格言を見つけてしまう。果たしてその原典とは。作者は’01年、福岡県生まれ。『藍を継ぐ海』とは対照的な文科系のアカデミズム小説だ。

文芸評論家・斎藤美奈子
さいとう みなこ●文芸評論家。編集者を経て’94年『妊娠小説』でデビュー。その後、新聞や雑誌での文芸評論や書評などを執筆。『忖度しません』『挑発する少女小説』『出世と恋愛』『あなたの代わりに読みました』ほか著書多数。最新刊は『ラスト1行でわかる名作300選』(中央公論新社)。
合わせて読みたい
Follow Us

What's New

Feature
Ranking
Follow Us